第61話 番外編 結婚は人生の墓場で運動会

 ”結婚とはするまでが大変であり、してからがもっと大変である”


 ついに結婚を決めた仲間に送った言葉です

 まぁ、そうでなければ世の中、離婚する夫婦はもっと少ないでしょう


 しかしこれには続きがあります


 ”世の中には結婚しないとわからないことがある。それは忍耐と妥協と後悔である。それらを知って初めて人生と言う”


 動物には結婚とか離婚とかという概念はありません

 そんなものを持っているのは人間だけです

 そして忍耐も妥協も後悔も他の生き物はしないでしょう


 ”結婚は人生の墓場”などという酷い言葉があります


 墓場と言うのは魂の眠る神聖な場所です

 中にはいろんな面倒を墓場まで持って行っている輩もおりますが、墓場と言うのは全ての清算がおわり、ゼロに帰る入り口であり、残された人々が、故人の罪や負債を帳消しにする場所でもあります


 それに比べれば、結婚とはピクニックのようなものであり、バスケットにサンドイッチを詰めてルンルン気分で出かけて、ムードに任せて乳繰り合って、できた子供をあやしながら、最初の場所に戻っていく

 そして子供が巣立っていったら、途中で出会った人々や、見てきた景色や、些細なことで喧嘩したことを笑い話にする

 或いは運動会のようなもので、徒競走のような個人競技、リレーや団体競技など、さまざまな競争や遊戯を夫婦でこなして行く


 その程度のことなのです


 さて、めでたく結婚へとただりついた仲間に僕がアドバイスをするならば、他人のアドバイスなど聞くなと言うことです

 結婚観など人それぞれ

 極端な話、夫婦の間でも違っています――というか男と女ではそもそもが違うと僕は考えます

 観方、考え方が違っても気が合えば成立しますし、気が合う合わないは日常の些細なことで変わったり、戻ったりするわけですから、喧嘩もすれば、無視もすることがあるでしょう

 その解決方法を他人に求めたところで、人は人、自分は自分――客観性などなんの解決にもなりません

 夫婦とはそのくらい特別な存在なのですから――特別な他人です


 相互の孤独を認め合い、協力できるところ、分かち合えるところ、時に守り、時に守られ、支え、支えられ、時間と空間を共有するのです

 そんな他人が簡単に見つかるはずもなく、最初はうまくいくと思っても、ままならないこともあるでしょう

 忍耐と妥協と後悔とは決してマイナスなことではなく、時間軸の中で必ず必要になるアイテムであり、それによって得られる人生の姿かたちというのは、結婚をしてみないとわかるはずもない


 ”風景とは観る場所とそのときの心情によって変化する”


 忍耐と妥協という代償を払って得られる何かが人生にはあって、後悔を知るとは、拙かった自分にはここまでしかできなかったが、次はもっとうまくやれるという生への動機づけになるのではないでしょうか


 そしてそれを得られた伴侶と共にセカンドチャンスにかけるというのであれば、墓場まで持っていくような残債は、きっとなくなるのだと僕は思います

 もちろん相手を変えることも、相手があなたを変えることもあるのが人生ですし、志半ばにして死別することもあるでしょう――満足の行く結婚など、幻想なのかもしれませんが、僕はそれを疑わないし、信じもしません


 ただ為すだけです


 最後に結婚を決めた仲間へ


 ようこそ、こちら側の世界に! 人生の後悔(or航海)はこれからだ!


 では、また次回

 虚実交えて問わず語り

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