scribble 壁際

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「撤回するなよ」

 海原が電車で去ったあと、ホームの壁際に寄り、真澄が隣でそう言った。

 何を、とは訊かなくても分かっている。

「いくらなんでもやりすぎ」

 文句を言ってみても、その声は自分でもわかるほど弱々しい。

「あれぐらいがちょうどいいだろ」

 真澄は平然とそう答える。たぶん、俺が不満げな態度を取りながらも実はありがたがっていることを、真澄は分かっている。

 いつだって察しがいいんだ、この幼馴染みは。

「っていうか、頼んだのお前じゃん。引退までにはどうにかしたいって」

「そうだけど」

 あんな話をしろとは頼んでいない。

 仲良くしてやってくれとか。

 仲良くしたいと思ってるとか。

「撤回するなよ」

 撤回するのは簡単だし、撤回したい気持ちは山々だ。

 だが、真澄が折角作ってくれたチャンスを――この一年、自分で作ることができないまま時を過ごして、はじめて現れたチャンスを――

「……撤回しないよ」

「言ったな」

 真澄が横目で俺を見ながら、片方の口角をきゅっと上げた。俺は、ため息をついて真澄と反対の方に顔を背けた。

 そのとき、ポケットで携帯が震えた。

 真澄との会話から逃げる意味もあって、それを取り出す。人といるときは――コミュ障せめてもの償いとでもいうか――携帯を触らないようにしているが、真澄との間では最早お互いそんなこと気にしない。

 着信は、海原からだった。さっきの今で、何の用事だろう。

 ……別れの挨拶をできなかったお咎めなんかだったら、いくらでも言い訳をするのに。聞かれてもいないのにこちらから言い訳をするのは、不自然に思えてできない。

『聞くの忘れてました、明日、朝練ありますか?』

 さっきまでの会話に全く触れない、連絡伝達。

『あるけど、来なくてもいいよ。来ても暇だろうし』

 返信に、ひとこと付け足そうか悩んで、結局何も書かずにそのまま送信した。

 海原は、今何を思っているのだろうか。

 一年怖がって遠ざけて、関わりを持たないようにしてきた先輩に、今更、本当は仲良くしたいんだなんて言われたって、気持ち悪いだけじゃないか。

 まして――

 俺は黙って目を伏せた。

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