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 気象庁が発表した梅雨入つゆいり宣言を聞いてから数日、空はいつまでも青いままで、いまのところまったく雨が降る様子は無い。

 確かに新緑の季節のような心洗われる青空ではなくなったが、それでも梅雨つゆだとは思えない心地よい風が爽々そうそうと木々の葉を揺らしていて、なんとも清々すがすがしい限りだ。

「あ、車は隣の空き地に停めていいから」

 父さんがスマートフォンで話している。午後もずいぶん過ぎてそろそろおやつの時間、どうやら例の宮本みやもとあゆむさんがやってきたらしい。

 父さんの話によれば、すごく優しい人のようだ。

 高校三年生のときは、父さんが春から早々に受験体勢に入ってしまって、部長だというのにほどんど部室に行かなくなったもんだから、代わりに副部長のあゆむさんが部を切り盛りしてくれていたとのこと。

 父さんは「いま俺が弁護士がやれているのは宮本みやもとのおかげ」なんて言っていた。

「お久しぶり。橋本はしもとくん、お招きありがとう」

「ほんと久しぶりだな。卒業十周年の同窓会で会ったっきりかもな」

「そうだね。そちらが息子さん?」

「うん。宮本みやもとんとこの一番上の娘さんと同じ歳っていう。ほら、はじめ、放送部の大先輩だぞ?」

「あ、初めまして。はじめです」

「初めまして。宮本みやもとあゆむです」

「まぁ、上がれよ」

「うん、えっと、嫁さんがまだ車のとこに」

「やっほー、ハッシーくん」

「おおー、しおりちゃんも来てくれたの」

「いやー、お邪魔だとは思ったんだけど、どうせアルコールが入るだろうから。ハンドルキーパーねー」

「ははは、よく分かっていらっしゃる。え? お子さんは?」

「お婆ちゃんが三人まとめて焼肉に連れてくってー」

「はは、そうか。ま、上がって」

「お邪魔します」

「おじゃましまーす。あ、奥さま、これお土産みやげですわー」

しおり、それぜんぜんお上品になれてないよ?」

「あはは」

 あゆむさんの奥さん、しおりさんは高校の同級生で、父さんもよく知っている人らしい。

 なんとも天真爛漫というかイヤミの無い明るい女性で、物静かな感じのうちの母さんとはかなり違うタイプだ。

 実は父さん、こういう女性の方がこのみみたい。

 お二方ふたかたをリビングに通すと、真ん中に出された来客用のテーブルにちょっとした小鉢が並べられていた。料理研究が趣味の母さんが、腕によりを掛けて歓待かんたいの準備をしている。

「ハッシーくん、あんまり変わんないねぇ」

「そう? 腹は出たよ? しおりちゃんは可愛いまんまだね」

橋本はしもとくん、かなり老眼が出てるだろ? これが可愛いっていうくらいだから」

「なによ。あっくんだってオジサンになったじゃない」

「うわ、しおりちゃん、まだ『あっくん』なんて言ってんの?」

「うん! でも二人のときだけねー。普通は『お父さん』よ?」

「いいねぇ、お熱くて」

しおりはじめくんが待ってるから本題に入ってもいいかな。ごめんね?」

「おおう、そうだった。ごめん。私、大人しくしてるね? あ、奥さんすいません。あっくん、ビールだって」

宮本みやもと、わざわざありがとな。ま、とりあえず乾杯ってことで」

 普段、僕は家でアルコールを口にすることはまず無いけど、今日は特別。あゆむさんと父さんの仲間に加えてもらって、ささやかな乾杯を交わした。

 カチンと涼しげな音が響いて、ふわりとビールの泡が揺れる。

 しおりさんは、ではっ、と可愛らしく右手を挙げて僕らから離れると、すぐ横のダイニングテーブルでお土産に持ってきたお菓子を出して、母さんとお茶会をし始めた。

はじめくん、番組、聴かせてもらっていい?」

「あ、はい」

 なぜかあゆむさんはこの作品の音源だけ持っていないらしい。

 自分が作った番組のマスターテープは全部持っているらしいが、この作品だけちょうど引退のときのどさくさに紛れてしまって、あとから部室にテープを取りに行こうと思いつつ忘れていたそうだ。

 だからこの作品をまた聴けるのがとても嬉しいって、あゆむさんは僕にすごく喜んでくれた。

 僕はさっと立ち上がるとテレビの横に置いていたタブレットを取って、リビングの端にあるスピーカーシステムにBluetoothブルートゥースで接続した。再生する「僕が恋した図書室の幽霊」の音声データは、あらかじめカセットテープからMP3に変換してサーバーに保存してある。

「始めます」

 前と同じように、始まりはサーッという空気のノイズ。

 このノイズ、いっそデジタル処理で全部消そうとかとも思ったけど、やはり当時のままの音を聴いてもらおうと思い直して、なんの加工もしないままデータ化した。

 しっとりと「ジムノペディ第一番」が流れ始め、男声のナレーションが入る。

『この大学の図書室には、優しい女の子の幽霊が住んでいる。ここの学生なら……』

「あ、タケちゃんの声だね、あっくん」

 しおりさんが可愛い瞳を大きくして、すごく嬉しそうに言った。

「うん、そうだね。でも、だいたい別の大学のしおりが、うちのサークルのメンバーと普通に友だちになってるのはおかしいんだけどね」

「そうか、しおりちゃんは僕と同じ大学だったよね。理学部だっけ」

「うん。そうそう」

「いつもうちのサークルに遊びに来てたもんでね。で、しおり、番組聴く間、ちょっとだけおしゃべりお休みしといてくれると助かるんだけど」

「あ、ごめーん」

「ううん、ごめんね」

 どうやらしおりさんは、父さんと同じ某国立大学出身らしい。

 近所にあるキャンパス同士で行き来は簡単に出来るから、たぶんしおりさんは別の大学なのに、我が大学の放送研究部の常連部外者になっていたんだろう。

 それにしても、宮本みやもとさんご夫妻はすごくお互いを思いやる。二人とも相手を気遣きづかって言う「ごめんね」の回数が多い。

 なんとも微笑ましい。

 僕もこんな、宮本みやもとさん夫妻のような結婚がしたいななんて、柄にも無くちょっと思ってしまった。

 しおりさんは「てへへ、怒られちゃった」みたいな顔をして、僕にちょっと舌を出して笑って見せる。ほんと、年齢を重ねてもこんなに可愛らしいままの人が居るものなんだなと、すごくびっくりした。

 静まり返ったリビングに「僕が恋した図書室の幽霊」が淡々と流れている。

 あゆむさんとしおりさんはラジオドラマに耳を傾けながら、時折目を合わせて笑っていた。

 そして、何度聴いても喪失感そうしつかんでいっぱいになるエンディングを迎えたのは、ちょうどみんなのビールが空になったころだった。

「どうだ? 宮本みやもと

「うん、……懐かしいな」

「あっくん、これ大学三年のとき引退記念で作ったやつだよね?」

「そうだね」

「あ、しおりちゃん、知ってるの? この作品」

「だって一緒に『SEエスイーり』とか行ったもん。インデックスカードに私の名前が載ってないのがおかしいくらいよ?」

「ほんと、ずっとついて来てたよね、しおり

「楽しかったなー」

 SE《エスイー》っていうのは「サウンド・エフェクト」の略。簡単に言うと番組の中で使われる、物の動きや心情を表現する効果音の事だ。

 バックで流れる音楽は「BGM《ビージーエム》」、コーナーの始まりなんかで短く流す曲は「ジングル」。それらと並んで、SEエスイーはテレビでもラジオでも、番組を構成する重要な要素だ。

宮本みやもとさんのころはSEエスイーり』だったんですね」

「いまは違うの?」

「いまはどっちかというと『る』より『作る』です」

「あー、そう言うことか。僕らのころはほんとに生音なまおとりに行ってたからねー」

 いまのSEエスイー作りは、だいたいパソコンで行われる。

 車のエンジン音とかドアを開ける音なんかも、そのほとんどが素材としてインターネット上に転がっているし、素材の音の波形を加工すれば、排気量が違う車や大きさが違うドアの音を何種類でも簡単に作ることができる。

 でも、あゆむさんが学生のころは実際に「本物の音」をってSEエスイーを作っていたようだ。十五分程度のしゃくといっても、一本のラジオ番組中で使用するSEの数は結構なものになるし、それを全部生音なまおとの録音で準備するのはかなり骨が折れる作業だったろう。

はじめくん、お父さんから聞いたけど、僕が学生だったころの番組制作の方法がどんなやり方だったか調べたいらしいね」

「はい。今度の学園祭で平成最後を記念した企画をやるみたいで、どうも平成一桁のころの方法でラジオ番組を作るってことで」

「なるほどね。それでね? ちょうど『SEエスイーり』をしてる現場のその当時の実況テープを見つけてね。あとで内輪ウケのNG集を作るためにってたみたいで。参考になればと思って持ってきたけど、聴く?」

「え? いいんですか? お願いします」

橋本はしもとくん、キミが知ってる懐かしい人の声も出てくるよ?」

「おおー、そりゃ楽しみだ」

 宮本みやもとさんがニコリと笑ってスマートフォンを取り出す。どうやら、その実況テープはデータに変換してあるらしい。

「スピーカー借りるね? Bluetoothブルートゥースだよね?」

 そう言ってあゆむさんは、スマートフォンをスピーカーシステムに接続して再生を始めた。

 さっき聴いた作品のような空気のノイズは聞こえない。

 たぶん、デジタル処理してのノイズを除去したんだろう。

 年齢を重ねてもやはり放送部だなーなんて、僕はなんとも偉そうにすごく上から目線の感心をした。

 音が聞こえ始める。

 ガサガサとマイクが布に擦れる音が大きく鳴ったあと、数人の若い男女が会話している声が聞こえた。


『もー、真っ暗じゃないのぉ』

『夜中なんだから当たり前だろ。だいたいなんでしおりがここに居るんだよ』


「あ、私の声だ」


『だってー、あっくんが淋しいかなーとか思ってさー。連れてきてもらったのー』

『素晴らしく勝手な思い込みだな。ちょっとー、誰がしおりを連れてきたんだよ』

『俺だ、おれー。車に乗っけてきてやった』

『またか、まこと。あれほど部外者を連れて来るなと』


「おっ? この声は江上だなー」

「あはは、江上くんだ。みんな声が若いねー」


『はっはっはー! あゆむ先輩、せっかくラブラブあゆむぅしおり先輩を連れてきてあげたのですから、仲良くするのです! はい』

『ほんっと、せっかく連れてきてやったのになぁー? 咲美さくみぃー?』

『うんうん。マコちゃん優しいのです。なでなでしてあげるのです。エライエライ』

『勝手にやってろ』

『あはは』


「ワッピも居る。一年生のワッピを真夜中に連れ出してたんだね。これ、車の急ブレーキの音をるために、深夜に空港の近くの農免道路とかに行ったときのみたい」

「ワッピか、懐かしいあだ名だな。咲美さくみちゃんはいまどうしてるんだ?」

「いま? ああ、東京に居るみたいだよ? この二人結婚してねー。子どもは居ないみたいだけど」

「そっかー、仲良かったもんなー」

「あら、あゆむしおりも負けてなかったわよ?」

しおり、そんな言い方するとなんか漫才師みたいに聞こえない?」

「わはは、夫婦漫才だな」

 父さんと宮本みやもと夫妻が、ほんと懐かしそうに目を細めている。

 僕にはまったく誰が誰だか分からないけど、きっと楽しい思い出がいっぱいあったんだろうなって、そんな感じはすごく伝わってきた。

 

まこと、そろそろやろうか』

『うん。おーい、いいかぁ?』


 どうやら、少し離れた場所に控えている別のスタッフに合図を送っているようだ。


咲美さくみ、下がってないと危ないぞ?』

『へーき、マコちゃん居るし』

『ワッピ? 車のタイヤが石を跳ねたりするからね? 下がってよか』

『うーん、わかったのです』

『二人とも、なんで私には言わないのよ』

『いや、しおり頑丈がんじょうだし』

『なによそれっ、ふんっ!』


「あはは、私が怒ってる」

「奥さん、頑丈がんじょうなんですか」

「ほーんと、いつもそういう扱いなんだから。かなでにもしょっちゅう同じようなこと言われてたし」

かなでさんにも? なんかウケるね」

「でも、ほんとに頑丈なのよねー、私って。あはは」


『よーい、スタートっ!』


 しんと静まり返った空間、ずっと遠くの方に車のアイドリング音が聞こえる。

 次の瞬間、そのエンジン音がけものの吠えるような荒々しさをまとったかと思うと、急激にマイクの方へ接近してきた。

 そしてその音像がちょうど目の前までやって来たとき、今度はザザーッという小石を蹴散けちらしたような摩擦音が響いて、その直後、音声は静寂に一転した。

 アイドリング音だけが、小さく聞こえている。


『はい、カット』


 江上さんという人の声で、録音の停止が合図された。

 ガチャガチャという振動音が聞こえて、車のほうへマイクが近寄っていく。


あゆむ、どうだ? 俺的にはOKだけど』

『うーん、僕的にはちょっとイメージと違うかな。これだと動物かなんかが飛び出してきてびっくりして止まったような感じなんだよね。もっとこう、考え事をしてて、ハッと思いついて引き返すために止まった、みたいな。出来るかな』

『よしっ。ちょっと待ってろ。ドライバーに演技指導してくっから』

『悪いな』

『うわー、あっくんめんどくさー』


「あはは、私ひどーい」

しおりらしいじゃない。でも実際、僕って相当面倒臭めんどうくさいこと言ってるね」

「はぁ、こんなふうにしてSEをってたんですね。なんか凄いです。でも、なんで深夜なんです?」

「え? ああ、周りが静かだからね」

「なるほどー」

「いまの放送部ではやらないの?」

「まぁ、やらないですねー。全部デシタルですし」

「はは、そうだろうね。時代の流れだから」

「どうしても無いものはスタジオでレコーディングすることもありますけど、わざわざ出掛けて行ってまでは」

「ま、実はこれは半分レクリエーションみたいなもんでね。SEエスイーりと称して、深夜ドライブに行ったり、わざわざ宴会を開いたり。今思えば『いいご身分みぶん』だったよね、学生時代って」

 ちょっとハッとした。

 まぁ、その通りだ。

 実際、いま僕は「いいご身分みぶん」だと思う。

 そう言えば、高校を卒業して真っ直ぐ社会人になった同級生たちはどうしているだろう。あまり考えたこともなかった。

「この『図書室の幽霊』の話は、宮本みやもとさんの創作なんですか?」

「そうだねー。でも話のヒントは、僕らが居たころの学内がくないの噂話なんだ」

「鏡の中の幽霊の話ですよね? それっていまも受け継がれてますよ」

「ええー? いまもなのー? 私さぁ、初めて聞いたときなんか怖くてねー」

「え? しおり、怖がってたの? そんな感じには見えなかったけど」

「心優しい幽霊らしいですよ?」

「なによ。私が怖がったらおかしいのっ?」

「はは、ごめんごめん」

 わははと笑いが起きたところで、クスクス笑う母さんが栓を開けた瓶ビールをテーブルに置くと、父さんがあゆむさんの空いたグラスに注いだ。

「ああ、ありがと。はじめくん、実はこれって『図書室に心優しい幽霊が住んでいる』っいうベース以外は、ほとんど僕が勝手に作った話でね」

「そうだったんですね。凄くよく作り込まれた話で驚きました」

「だってモデルが居るもんねー? ねー? あっくん?」

「だなー? 宮本みやもと。俺はすぐ分かったぞ?」

 しおりさんと父さんは少し意地悪な笑顔を作って、あゆむさんの顔をのぞき込んだ。

「うん、まぁ、そうだね。僕はもともと小説を書くのが趣味で、今も書いてるんだけど、実はこの話に登場する幽霊のモデルは、僕と奥さん、それからキミのお父さんや実況に登場した人たちのみんなの共通の友人でね。その子のエピソードをモデルに脚本を書いだんだ。さっき、少し名前が出てたんだけど」

「うん。私の親友、かなでって言うの。で、ずーっとうちのダンナが好きだった子ぉー」

「んー、なんか悪意を感じるね、しおり

「そんなことないわよ? だってそのラジオ番組作ったときはまだ、私たち単なる幼馴染おさななじみだったしぃ。単なるぅ」

「わはは、しおりちゃん、かわいすぎ」

「勘弁して。でも、この作品を作って全部ケジメがついたというか、気持ちの整理が出来たんだよね」

「あはは。あっくんがちゃんと私の気持ちに応えてくれたのは、この学園祭のあとだったね。まぁー、いま私があっくんと一緒に居られるのはこの作品のおかげかなぁー」

 しおりさんが、眉をハの字にして苦笑いした。

 それを見つめるあゆむさんは、これ以上ないくらい愛おしいものを見る瞳だ。

「でもね、はじめくん。この『図書室の幽霊』は、本当は幽霊じゃないんだ」

「え? どういうことです?」

「うん。僕も学生時代にすごくこの幽霊話に興味があって、ちょっと調べたことがあってね。大先輩たちに聞いて回ったりして」

「幽霊ってガセなんですか?」

「まぁガセというか、ちょっと一部分だけがまことしやかに拡がった感じかな。実は、この幽霊の正体は、大学創立当初の図書館司書の女性らしくて」

「図書館司書?」

 図書館司書というのは教育関係の法律に基づいた資格で、公共の図書館で働くために必要な公的資格。大学の図書館で働くためには必要ないけど、図書館職員の求人資格としては当たり前に提示されるようだ。

「僕らが生まれたころ、時代はフォークソングとか学生運動とかのころだね。そのころのうちの大学の図書室に、とっても優しい図書館司書の女性が働いていたらしくてね。」

「実在の人物だったんですか」

「うん。その図書館司書の女性なんだけど、一懸命勉強している学生がうとうとと転寝うたたねしてしまうと、かたわららに置いていたコートをそっと掛けてくれてたらしくて。当時の図書室常連の学生からすごくしたわれていたんだって」

「今の図書館ではありえないですね」

「今の図書館は別棟になってて広いんだよね? 利用者も多いだろうし。僕が居たときは今みたいに図書館だけの建物じゃなくて、たしか三号館の二階の狭いスペースにあったんじゃないかな。この話はその狭い『図書室』のときの話でね」

「あ、だから『図書館の』じゃなくて『図書室の』なんですね」

「うん。でね? その図書館司書の女性って、ある日、交通事故で亡くなってしまったらしいんだ。子供もまだ小さかったらしい。」

 あゆむさんは、底の方に少しだけ残った二杯目のビールをふわりとあおって、グラスをテーブルに置いた。

「それを知った図書室常連の学生たちはすごく悲しんでね。それからしばらくして彼女をしたっていた学生たちがみんなで寄付をして、図書室に大きな鏡を寄贈したらしい。鏡の中の世界から、ずっとぼくらを見守っていてほしい、ってね」

「ああ……」

「それから、探してたものが見つかったり、名も知れず誰かが気遣きづかってくれたりすることが学内であると、みんなが言うようになったらしいんだ。『図書室の鏡の中の司書さんが助けてくれた』って。」

「それで、それがいつの間にか『鏡の中に優しい幽霊が住んでいる』って話になったんですね。それから図書館が新しく建ってからも言い継がれて、『図書室の』が『図書館の』になって」

「そうだろうね。でも、そのままの作品にしても面白くないから、ラジオドラマの方はちょっと設定を変えてね。亡くなったのは待ちびる待ち人で、幽霊はその人を待つために鏡の世界に入ったという設定で」

「なるほど」

「で、自分を愛してくれた者を守るために、えてその人から離れる道を選ぶという真の愛情をテーマに据えて」

「で、この幽霊が宮本みやもとさんの元を去っていった『かなでさん』とオーバーラップするわけですね?」

「え? ま、まぁ、そういうことだね」

かなでもすごくあっくんのこと好きだったんだけどねー。いろいろあって。あはは、私のねばり勝ちー」

「はは、ほんとしおりのしつこいほどのねばり勝ち」

「なによ。でも私のおかげですっごく幸せになれたでしょー?」

「はいはい。ありがとう」

「なんで棒読みなのよ」

「わはは、ほんと仲良くていいね」

 それから日が暮れる頃まで、宮本みやもとご夫妻との歓談は続いた。

 当時のラジオ番組制作の細かいことをいろいろリサーチさせてもらったり、番組のモデルになった「かなでさん」という女性のエピソードを聞かせてもらったり。

 それこそ今年の一月、あゆむさんは街で偶然、そのかなでさんとばったり会ったらしい。

 高校時代と変わらず、すごくキレイだったって。 

 なんと今年の夏は、かなでさんや江上さんなど、当時の部外常連さんを含めた高校放送部つながりで集まる計画をしているとのこと。それでちょうど父さんにも連絡をとろうとしていた矢先だったので、逆に連絡をもらってびっくりしたんだそうだ。

 それからしばらくして、宮本さん夫妻が帰る間際まぎわあゆむさんに僕らの「むかし制作」の相談役になって欲しいとお願いしたら、あゆむさんはとてもこころよく引き受けてくれて、電話番号とSNSエスエヌエスメッセージIDアイディーの交換をしてくれた。

 SNSエスエヌエスというのは ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略。

 スマートフォンやパソコンで、互いに電話番号やIDアイディーといった個人を識別する情報を交換して「友だち」の状態になると、まるで目の前で話しているようにリアルタイムにメッセージを交換しあったり、画像や音声といったデータを送信しあったりできる、インターネットを使ったデータ送受信サービスだ。

 そうして、僕があゆむさんと「友だち」になると、すぐになぜかしおりさんも交換しようと言い出して、なんと僕は宮本みやもとご夫妻両人とSNSエスエヌエスメッセージ友だちになってしまった。

 しおりさんの颯爽さっそうとした運転でご夫妻が我が家を去ったあと、しばらくしてしおりさんから今日の招待へのお礼メッセージが「やっほー」から始まる軽いノリで届いた。

 ほんとなんとも可愛らしい人だ。

 図書館に住んでいる幽霊は「現世に心残りがある女性が鏡の中に閉じ込められた」んじゃなくて、彼女を慕っていた学生たちがたちが「その優しい彼女にいつまでもここに居て欲しい」と願ったものだった。

 でももしかしたら、長い長い時間をかけて、たくさんの人たちの想いが本当にあの鏡の中に本物の幽霊を作り出してしまうことだってあるかも知れない。

 僕には、あのとき図書館で見た彼女が、あゆむさんの物語に登場した「図書室の幽霊」そのもののように思えて仕方なかった。

 本当に、この世に幽霊なんてものが存在するのなら、彼女がそうであってもおかしくないって、なぜかそんなふうに感じていた。

 それくらい、彼女は神秘的だったんだ。

 いまでも、柔らかな陽光に包まれてたたずむ彼女の姿が目に焼きついて離れない。

 もし今度会えたら、彼女に聞いてみようか。

『キミは誰を待っているの?』

 彼女はいったい、なんと答えるだろうか。

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