魔女と少年と夏の化物


 気がつくと、少年はヒマワリ畑に居た。

 じりじりと肌を刺す夏の太陽。雲ひとつない真っ青な空。息も詰まるような暑さ。そして、視界いっぱいに広がるヒマワリ。人間はおらず、辺りは不気味なほど静まり返っている。

 それらを一望できる、小高い丘の上。

 一本だけ生えている木の陰に、少年は座っていたのだ。

 何故こんな場所に居るのだろうか。

 少年はその赤い瞳を細め、思考を巡らせる。

 ついさっきまで自分は別の場所に居たはずなのに、と。

 しかし不思議なことに、直前の記憶が蘇ってこない。なにか薄い膜を張られたように、ぼんやりとしている。


「おいお前、そこでなにをしている」


 不安でうずくまる少年に、ふと声が降りかかった。

 見上げると、そこには魔女が立っているではないか。

 魔女。

 少年がを一目で魔女と判断できたのは、の格好があからさまであったからに他ならない。

 つば付きのとんがり帽子。鼻から足元まですっぽりと覆うローブ。そして片手に箒とあれば、それは魔女と認識しても間違いはないだろう。

「……デリア?」

 ほとんど顔も見えない状態の魔女を見て、少年はその名前を口にした。

 途端、張られた膜を突き破り、記憶が流れ込んで来る。

 暗闇の森に封じられているはずの、不死身の魔女。

 少年の命の恩人であり、少年の手で殺すと約束した魔女。

 間違いない。

 今、少年の前に立っているのは、暗闇の森に閉じ込められた魔女・デリア本人だ。

 それが何故、そんな暑苦しい格好をして、真夏のヒマワリ畑に居るのか。

「む? なんだお前。ワタシを知っているのか?」

 怪訝そうに言った魔女は、しかし少年をじろりと見回し、小さくため息をつく。

「昔、どこかで会ったか? お前のように美しいものを、このワタシが忘れるはずないのだが……」

「え……?」

 魔女の言葉に、少年は言葉を失う。

 ついさっきだって、戸棚に隠していたクッキーで言い争ったというのに。

 目の前にいる魔女は、少年を知らないと言う。

 たったそれだけの事実が、少年の胸を強く抉る。

「そうがっかりするな。ワタシだって忘れることくらいある」

 あまりに愕然とした様子だったのか、魔女は憐れむように言う。

「お前、名はなんという?」

 そして、出会ったあの日と同じ問いを投げかけてきたのだ。

 悪い夢でもみているのだろうか。

 少年はそんなことを考えながら、一縷の望みを賭けて口を開く。

「――ライ。僕の名前は、ライだ」

 それは、魔女が少年につけてくれた名だった。

ライLie? 変わった名だな。誰がそんな名前をつけたんだ」

「……あんただよ」

「うん? なにか言ったか?」

「なんでもない」

 わけがわからず、少年は膝を抱える。

 長い間忘れていたほうが不思議なほど、煢然けいぜんとした思いが少年の内側を占拠する。


「……。お前、迷子か?」

 再び小さくため息をつくと、魔女は少年の隣に座った。

 そのまま見捨てられるかと思っていた少年は、期待でわずかに胸を弾ませる。

「……迷子じゃない」

「どこから来たか、覚えているか?」

「……暗闇の森」

「暗闇の森? 知らん場所だな。ここから遠いのか?」

「……」

「しょげるなしょげるな。せっかくの美しい風貌が台無しだぞ?」

 そう言って宥める瞳は、少年がよく知る優しいそれだ。

「今日のワタシは気分が良い。必ずお前を、元居たところに返してやろう」

「……うん」

 状況は未だ判然としないが、少年の知る魔女と、今こうして隣に居る魔女が同一人物であることは間違いない。少年は確信した。

「あんた、他人の心は読めないのか?」

 だから少年は、不一致を探すことにした。

 それが唯一の手がかりになると、直感が告げていた。

「驚いた。昔のワタシは、お前にそこまで話していたのか」

「いいから。答えろよ」

 目を丸くして驚く魔女に、少年は強引に話を進めようとする。

 その様子が面白かったのか、魔女は軽くからからと笑い、

「読めない。それはまだ習得中だ」

と答えた。

「生まれつき読めるんじゃないのか?」

「生まれつきは、この不死身の身体だけだ」

 どうせお前にはもう話しているのだろうが、と魔女は続ける。

「気味の悪い化物と批難され、つい今しがた、また街を追い出されてきたところなんだ」

 そう言って魔女は帽子を取り、鼻まで覆っていたローブを口元まで下げた。

 そこに隠されていたのは、酷い火傷の跡だった。

 傷は、まだ新しい。

「……」

 少年は知っていた。

 手足がもがれようと、一週間後には新しく生え変わっているような治癒力を持つ魔女だが。

 それでも、傷が癒えるまでには時間を要するということを。


「とはいえ、今回は追い出されて正解だったかもしれんな」

 魔女は、少年の白い髪を撫でながら続ける。

「お前のように美しいものと出会うことができたのだからな」

 それに、と魔女は、視線を少年から目前のヒマワリ畑に移しながら言う。

 その瞳には、空の青とヒマワリの黄色が映り込んでいる。

「これほど見事なヒマワリ畑は、長いこと生きているが初めて見た。人間も、たまには良いことをする」

「……っ、デリア!」

 火傷を負った顔でヒマワリ畑を臨む魔女は、そのまま解けて居なくなってしまいそうに見えて。

 少年は、思わず魔女の名前を叫んだ。

「大丈夫。ワタシはここに居るぞ」

 にぃっと笑みを深めて、魔女は言う。

「ワタシはどこへも行かないし、行けない。それはライ、お前が一番わかっていることだろう?」

「え?」

「お前と会えて、本当に良かった。どうやらワタシは、化物扱いされて森なんぞに閉じ込められても、存外楽しんでいるらしい」

「まさか、僕の心を読んで……?!」

「習得中、と言ったはずだ」

 言いながら、魔女は少年の腕を掴んで立ち上がる。

「さあ、元居た場所へお帰り」

 魔女はそのまま、少年を軽々と上へ放り投げる。

 投げられた少年の身体は、そのまま空へ向かって上昇していく。


未来そっちのワタシを、よろしくな」


 魔女の姿が、一本の木が、ヒマワリ畑が、遠のいていく。

 遠くなって、小さくなって。

 そして。



* * *



 気がつくと、少年は書庫で仰向けに倒れていた。

 瞼の裏に青空とヒマワリ畑がこびりついているような錯覚を覚えながら、少年はぐるりと周囲を見回す。

 ここは暗闇の森の中にある魔女の家、その書庫だ。

 掃除をするために書庫へやってきた少年は、まずは書架の埃を払おうと踏み台を使って上の段へと手を伸ばし、そこでバランスを崩して転倒してしまったのだ。反射で手を伸ばした指先が触れたのだろう、少年の側には本が落ちている。

 さっきのヒマワリ畑はなんだったんだろう。頭を強くぶつけて見た夢か幻だったのだろうか。

 そんなことを考えながら、少年は身体を起こす。

 同時に、ドタドタと大きな足音をたてながら、血相を変えた魔女が姿を現した。


「だっ、大丈夫かライ?! 今しがた、すごい音がしたぞ?!」

「……」

 少年の身を案じる魔女の顔に、火傷の跡はない。

 やはり夢だったのだろうか。

 魔女に身体を揺さぶられながら、少年はぼんやりと思う。

「おい、大丈夫か? ワタシが誰か、わかるか?」

「……ヒマワリ……」

「ラ、ライがおかしくなった……!」

 動転する魔女は、しかし少年の側に落ちていた一冊の本が目に止まると、ああなんだ、と納得した風に息を吐いた。

「なんだライ、懐かしいものを引っ張り出してきていたのだな」

 ひょいと本を手に取った魔女に、少年は首を傾げ、

「それ、なんなんだ?」

と魔女に問いかけた。

「これは日記のようなものさ」

 懐かしむようにページを捲りながら、魔女は言う。

「この森に封じられる前の記憶だ。そうそう、このヒマワリ畑は特に美しかった。きっとライに見せてやりたくなったんだろうな」

「だろうなって……、まるで記憶が自我を持ってるみたいに言うのな」

「なにを言っているんだ、ライ。記憶が自我を持つのなんて、当たり前だろう?」

「そういうものなのか……?」

 魔法に関する知識に疎い少年は、納得しきれないままにそう返した。


 ――未来そっちのワタシを、よろしくな。


 記憶が自我を持つというのなら。

 この日記に記された過去の魔女は、なにを思い、自分にあの言葉を託したのだろう。

 少年にはわからない。

 今は、まだ。

「ワタシを殺してこの森を出たら、行ってみると良い。この記憶は随分と昔のものだから、現存しているかはわからないがな」

「……ふうん」

「んん? なんだライ。お前、ワタシと一緒に見に行きたいのか?」

「なっ?! 微塵にも思ってねえよ、そんなこと!!」


end

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心が読める不死身の魔女と色のない嘘吐き少年 爽川みつく @sawagawa329

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