第90話 ゴーレム島 防衛戦1

 健人が獣人ヤグの集落から逃げ出していた頃。

 ゴーレム事務所で一人、梅澤は名波議員と通話していた。


「なぜ、彼を派遣したんですか?」

「日本でも有数の魔法使いで実戦経験も十分。お人好しな性格で責任感もある。選ばない理由がないと思わない?」


 日本政府は善意だけで、健人と関わっていただけではない。魔法の威力、実戦経験、扱いやすい性格。不測の事態に陥った時、利用できる駒として確保していた。


 むろん侵入者を消す冷徹な判断を下せるといった、事実も把握している。だが生来の性格は変わらないものだ。逃げ場のない場所に追い詰めない限り、予想通りに動くと予想している。


「でも、断っていた可能性もあったのでは?」

「もちろん。そうしたら、あなたが断ったせいで、また人が死にましたと言うつもりだった。そうすれば今度こそ引き受けると思うの。まぁ、彼がうなずくまで何度も依頼していたけどね」

「……なぜ、そこまでこだわるのですか?」


 所詮、数ある駒の一つでしかない。

 そう考えていた梅澤は、執拗なまでにこだわる名波議員に、まだ裏があるのではないかと不信感を抱く。


「……ゴーレム島で、ぬくぬくと生活されて困る人もいるの」

「それは!」


 秘書をしていた梅澤は、その一言で、隠されていた意図を把握する。


 所詮は他国の問題。成否なんてそれほど重要ではない。


 依頼を達成すれば良し。失敗して死亡すれば、ゴーレム島を遺産として手に入れた親族から手に入れる。日本政府はそういった算段で、今回の依頼は健人に引き受けさせようと画策していた。


「はぁ。何で私がこんな嫌な役をやらないといけないのかしら」


 もちろん。これは名波議員の発案ではない。上からの圧力により、汚れ仕事をさせられているのだ。ある意味彼女も被害者だった。


「立場上、それは断れないですね……」

「ふーん。政治から離れてても、この程度は分かるわけか。この話を漏らしたら梅澤の家族は……」

「理解しています。口外しません」

「よろしい」

「ですから一つだけ質問をさせて下さい。日本政府は本当に彼を――」


 殺したいのですか? と、梅澤が言葉を続けようとしたが、それは叶わなかった。


「今は電話中だから静かにして! え!? 新宿のダンジョンで!? 梅澤、急ぎの要件が入ったわ!!」


 慌てた名波議員が、突然電話を切った。

 電話を耳に着けたまま立ち尽くしていた梅澤だが、しばらくして周囲が騒がしいことに気づく。


「ん? この音は?」


 電話をしまうと、耳を澄まして異音を聞き取るのに集中する。


 人を不安にさせる音が繰り返されている。それは地震発生時のアラーム音に似ていて、異なる音。


「まさか!」


 それは一度だけ聞いた、ゴーレム島内に設置した警報装置の音だった。

 血の気の引いた梅澤が、事務所内にあるパソコンで発生位置を確認する。


「これは……マズイですね……」


 ヴィルヘルムの指示のもと作成した警報装置は、魔石にだけに反応する。それがゴーレム島の海岸沿いに設置した、全てが反応しているのだ。


 一つ、二つ程度なら、大量の魔石が盗まれ、海岸付近まで誰も気づかなかったケースも考えられる。だが、外周をぐるりと囲むように警報装置が反応している現状では、可能性はゼロに近い。


 外から魔石が運び込まれたと考えたほうが現実味がある。と、考えたところで梅澤は気づいてしまった。


「もしかして…………魔物が上陸している?」


 最悪の事態を想像した梅澤の声はかすれ、マウスを持つ手の震えが止まらない。


「梅澤さん!」


 ゴーレムダンジョンの入り口を警備していた、礼子と明峰が事務所に飛び込んできた。


「目測で約二十体の魔物がダンジョンの外に向って移動していました! 原因は不明ですが、マニュアル通りに、周辺の魔物を一掃してから入り口を封鎖しています!」


 背筋を正し敬礼をした礼子が、耳をふさぎたくなるような報告をした。


「そっちも問題が発生しているんですね……」


 自らの運の悪さを呪うように天井を見つめている。


 警報が発生している原因を、すぐにでも確認したい。そう思った梅澤は再びパソコンのディスプレイを見て、動きが止まった。


「梅澤さん、どうしたっすか?」


 警報音が鳴り響くゴーレム事務内に、明峰の明るく抜けた声が響いた。だが話しかけられた梅澤は、一向に気づいた様子もない。


 不審に思った明峰が肩を触って揺らすと、ようやく重い口を開いた。


「ゴーレム島に設置した警報装置ですが……海岸部にあるものが全て反応しています。悪いことに、ゴーレムダンジョンに向かうように警報装置の反応が増えています……」


 ディスプレイにはゴーレム島全体の地図が表示されており、警報装置がアイコンとして配置されていた。


 通常は白、警報が発生すると赤くなる。それが、外側から内側に向かって警報装置の赤色が増えているのだ。もはや魔石泥棒といった、楽観的な考えは吹き飛んでいた。


「まさか外からも魔物が来ている?」

「その可能性が高いですね……緊急時の責任者は礼子さんです。どうしますか?」


 梅澤は問いかけるような視線を礼子に向ける。

 心配そうに見つめる明峰をよそに、礼子は目を閉じて動かない。

 その間にも、警報装置の反応は刻一刻と増えている。


「……人を守り魔物を倒すだけです。普段の業務と変わりませんね。魔物に攻め込まれていると想定して動きましょう」


 決断をしたくない!

 他人に頼りたい!

 失敗したくない!

 そんな礼子の弱い心を押し殺した言葉だった。


「ここは孤島。逃げ道はありません。籠城しながら助けを待ちましょう!」


 非戦闘員を抱えて、魔物の包囲を突破するのは難しい。さらに逃げ出すとしても移動手段は健人のクルーザーと定期船しかない。


 魔物に囲まれている以上、どちらも使えない。ゴーレム島から脱出できない以上、籠城戦しか取れる手段はなかった。


 幸いにもゴーレムダンジョン周辺は、厚いコンクリートの壁に囲まれている。籠城しようとと思えば、数日は持ちこたえることができると礼子は考えていた。


「明峰は研究施設に急行し、ミーナさんたちをここまで連れてくるように。可能であれば食料も確保だ!」

「うっす!」


 明峰は、指示を聞くと全速力で研究施設に向かった。


「梅澤さんはダンジョン探索士に事情を説明して、半数はダンジョン前の見張り、もう半数は広場の周囲を監視させてください」

「はい!」


 外に出た梅澤は広場にいるダンジョン探索士に、魔物に襲撃されていること、逃げ場がないことを伝え始める。


「……私は本島に連絡をしますか」


 二人を見送った礼子は、携帯電話を取り出すと電話をかける。

 連絡先は2つのダンジョンの取りまとめをしている名波議員の事務所だ。


「…………」


 電話のコール音が長く感じるなか、数分待ってようやく相手と繋がる。

 だが相手の反応は、これでようやく応援がくると安堵した礼子の期待を裏切るものだった。


「ゴーレムダンジョンの運営をしている大和――」

「ゴーレムダンジョンの方ですね!? よかった! 連絡するところだったんです! 実は今、全国各地で魔物が暴れているんです、そちらにいるダンジョン探索士を派遣してもらえないでしょうか?」


 通話相手は悲鳴にも似た声で一方的に喋り立てる。電話越しからも余裕のなさがうかがえた。


「待って下さい! こっちも襲われているんです! 移動手段だけでも用意してもらえないでしょうか!」

「そ、そんな余裕はありません! 派遣は不要ですので、どうにかして下さい!」

「どうにか出来たら……って切れてる!!」


 通話が切れてしまい携帯電話を持ったまま呆然と立ち尽くす礼子。


 しばらくしてからハッと気づき携帯電話を操作してニュースサイトを表示すると、日本の沿岸部で魔物が襲撃していると緊急速報が掲載されていた。

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