第65話 魔道具の販売
梅澤が100ページはあろう資料の束を、ダイニングテーブルに叩きつける。
魔道具のテストという口実で、健人がゴーレムダンジョンばかり行くので、書類仕事が溜まっていた。
「後で――」
「今日中に確認してください」
「はい……」
梅澤の有無を言わせぬ態度に、健人は顔を引きつらせながら資料を手に取る。
「なんだか大量にあるけど……これって、なんの資料なの?」
「魔物除け箱と軽量リュックの取扱説明書ですね。これらは、魔道具安全委員会への提出資料になります」
つい先日、魔道具の安全性の検査する「魔道具安全委員会」が新設された。検査をクリアした魔道具でなければ、第三者への販売が禁止されている。
検査項目は、魔道具の効果によってまちまちだ。人体に影響があるような魔道具であれば審査は厳しいが、魔物避けなどの魔道具であれば、説明書と現物を提出するだけで審査される。
「あれか……名波議員への提出資料ね」
魔道具安全委員会の委員長は、名波議員だ。本人は「さらに忙しくなる!」と不満を漏らしているが、順調に経歴を積んでいるので、言葉ほど後ろ向きな印象はない。
「そうです。なので、早く確認してください。すぐに提出しますから」
「了解、了解っと。さっさと確認しますか」
手に持った紙の束には、使い方、注意事項、魔道具の構造などが細かく記載されている。梅澤が隣にいることを忘れて資料を読み込んでいると、紙をめくる音とだけが部屋に響き渡る。
それから数時間後。資料を読み終わった健人は梅澤に手渡すと、すぐにコテージから出て行き郵送の手続きを終わらせる。
一週間後には魔道具の性能が良かったのか、それともコネの力なのか分からないが、異例の速さで、検査通過の通知が健人の手元に届く。
健人とエリーゼが出会ってから2年。これでようやく、地球で初めて魔道具を販売できる体制が整った。
◆◆◆
ゴーレムダンジョン前の広場には、入出の管理と魔石を売却するゴーレム事務所、ゴーレムダンジョンの入り口を塞ぐゲート、そして探索に必要な消耗品を販売している雑貨屋がある。
ゴーレム事務所やダンジョンには、毎日、多くのダンジョン探索士が訪れるが、雑貨屋は違った。品揃えが悪く、ここでしか買えないものがない。消耗品を買い足すぐらいしか利用されない。毎日、閑古鳥が鳴いており、赤字を垂れ流していた。
だがそれも昨日までの話。今日からは、目玉商品として魔道具が販売することが決まっている。
「私が売り子で、大丈夫かしら?」
雑貨屋の奥にあるカウンターの内側に、エリーゼと健人が立っている。近くには最近作られたばかりの軽量リュックと魔物除けが置かれており、店内には携帯食料やペットボトルなどが並んでいる。雑貨屋の入り口付近には防刃ベストといった、探索で使う衣類がある。が、数は少ない。
「ヴィルヘルムさんを抜いたら、一番魔道具に詳しいからね。ダンジョン探索士は大雑把な人間が多いし、接客の心配なんてしなくて大丈夫だよ。」
今までの雑貨屋は、健人と梅澤が持ち回りで店番をしていた。アルバイトを雇う余裕がなかったのだ。
だが最近は、2人の本業が忙しくなり余裕がなくなってきた。
そこで決まった仕事をせず、自由気ままな時間を過ごしているエリーゼに、白羽の矢が立ったのだ。
「接客の心配よりエルフの私が表に出ていいのか、心配しているだけよ?」
「最近は、みんな慣れてきたから大丈夫じゃないかな」
以前なら表に出すことを躊躇したかもしれない。
だが、雑誌に掲載されたのをきっかけに、エリーゼは画像系SNSのアカウントを作成。毎日画像を投稿して、とてつもない数のフォロワー数を獲得していた。
そのSNSでエリーゼの写真が数多く公開されたことで、希少性が薄れ、表に出しても大丈夫だと健人は判断していたのだ。
「SNSのことをいっているの? あんなの、本当に効果あるのかしら?」
毎日のように画像を投稿しているエリーゼだが、健人の指示でメッセージは届かないように設定している。一方的に投稿するだけだ。
それをエリーゼは、日記のような感覚で使い、あまり他人に見られているという感覚は持ってない。
「そうだよ。多くの人に見られている。慣れてきたと思うし、前ほど騒がれることはないと思うよ?」
写真で見慣れているとはいえ、本人が目の前に現れたら、騒ぐなというほうが無理だろう。芸能人と同じだ。変な所で健人の危機管理は甘かった。
「はいはい。健人店長のおっしゃる通りよ」
「店長って……」
「あら? 間違ってないでしょ? それとも健人社長の方が良い?」
「俺は社長って柄じゃないよ。出会った頃から、何も変わってないでしょ?」
「そうよね。健人はいつも普通に接してくれる。誰にでも出来ることじゃないのよ? そういうところ、私、好きよ」
日本人はストレートに感情を表現することが少ない。だが、いつ死ぬか分からない職業についていたエリーゼは違う。言いたいことは、はっきりという。
無理に我慢せず、後悔しないように思うがままに生きる。そういった考えが染みついているため、ごく自然に「好き」と発言していた。
「あ、あり……がとう」
生粋の日本人であり、気を使うことの多い健人は、ストレートな感情表現に慣れていない。年甲斐もなく「好き」という単語に過剰に反応してしまい、顔がリンゴのように真っ赤になっている。
誰もいない店内で2人が見つめあう。
しばらくて雑貨屋のガラス製のドアが開き、梅澤が入ってきた。
「甘い空気を出しているところ悪いんですが、そろそろ第一陣が来ますよ?」
梅澤が入ってくると2人とも慌てて距離を取り、お互いを見ないように顔をそむける。
「も、もうそんな時間だったかしら? 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうわね……」
エリーゼは、一瞬、眉を下げて悲しげな表情をする。
店員を始める緊張感より、健人との時間が終わってしまう寂しさの方が上回っていた。
「しっかりしてください。今日が初日なんですよ」
「梅澤さんに言われなくても分かっているわ。今日は、健人のために売り切るつもりよ!」
注意されてすねたエリーゼがほほを膨らませ、梅澤はそんなあざとい行為を受け流す。
「数量限定ですし、なんとか売り切れると良いですね」
魔道具は、工業製品とは違い大量生産は出来ない。魔道具は誰でも使えるが、まずは少数を限定販売として売り出す予定だ。大々的な告知はせず、ゴーレム事務所でチラシを配るぐらいの告知しかしていない。
「大丈夫! 性能は問題無し、実際に何度も改良して使いやすくなっている。さらにダンジョン探索士であれば、払える価格設定。売り切れないわけがない!」
初めて商品開発、販売の責任者となった健人。不安になりながらも「売り切れる」と自分に言い聞かせるように言い切る。
「期待していますね」
ゴーレム事務所で受付をしなければならない梅澤は、簡単な返事をするとすぐに出てしまった。
梅澤が出たことで営業していると気づいたのか、すぐに魔道具を求める客が1人。店内に入ってくる。
「いらっしゃいませ」
ガッシリとした体形で坊主頭。20代半ばに見えるダンジョン探索士は、エリーゼの挨拶を無視するかのように店内を物色している。一通り店内を見渡してから、目的のものを見つけてカウンター前にある魔道具に近寄った。
「魔道具をお探しですか?」
話しかけられたことで、ようやくエリーゼの姿を見て、動きを止めた。
普通の人間が店員をしていたと思い顔を見たら、噂のエルフだったのだ。予想外の事態に動きが止まってしまうのも無理はない。
「こ、この魔道具について説明を聞きたい」
言葉を詰まらせながら話し出す。
「軽量リュックですね。底板に魔石を入れると重量が軽くなります。だいたい10分1程度の軽さになりますね。小さい魔石で、1日稼働します。魔石の中にある魔力が20%を下回ると、徐々に荷物が重くなるので注意してください」
あらかじめ決めていたセリフを一気に伝える。店員としては褒められた行為ではないが、初日だと考えれば及第点ではある。
「残量の確認はどうすれば……?」
「リュックの肩ひもにあるパネルが黄色くなったら残り30%、赤くなったら10%といったような方法で確認できます」
「なるほど……」
厳つい見た目とは逆に、低姿勢な話し方をするダンジョン探索士。エリーゼ後に立った健人は、力を抜いて安心して見守っている。
「試しに買ってみようかな……」
元から購入する意思があり、ほぼ即決だった。これなら物さえ置いておけば、接客せずとも購入されただろう。
「お買い上げありがとうございます! すぐに使いますか?」
そうとは知らず、自分の接客で購入してもらえたと、エリーゼは喜んでいる。健人は、そんな気持ちに水を差すことはなく、優しいまなざしで見守ったままだ。
「ええ。これから探索に向かうので使いたいと思います」
「ではこのままお渡ししますね」
支払いが終わり商品を受け取ったダンジョン探索士が、思い出したようにエリーゼに話しかける。
「魔物を攻撃するような魔道具を、販売する予定はありますか?」
「ごめんなさい。人に危害を与える可能性があるので、販売許可が下りていないんです」
「魔法以外にも攻撃手段があれば楽になるなっと思っただけなので……き、気にしないでください! まずは今日買った軽量リュックを試してみます」
エリーゼが困ったような表情をすると、驚いたダンジョン探索士が手をせわしなく動かし、逃げるように雑貨屋を後にした
「ありがとうございました!」
急な行動にあっけにとられたエリーゼは、遅れて頭を下げて見送る。すると、入れ替わるように新しくダンジョン探索士が入ってきた。
その後も、最初の接客から休むことなく働き、午前中には用意していた魔道具は完売。開店以来、初めての黒字を記録した。
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