第114話 触れてはいけないところ

 芍薬しゃくやく甘草かんぞう桂皮けいひ山薬さんやく。定期的に「外」から運ばれてくる品物の中から、左京が発注していた生薬を受け取り、京介は肩に白虎丸を乗せたまま急いで彼の篭る小屋へ向かう。


 最近は鍛錬の合間にこういう使いっ走りみたいなことをするのが日課になっていた。左京の元で基礎的な稽古をする合間に、いつしか左京の現在の本職である薬師の手伝いをやらされるようになっていたのだ。手伝いの内容としては、今日のような生薬の受け取りや、受け取った生薬の分類、左京が調薬した薬を求める天狗への薬の配達などである。途中までは鳥の頭をした小柄な烏天狗がその役目を担っていたのだが、怪我を負ってしばらく動けないからと、現在は京介が肩代わりしている。


 京介がいつも薬を受け取るのは、外からの物資が運ばれてくる南門と呼ばれる切妻屋根を乗せた門だ。太陰三山のウラの領域へ入る時に使った門とは全く別物の門で、こんな風に、ウラの領域には数カ所の門があるらしかった。


 物資が運ばれてくる時間は決まっているので、京介は左京に生薬の受け取りを頼まれると、定刻にはこの門の前に着くように左京の薬部屋を出発する。最初は鍛錬の時間が取れなくなるので嫌だったのだが、たどり着くまで、高低差のある長い距離を歩いたり走ったりしていくうちに体力が今まで以上についたので、京介はとりあえず良しとしている。


 生薬を受け取る時に毎回思うのが、運び込まれてくる物資の豊かさである。あやかし独自の経路があるのか、都に行かない限り手に入らなそうな高価な反物や生薬、食材が続々と入ってくるのを初めて見た時は驚いた。毎日白亜の配下の者たちが出してくる食事の材料で、外から入手していそうだとは想像していたのだが、量こそ少ないものの、都に運びまれてくる物資たちに匹敵するほど豊かなものとは思いもしていなかった。


 毎回受け取る生薬もそうだ。百世の国には自生していない植物由来のものまであり、明らかに異国から取り寄せている。あやかしの社会は、思っていた以上に整っているのかもしれない。こんなこと、時折舞い込んでくるあやかし退治や悪霊の調伏の依頼を受けつつの都暮らしなら、絶対に知りえなかったことだ。鬼の国でも書庫に引きこもらずにもっと街を観察すればよかったと、今更ながら後悔する。


 左京の元へ戻ると、彼は相変わらず部屋の奥で背中を丸めて、せっせと薬研で生薬を砕いていた。


「戻りました」 


 背中へ声をかけると、左京は作業を続けたまま「おう」と返事する。


 京介は、最低限の空間を残して並ぶ大きな薬棚の引き出しへ、受け取ってきた生薬を仕分けして仕舞う。白虎丸はいつの間にか肩から降りていて、熱心に毛づくろいしてる最中だ。


「なんだか今、大変なことになってるみたいですよ」


 仕分けしながら左京へ声をかけたが、作業に没頭しているのか無反応だ。気にせずに京介は続けた。この話を話すために、わざわざいつもより急いで帰ってきたのだ。


「侵入者が出たそうです」


「……侵入者?」


 相変わらず手を止めることはしなかったが、さすがに興味を持ったようだ。


「通常門付近の狗賓の群れが壊滅したそうで、今その犯人を天狗達が探し回ってるそうです。腕に自信のないものは、極力外へ出ないようにと触れも出てます」


 全て外からの物資が運び込まれてくる南門で仕入れた情報だ。京介のように、物資を受け取りに来ていた天狗達がひそひそと話をするのを聞いた。


「こういうことって、あるんですか?」


 緊迫した天狗達の表情を思い出しながら京介が尋ねると、左京は「ないな」と手短に答えた。それからおもむろにこちらを向き、「桂皮」と一言発する。

京介はちょうど引き出しへ入れようとしていた褐色の管状のものを何本か抜いて、宙へ伸ばされた左京の手のひらへ置いた。左京は受け取ると、頭上から差し込む連子窓からの明かりでそれを透かし見る。


「間違えなくなってきたじゃねえか」


 満足げにそう言い、薬研の中央部の窪みへ必要な分量の桂皮を投げ入れる。

 左京の手伝いを効率よくこなすために、生薬の名前と見た目を覚えざるを得なかった京介は微妙な気持ちになる。本当は陰陽師として一段上へ進むために左京の元にいるのに、薬師見習いでもやってる気分になる。京介が、どれだけ鍛錬しても陰陽の均衡を保つことができない特異体質だと知ってもなお、毎日稽古をつけてくれるので、文句は言えないが。


「少なくとも、俺がここに来てからはないな」


 再び薬研で薬を砕き始めた左京は、中断したはずの会話を再び再開した。京介はこれ幸いと「左京さんはいつからここにいるんですか」と尋ねる。ひょっとしたら、どうして土御門一門を抜けて、あやかしの元で薬を作っているのかがわかるかもしれない。謎に包まれた左京へ、京介は興味津々なのだ。


 左京は背を向けたまま、「お前くらいの歳からだよ」と淡々とした口調で述べた。京介は目を丸くする。隣で話を聞いていた白虎丸が「ふえー!」と素っ頓狂な声をあげた。


「ってことはあんた、六十年くらいはここにいるってことか」


 言った瞬間、左京が振り向きもせずに「ああ?」と恐ろしげに呻いた。白虎丸が「ひっ」と京介の肩へ飛び乗る。京介は苦笑しながら白虎丸をなだめた。


「それじゃあ左京さん七十代になっちゃうよ」


 歳を教えてもらったわけではなかったが、左京の顔を見るにまだ五十代後半といったところだろう。気むずかしげな顔のせいで老け込んで見えるが、皺はそれほど多くない。


「けれど、数十年はここにいるってことですよね。そんなにも長い間ここで薬師を?」


「そういうことだ」


 京介は、天狗達の間での左京の薬の評判を思い出す。天狗達は、左京を信頼しており、薬を届けに行った時はいつも嬉しそうな顔をしていた。薬の内容は、単なる風邪薬に始まり、痛み止めや咳止め、婦人病に効くものなど様々で、老若男女の天狗達に必要とされている。白亜の目の薬も、左京が調合したものを使っているらしい。普通は人間が入り込むことのないウラの領域で、人間が作った薬を頭領までもが服用しているのだ。数十年にもわたる歳月をかけて、左京は天狗達の信用を勝ち取っていったのだろうか。


「人里には、戻らないのですか」


 一瞬ためらいがちに口を動かしてから、京介は慎重に質問を重ねた。左京は黙したまま、「んー」と息だけ吐く。


「おいおっさん、なんか言えよ」


 京介は無言で白虎丸の尾をぐっと引っ張った。白虎丸が「びゃっ!!?」と悲鳴をあげる。


「……頃合いを見計らって、帰ってもよかったんだがな」 


 静かな、けれど、底に響くような声音で、左京は呟いた。いつの間にか薬研車から手を離し、連子窓を見上げている。


「頃合い?」


「ああ。だが、結局戻らなかった。都へ帰ったって、居場所なんざなさそうだっ

たからな」


「破門にでもされたのか?」


 懲りずにまた白虎丸が話しかけたが、京介は今度は尾を引っ張ることはしなかった。誰にでも触れられたくない過去はある。左京の過去もその類かと思い、慎重に言葉や時期を選んで質問していたが、左京が案外機嫌を悪くした風もなく話すので、いっその事白虎丸にグイグイ質問させた方がいい気がしたのだ。


 やはり左京は、別に気分を害したわけでもなさそうに答えた。


「破門じゃねえよ。逃げてきたんだ。命が危なかったんでな」


「命が!?あやかしから恨みでも買ったのか」


「ちげえよ。師匠からだ」


 思わぬ言葉に、白虎丸は驚いたのか口を閉じた。京介も息を飲んで、左京がその先を続けてくれることを期待した。


「師匠の触れちゃいけねえところに、触れちまったのさ」


 その言葉に、京介はゴクリと生唾を飲み込む。警告のように感じたのだ。これ以上俺の過去に触れてくれるなと。さすがの白虎丸も、言外に込められた意図を感じ取ったのか、肩の上でじっとしている。


「ま、昔の話だ」


 固まる京介たちを尻目に、首をポキポキと鳴らして左京は「よっこらせ」と腰を上げた。それから京介の方へ歩いてきて、


「お前も気をつけろよ」


 と、流し目をよこす。


「え?」


「お前も訳ありだろ。陰陽師がこんなところにいるわけねえからな。言いたくな

きゃ言わなくてもいいが、なんか妙なことに首突っ込んでるんじゃないのか」


 まさにその通りといえばそうである。下手したら、紫紺の差し金で良くて桜木一門からの追放、悪くて殺されるかの状況である。こちらの動きはある程度把握されているのに、まだ何もしてこないのが不気味だ。


 京介の無言を是と受け取ったのだろう。左京は「へっ」と短く笑う。


「せいぜい気をつけな」


 初めて会った時のような、底意地の悪そうな笑みを浮かべた左京は、「ほら、鍛錬だ。始めるぞ。」と声を張り上げながら、小屋の戸を開けて外へ出て行った。

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