第113話 碧玉

 葵たちが侵入者を探して山中を駆け回っていると、捜索隊らしき天狗たちの集団とすれ違った。皆手に武器を持ち、緊張の走った顔で背中の翼を羽ばたかせて飛んで行く。


 その表情が、あの日の出来事と重なり合う。まだ事態が把握できず、茜に急き立てられて着の身着のまま武器庫へ駆けつけた時だ。皆、前代未聞の出来事に緊張し、不安な表情をしていた。


「葵、大丈夫か」


 頭上を飛んでいく天狗たちを見送ったまま足を止めた葵を見て、五色が気遣うような声をかける。


「ああ。大丈夫だ。ただ、思い出しただけだよ。あの日のことを」


 五色も思うところがあったようで、無言のままその言葉を受け止める。


 葵は、さらりと口をついて出た自分の発言に、少し驚いた。そう言えば、こうやって誰かに御山の襲撃の日のことを自分から切り出すのは、随分と久しぶりのような気がした。普段共に旅をしている京介たちは、あの悪夢の日を共に過ごしたわけではなかったし、弱みを見せるような気がして、自分からこの話題を話すことはほとんどなかった。この話を切り出せるのは、あの夜を共にした、五色を始めとする御山の天狗たちだけなのかもしれない。葵は舌で唇を湿らせてから、ずっと心の奥底に引っかかっていたことを切り出した。


「なあ、五色。あの夜、みんなで炎上している屋敷の中央部に駆けつけたとき、みんな何かに怯えて足を止めてたけど、あれはなんだったんだ。そりゃあ、御山が襲撃されて俺も怖かったけど、みんな一斉に、何かを見て、いや、何かを感じて怖がっているように見えて。俺だけ、何なのかわからなかったんだ」


 屋敷を燃やす赤い炎が、鮮やかに脳裏に映し出される。確か、あの後だった。光り輝く五芒星の陣が現れて、地面を焼き焦がしたのは。


「ああ、葵は人間だから、感じなかったのかもな。あの嫌な感じを」


「みんなあやかしだから感じたってのか」


 尋ねると、五色は「そういうこと」と頷いた。


「何て言ったらいいんだろう。とにかく気味が悪い気配でさ。今思えば、襲撃者は陰陽師だったわけだろ。多分、俺たちあやかしを滅する術が、嫌な感じの正体だったのかもな」


「対あやかし用の……」


 葵は、京介から旅の途中で聞き齧っていた知識を頭の中で総動員させる。陰陽師があやかしを退治するときに使う術は、すべて退魔の力が込められており、それによって、より大きな被害をあやかしに与えることができる。陰陽術に組み込まれた退魔の気配。あやかしは、それを本能的に悟ることができるのだろう。


「……今、そういう気配はないのか」


 不意に心配になり、葵は五色へ尋ねた。五色はちょっと目を閉じたが、「ない」とすぐ首を横に振った。


「じゃあ、殺された狗賓たちからは」


「そういうのは感じなかった」


「じゃあ少なくとも、侵入者は陰陽師じゃないな」


 薄々、侵入者が陰陽師、それも紫紺の手の者かと疑い始めていた葵は、そのことに少し安堵する。しかし、事態が事態だ。狗賓を殺した犯人が陰陽師でなかろうと、太陰三山に不法侵入した奴だ。どのみち、よくないことを企んでいるに違いない。


「ん、あ、おい。葵、あれ白亜さんじゃないか」


 五色が、先ほど天狗たちが来た方向を向いて声をあげた。つられて葵もそちらへ視線を向けると、見慣れた白い着流しを来た男が、こちらに向かって歩いてきていた。


「やあ、おはよう。……と言っても、もう昼頃かな」


 白亜は葵たちのところまで来て、足を止めた。


 こんな非常事態だというのに、白亜の様子は平常時と全く変わらない。相変わらず泰然としており、余裕すら伺える。


「確か、君たちが第一発見者だったね」


「はい」


 哀れな狗賓たちのことを言っているのだろう。白亜は、そこでようやく悲しそうな表情を見せた。


「彼らは、勇敢に戦ってくれたようだ。埋葬作業の際、私はそばに寄って遺体を検分してみたのだが、爪や牙が欠けていた。それに、周囲の茂みや地面を見ると、争ったと見られる形跡も確認できた。だが、それでも尚、侵入者には敵わなかった……」


「あんたは、侵入者に目星はついてるのか」


 葵が率直にたずねると、白亜は「そうだね。あくまで私の推論、というか、捜索隊の予想だが」と前置きしてから話し出した。


「おそらく、侵入者は少数だ。少数精鋭とも言うべきかな。何せ、襲い来る狗賓の群れをほぼ壊滅させるほどの力量を持っている」


「少数だと思う理由は?」


「大人数なら、目立つのでどうせすぐ見つかる。分散して行動していたとしても、ある程度の人数が侵入していれば、山の烏や、天狗たちにすぐ見つかるはずだ。それに、狗賓たちの傷の付き方」


 白亜は、すっと目を細めた。


「どれも同じだ。場所も、深さも、切り込みの癖も」


「まさか、たった一人で狗賓を壊滅させたっていうんですか!?」


 思わす口を挟んだ五色の声が、思いの外しんとした森の中に響き渡る。


「まあ、かなりの確率でそういうことになるね。けど、これはあくまで狗賓を殺害

した犯人の人数だ。犯人が他に仲間を引き連れている可能性もある」


「犯人は、あやかしだと思うか?それとも、人間だと思うか」


 また放たれた葵の問いに、白亜はゆったりと答える。


「それは、わからないね。だがもし、人間だとしたら、只者じゃないだろう」


「……けど、陰陽師ではないですよね」


 五色が半分不安そうに、半分安堵した様子で口を開く。


「おや、なぜそう思うんだい」


 二人は、死んだ狗賓たちから退魔の術の気配がしなかったことを白亜に告げる。しかし、白亜はそれでは納得しなかったようだ。


「けれど、狗賓たちの傷は、すべて刃物で、おそらく刀によってできたものだったが」


「刀にも、退魔の術を付着させることは可能だ。それに、刀そのものに退魔の力が宿っていたりするものもあると、京介は言ってた。陰陽師なら、あやかしを相手にする際は、必ず何らかの形で退魔の力が宿った術か武具を使うとも」


「絶対と言えるかね」


「それは保証できない。……京介の受け売りだからな」


 歯切れ悪く葵が答えると、白亜は少し笑う。


「私は、京介くんを疑っているわけじゃないが、それはあくまで彼の経験や知識によるものだろう。すべての陰陽師がそうなのかな」


「それは……」


「要するに、陰陽師という線はまだ消してはいけない。あらゆる可能性を考慮しなければいけないよ。まあ、私は最悪な事態を考えてしまう癖があるから、侵入者の正体が陰陽師という最悪の可能性の方へ思考が傾いてしまっていることは、否めないが」


 最後の方は多少苦笑まじりに言うと、白亜は「ああ、そうだ」と思い出したように懐に手を入れた。


「これは、最悪の事態に備えるためにすることなのだが」


 前置きの言葉を合図に、懐から抜かれた白亜の白い手には、暗い青色をしたぎょくが握られていた。高値で売れそうな碧玉だ。


「その玉と最悪の事態に、何の関係がある」 


 葵はしかめっ面で目の前に出された碧玉を見つめる。碧玉は、深い青の中に、白い光がぼうっと灯っているようにも見えた。その白い光は、玉の中でゆらゆらと波打つように揺れている。綺麗ではあるが、奇妙なぎょくだ。


「今は知らなくて良いことだ」


 白亜は、葵へ碧玉を差し出した。


「これを、君に持っていてほしい」


「え、こんな希少そうな玉を!?」


 葵ではなく、隣の五色が驚きの声を上げる。


 葵は、「なぜだ」と冷静な口調で問うた。


「理由も聞かされずに受け取ることはできない」


 好きでもない相手から、いきなり値打ちの高そうな碧玉を渡されたところで、気味が悪いだけだ。葵は白亜の返答を待った。しかし、はぐらかすような返事をもらっただけだった。


「先ほども言ったが、最悪の事態になった時に備えるためだ。それが私のそばにあるのは、良くない」


 これ以上問い詰めても、白亜は多分同じことしか言わないだろう。葵は質問を少し変える。


「……じゃあ、わざわざ俺に渡す理由はなんだ。他の、もっと信用の置けるここの天狗に渡したほうが良いんじゃないのか」


「そうだね。普通に考えるとそうだ。けど、この場合は太陰三山の天狗以外に託したほうが良いんだよ」


 喋りながら、白亜は流れるような動作で葵の手を取り、そこへ碧玉を押し込むようにして手渡す。


「ここの天狗以外だから、これを渡す相手は、京介でも沙羅でも九尾でも、そして、五色でも良いんだが、とりあえず君に渡しておく」


 押し込められた碧玉は、思いの外冷たかった。葵はそれに少し驚いて、碧玉へ視線を落とす。その間も、白亜は喋り続けていた。


「決して、失くしたり奪われたりしてはいけないよ。そして、持っていることを悟られてもいけない。何があっても。そして、もし色々と事が済んだら、この玉を山へ返しに来て欲しい」


 意味深な言葉を残すと、白亜は背中の白い翼を広げた。地面を蹴って、空へ飛び上がる。


「頼んだよ」


 声は聞こえなかったが、口の動きからそう言われた気がした。

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