第95話 九尾の問い

「頭領、すみません」


 絞り出すような声で、葵は言った。


「紫紺にあれほど接近したというのに、あいつの弱点も何も掴めなくて」


 膝の上に置いた拳を握りしめ、葵はうなだれる。


 紫紺の襲撃を目の当たりにした頭領は、彼のその力、その思想から、あやかし全体の世界に関わる一大事だと紫紺の存在を危険視した。そして、紫紺を阻止するための先駆けとして、葵を御山から送り出し情報の収集に当たらせたのだ。

頭領の見通しどおり、紫紺は危険極まりない男だった。帝の寵愛を受け、陰陽師を統括する陰陽寮の実権を牛耳っており、彼に心酔し取り入ろうとする陰陽師達によって陰陽寮の内部は腐っている。おかげで彼がこの世の理を捻じ曲げてしまうような暴挙を図ろうとしていることなど、皆露とも知らずにいるのだ。気づいているのは京介や飛鳥のような一部の者だけ。しかし気づいてはいても表立っては動けない。紫紺がその気になれば、その権力を用い、自分の周りを嗅ぎ回っている者たちを捻りつぶすことなど赤子の手をひねるよりも容易いのだから。しかも彼に賛同している陰陽師も厄介だ。瑪瑙菖蒲と無月。どちらもかなりの実力を持った陰陽師で、しかも紫紺の仲間がこの二人だけとも限らない。

今知りうる情報をまとめると、紫紺に心酔する陰陽師、彼の陰謀に賛同する陰陽師、そしてこの国を治める帝——もしも紫紺を倒すとなれば、彼ら全てを敵に回すことは確実だった。


 このように、葵が知ったのは紫紺の恐ろしさだけだった。彼がなぜあやかしを全滅させようと思っているのか、彼をどうやって止めるのか、止められる手段はあるのか。今の所肝心なところがわかっていない。挙句紫紺に捕まり、自分の失態のせいで再び御山を危険に晒そうとしている。


 しかし、頭領は葵を責めなかった。頭領の性格を考えれば、責めようはずもなかった。


「葵。御山のことは心配せんでも良い。再び襲撃されるやもと考え、すでにいろいろと策は練っておる。それに、おぬしの集めてきてくれた情報は貴重なものじゃ。大きな敵を倒すには、敵の事を知らなければならぬ。敵の恐ろしさを知らなければならぬ。恐ろしさを知らなければ、また勝つこともできぬのじゃ。それに、おぬしは何も紫紺の恐ろしさだけを知ったわけでもなかろう」


 その言葉に葵は顔を上げる。


 頭領は、座敷に並んだついさっき会ったばかりの者たちへ微笑みかけた。


「紫紺を探っておるという、陰陽師の少年。鎮めの力を持った少女。その少女に付き従う九尾の妖狐。さらに、ここにはおらぬが、鬼姫殿が率いている鬼の一族、森神様と桜の精霊、そして、紫紺の動きをいち早く察知したという皇女どの。紫紺をよく思わぬ者らとの出会いがあったと、言っておったじゃろうて。それは何にも代えがたい、お主が旅で得た大きな宝じゃ」


「宝……」


 葵は頭領の言った言葉を自分の口で呟いた。

 何にも代えがたい大切な宝。大切な仲間。それが、葵が御山をおりて初めて触

れた外の世界で得た、大きな糧。


「良いか、葵。お主が各地で出会った者たちは、いずれ紫紺を倒す大きな原動力となる存在じゃ。今はまだ各々が動き回っており、まとまった力となりえてはおらぬが、いずれ必ずそうなる」


 頭領は感慨深げに目を閉じると、今度は先ほどの力強い言葉とは反対に、独り言のような調子で言う。


「もしかすると、わしが思っていたいよりもずっと多くの同志が、この国にはおるのかもしれんの……」


 頭領の言葉に幾分か胸のつかえが取れた気がして、葵は少しだが気が楽になった。不思議と頭領の声を、言葉を聞いていると、心が落ち着いてくるのは昔からそうだった。


「……あの、失礼ですが」


「なんじゃろうか」


 それまで黙っていた京介が、手を小さく顔の前にあげて発言したのを受け、頭領は興味深そうに京介の顔を見つめた。京介はきりりと引き締まった表情で手短に自己紹介を済ますと、本題に入った。


「私は、皇女様よりあやかしたちの情勢について探るよう命令を受けております。わかっている範疇で構いませんので、現在の、特に紫紺という脅威に対する、あやかしたちの動きを教えていただけませんか」


「それならば、わしよりも彼女が話すのが適任じゃろう」


 そう言って頭領が示したのは、楓だった。本人は全く予想していなかったのか、ポカンとどこか間の抜けた顔をしている。


「実は、わしもついさっきまで、この子から昨今のあやかしたちの動きを聞いていたところでの。まだ途中までしか聞けておらんかったから丁度良い。楓や、もう一度最初から、話してはくれんかの」


 頭領、京介はもちろん、座敷に並ぶ一同から注目され恥ずかしくなったのか、楓は顔を赤く染めながらも「あたしで良いのなら」と了承してくれた。


「彼女はあやかしの情勢について明るいのですか?」


 京介がそう尋ねると、頭領は「うむ」と頷いた。


「彼女は太陰三山に住む天狗の一族。あそこの天狗は、全国に散らばる天狗の里を統括しているようなところじゃし、他の山の天狗と違い、外の情報収集に熱心での。自然、その一族の楓も、わしと比べればよほど昨今の現状には詳しいじゃろう」


 頭領から期待のこもった目を向けられ、楓は「いやいやそんな」と謙遜する。一方、京介はかしこまった面持ちで、「お願いします」と楓に頭を下げた。


楓は、


「あたしが直接見聞きして知ったことではないから、偉そうなことは言えないけど、とりあえず、あたしの頭領様から聞いたことを話すよ」と前置きしてから、丁寧に京介たちに現状を伝え始めた。


「一部の陰陽師が、あやかしの里を次々と襲って、壊滅状態に追い込んでる話は、最近になって急激にあやかしたちの間で広まってるんだ。というのも、鬼の国での騒ぎがあったから。それまでは、そこまであやかし達の出入りが激しくない場所が、中心になって襲われてたみたいだったから、あまり噂は広がってなかった。けど、鬼の国となっては話は別。あそこはあやかしの出入りも多い。何か起これば、すぐに噂は広まる。それで、あっという間に土御門紫紺の存在が、あやかし連中に知れ渡った。で、そこからなんだけど」


 楓は心底呆れたような顔をして肩をすくめる。


「次々とあやかしを襲っている奴らがいる。そいつらを倒さないと!っていう風潮にはなってない。むしろ逆。みんな土御門紫紺のことを恐れてる。下手に抵抗すれば、今度は自分たちの里が襲撃の標的にされるかもしれないって考えてるから。まあ、無理もないけど。なんせ今の所判明してる段階では、襲撃された里に住んでたあやかしは残らず全滅。例外だったのは、山神様の加護で守られた御山と、紫紺が直接手を下したわけではない鬼の国だけなんだから。……大規模な里を持ってるあやかし勢力は、次は自分たちかと、そればっかり恐れて己の保身に走ってる。それに、襲撃されているのがあやかしがまとまって暮らす里ばかりだから、里を放棄する者まで出てる。あやかし世界は今完全に混乱状態。まだその現状にどっしり構えてる大所帯の勢力は、あたしの里の太陰三山の天狗一派と、鬼の国の一族くらい」


「その二つだけ……ですか」


 京介の確認の問いに頷き、楓は続けた。


「どっしり構えてるとは言ったけど、頭領様はーー太陰三山の天狗をまとめてる頭領様は、打倒紫紺の意思を表明してるわけじゃない。どちらかといえば、どうにかして紫紺の襲撃を免れる方法を模索してる。ただ他の連中みたいに、慌てふためいてないってだけだよ。鬼の一族は……あなたたちも知ってるみたいに、まだ紫紺を倒すのに積極的みたいだけど」


「……かなり難しい現状みたいですね」


 京介が率直に述べると、楓が「なあ!」と身を乗り出してきた。


「土御門紫紺はそんなに警戒しないといけない存在なの?そんなに強い奴なの?権力とか色々持ってるみたいだけど、たかだか一人の人間でしょ」


「人間……か」


 御山の山頂に着いてからずっと黙していた九尾が、不意に重々しい口調でつぶやいた。その声が思いの外座敷に響き、九尾は皆の視線を集めることになった。考え込むように閉じていた目を開き、九尾は一同を一瞥する。


「果たして奴は、人間なのかな?」

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