第90話 飛鳥からの文

「なんとか逃げ切れたな」 


 遠ざかっていく紫紺の屋敷を見送りながら、葵は呟いた。それから九尾へ声をかける。


「九尾、ありがとう。助かった」


 礼を言われた九尾はフンと鼻を鳴らすだけで、相変わらずそっけない。

 弓を矢筒に戻した沙羅も重ねて礼を言う。


「私からもありがとう。きっと来てくれるって信じてた」


「……来なかったらどうしていたつもりだ」


「その場合のことは、あんまり考えていなかったわ」


 沙羅は肩をすくめる。葵はそんな沙羅にも感謝の気持ちを伝えようと、後ろに乗る沙羅の方へ振り返った。


「沙羅もありがとう。あの時九尾と沙羅が突っ込んできてくれていなかったら、どうなっていたか……」


 沙羅は少し照れ臭そうに、「どういたしまして」と微笑む。


「そういえば、二人はどうして俺の居場所が分かったんだ?」


 気になっていたことを葵が尋ねると、沙羅の代わりに九尾が答えた。


「簡単な事。匂いをたどっただけだ」


「ああ、なるほど……」


 なるほど九尾は狐のあやかしなわけだから、鼻が良いのは当然だ。そうやって一人納得する葵へ、矢継ぎ早に沙羅の質問が飛んでくる。


「葵がいなくなっているのを見つけて、九尾がすぐに匂いをたどってくれたの。そしたら、随分と大きい屋敷に行き着いてびっくりしたのよ。一体なんであんなところにいたわけ?やっぱり攫われていたの?」


「ああ、まあな……。油断していたところを殴られて、気を失っている隙に攫われた。本当に面目ない」


 今回のことに反省してうなだれる葵に対して、九尾は「全くだ」と容赦ない。


「そもそも京介に言われてたろ。屋敷から動くなと。動いたのはお前だ。お前が悪い」


「敷地内だったから、別にいいかなと思って。それに体も動かしたかったし……いや、今更これを言っても言い訳にしかならないな。本当に迷惑をかけた。すまない」


 潔く頭を下げ、改めて葵は謝罪する。そんな葵をいたわるように、沙羅がポンと葵の肩に手を置いた。


「そんなに謝らなくてもいいわよ。九尾はああ言ってるけど、気にしないで。ちゃんと注意していなかった私も悪かったもの。それよりも、さっき戦ったチャラそうな男の人……名前は無月だったかしら。あの人、紫紺がどうのって言っていなかった?」


 沙羅の問いに、葵は「ああ」と頷く。


「俺を助けに入った部屋の中に、銀髪の男がいただろ。あいつが土御門紫紺だ」


「あの人が」


 葵の言葉に沙羅は目を見張った。


「それじゃあ、あの人があなたを攫ったの?」


「正確に言うと攫わせた。あの無月って奴を使ってな」


「何のために?」


「あいつは俺に興味があるからだと言ってた。それから俺の素性について色々と

推測を並べて——」


「葵。それは後で話せ」


 葵の話を九尾が途中で鋭く遮った。


「紫紺がお前を狙った以上、都に長居はできない。今すぐここから離れる必要がある」


「でも、京介はどうするつもりだ。置いていくわけにはいかないだろ」


「ああ。だから今から御所へ向かう」


「御所に!?」


 葵と沙羅が二人同時に叫んだ。葵達からは見えなかったが、その大声に九尾は思い切り顔をしかめて、大きな三角耳を伏せる。


「そんなに驚くなよ。御所に行くと言っただけで入るとは言ってない。京介がいるのか確かめるだけだ。いなかったら泊まっていた屋敷に戻る。紫紺の手先が待ち構えてそうで、あまり戻りたくはないがな」


「確かめるって、何をするつもりなの?」


 沙羅が不安そうな声で九尾に尋ねた。


「そんな大したことはしない。宮城の真上をあやかしが飛び回ってたら、いやでも御所の奴らか周辺の人間が気づくだろ。そしたら自然と京介も気がついて出てくるはずだ」


「なんだか余計まずいことになりそうな気がするのだけど」


 沈鬱そうな沙羅に対して、九尾は「何を今更」とせせら笑う。


「葵を探しに行く途中で、すでに大勢に目撃されてるだろ」


「俺が言うのもあれだが、それ大丈夫なのか。陰陽師が退治しにわらわら出てきそうだな……」


 言いながら、何となく下が気になった葵は眼下に広がる都の町並みを見下ろした。かなり高い位置を飛んでいるので、人々が九尾を目撃して騒いでいるのかどうかはわからない。だが、ちょっと想像してみればわかる。頭上に大きな空飛ぶ化け狐が現れたら、誰だって腰を抜かすだろう。そうして目撃した人々が大慌てで陰陽師の元へ駆け込まないとは限らない。


 と、その時。前方から白い鳥のようなものが葵の目の前に飛来してきた。


「うわ、なんだこれ」


 葵がそう言ったのも無理はなかった。白い鳥だと思ったそれは、紙でできた小さな鳥だった。紙が複雑に折りたたまれ、鳥の形態を成している。紙の鳥は葵の顔の周りでバタバタと飛び回り、鬱陶しいことこの上ない。

 葵がそれを手でさっと払うと、紙の鳥は後方へ吹っ飛んでいった。それを後ろの沙羅が「えい」と捕まえる。すると、沙羅の手の中で紙の鳥はカサカサと音を立てながら、まるで逆再生するかのようにして普通の平面の紙へ戻った。


「なんなんだ、それ」


 気味悪がりながら葵が聞くと、沙羅は「多分式神じゃないかしら」と答えた。


「それも、白虎丸ちゃんみたいな式神じゃなくて、京介が言っていたような連絡用の式神みたい」


「なんでそんなことがわかるんだ」


 すると沙羅が、「ほら」と葵に紙を差し出してきた。


 葵はその紙を受け取る。紙には複雑な折り目がいくつも付いていたが、それでもそこに何か文字が書かれているのがわかった。紙には次のことが書かれていた。


『随分派手に動いてたから、大体の事情はわかってる。あなたたちは都の南東にある山へ行って京介を待って。京介には私から伝えておく。合流し次第すぐに都から離れるように。飛鳥』


おそらく飛鳥は沙羅と九尾の行動を目撃して、察してくれたのだろう。


 ありがたいと思いながら葵が紙を見ていると、いきなり手の中にあった紙から小さな炎がボッと燃え上がった。中心から燃え上がった火は、徐々に周辺の紙を焼き尽くしながら全体へ広がっていき、やがて紙は灰となって雲散霧消する。他の誰かの手に渡らないための、証拠隠滅という奴だろうか。


「おい、なんだったんだ」


 自分の背の上の出来事のため見ることのできない九尾が、声をあげた。葵はすぐに飛鳥からの手紙の内容を知らせる。


「都の南東……。わかった。そこへ向かおう」


 割と素直に頷くと、九尾は進行方向を南東へ変更した。



 飛鳥に指示された南東の山で待機していると、しばらくして京介がそこへ姿を現した。この分だと飛鳥はちゃんと京介に伝えてくれたようだ。


「みんな、大丈夫?」


「まあ、なんとかな」


 葵が苦笑まじりに言うと、京介は「まったく」とため息をついた。


「あれだけ屋敷からあまり出るなって注意したのに……」


「出たと言っても、屋敷の敷地内だったんだが……。まあ、捕まった俺がとやかく言えることでもないか……」


「本当だよ。紫紺に捕まるなんて最悪すぎる。でもまあ、これをここでぐちぐち言ってたってしょうがない。すぐに都から離れよう」


「向かう先は?」


 人の姿に変化した九尾が尋ねると、京介が答えるより先に葵が言った。


「御山だ。御山へ向かう」


「御山?それお前の里じゃないのか」


「ちょっと、何勝手に決めてるのさ」


 京介が文句を言う。


「行き先とか後で考えればいい。とにかく、今は都から距離を取ることが大事だ」


「京介、頼む。御山へ向かわせてくれ。今すぐに」


「だから何で急に?」


「俺のせいで、御山がまた紫紺に襲われるかもしれない」


 葵の切羽詰まった様子に、京介は一瞬口をつぐんだ。それからゆっくりした口調で尋ねる。


「どういうこと?」


「紫紺は、俺の素性に大体の見当をつけていた。多分、あいつはもう俺が御山の天狗の仲間だということを確信している。それだけじゃない。御山の天狗たちが全滅できていないことも確信しているかもしれない。だったら奴のとる行動はなんだ?……今度こそ、御山を滅ぼしにくる」


「…………」


 京介は長い沈黙の後、「わかった」と短く返答した。


「二人も、それでいいね」


「ええ」


「ああ」


 沙羅と九尾も頷いたのを確認して、京介は告げた。


「それじゃあ僕達は今から、葵の故郷、御山へ向かう」

 


                            第5章 都 <完>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る