第80話 怪しい男
男は、二十代後半から三十代くらいの歳だろうか。くせっ毛な髪を後ろで適当な感じで結び、着物の方はひどく着崩してある。しかも組み合わせた着物の色合いは赤に緑といった、とんでもなく派手な代物である。怪しさ満点の男だった。
葵は警戒して、とっさに棒切れを構えた。何者だかなんだか知らないが、こんな怪しい男、警戒するに越したことはない。
だが、葵に棒切れの切っ先を向けられた男は、驚いた顔で「待て待て待てっっ俺は怪しいもんじゃない!!」と叫ぶと、両手のひらを葵に向けて広げ、こちらに敵意がないことを示してきた。相変わらず怪しいことに変わりはなかったが、敵意がないことを見せられては仕方がない。葵は棒切れを下ろして、警戒の姿勢を解いた。
それを見た男は、ほっと肩で息を吐く。
「いやーびっくりした。本当びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ。誰だよおっさん」
葵は胡乱げな目で目の前の男を見つめた。男は「おっさんって……」とちょっぴり傷ついた様子を見せる。
「俺まだ二十七なんだけどな」
「聞いてるのは年齢じゃなんだけど」
男は小さく無精髭の生えた顎を撫でさすりながら、「悪い悪い」と笑った。
それから居住まいを正す。
「俺は、ただの迷子だよ」
「迷子?」
「そう。俺は都に来たばっかりでよ。都はでかいし人も多くてすごいなあなんて考えながらボーッと歩いてたら、いつの間にかえらく寂れた所に出ちまって。でも自分のいる場所が都のどこだかわかんねえし、とりあえず人に道聞こうと思って、人を探してたんだよ。でもこの辺全然人いなくて参ったなあなんて思ってたら人の気配を感じて、ふら〜とこっち来てみたら、お前さんがいたってわけ」
男はおどけた様子で、ビシッと腰に手を当てて葵を指差した。
「つうわけで、大通り?大路か。のある方どこか教えてくれない?」
「……すまないけど、俺も昨日都に来たばかりで、ここの地理には明るくないんだ。他をあたってくれないか」
「そっか〜。それは残念」
葵の返答に、男は心底がっかりした様子だった。なんだかその姿は不思議と哀れみを誘う。だが、男はすぐにパッと顔を上げると、「まあでも、ここで会ったのも何かの縁だ。ちょっくらお話しよう」と言って、葵に馴れ馴れしく近づいてきた。
「あんた、剣術か棒術の心得があるのかい?」
ふと葵の手に握られた棒切れを見て、男は尋ねる。初対面で随分と馴れ馴れしい奴だと思った葵だったが、男の人懐っこそうな顔を見て考えを改めた。男には、人とすぐに打ち解けられる生まれながらの素質というのがあるのかもしれない。変人のようだが悪人ではないようだし、葵はだんだんと男に気を許し始めていた。
「まあ、一応どっちもできるけど」
「へえ!」
「おっさんは?」
「俺?俺もちょっとはできるよ。でもかじっただけだから、期待はすんなよ」
男は最後の「よ」と同時に片目を瞑ってみせる。それから男は、いきなり腰に佩いていた太刀を鞘から引き抜いた。
思わず警戒して飛び退りかけた葵を、「違う違う」と男は豪快に笑って制止する。
「別におまえさんとやりあうつもりはねえよ。ただ、ちょっくら俺の特技でも披露しようと思ってな。時々こうやって人に披露しとかねえと、腕が鈍っちまいそうなんだ」
そう言うと男は、いきなり抜き身の太刀を真上へ放り投げた。太刀は銀色にきらめきながら、竹の背丈ほどの高さまで上がった。
葵が釘付けでその様子を見ていると、太刀はやがて重力に従い、くるくると回転しながら下へ落ちてくる。下で男は、太刀が収まっていた鞘を垂直に持って構えている。つまり男は、落ちてくる太刀を直接鞘に入れようとしているのだ。
一歩間違えば大怪我だ。そんなことが本当にできるのかと、葵はハラハラしながら見守る。
しかし、太刀はまるで吸い込まれるようにして、刃先から綺麗に鞘に向かってストンと落ちた。
「す……すごい」
純粋にすごいとしか言えなかった。まるで妖術でも見たような気分である。
葵は思わず「妖術か!?」と男に尋ねていた。すると男は、可笑しそうに笑った。「なっははははは。妖術じゃねえよ。俺の持ってる技だ。ま、曲芸みたいなもんだな。それに俺は妖怪じゃねえし、妖術は使えねえよ」
男はまた片目を閉じて、ニッと葵に笑いかけた。それから、カリッと首の後ろを掻いて言った。
「俺は、陰陽師よ」
「え?」
その時、葵は背中に悪寒を感じた。嫌な予感がして咄嗟に後ろを振り向く。振り向くと、目の前に見た事のない生き物がいた。
兎ほどの大きさのそれは、狐色の体に、大きな赤い目、長い耳、ふさふさのタテガミと長い尾を持っていた。一見すると愛らしい獣だが、葵は油断しなかった。男の「陰陽師」という言葉、突然現れた奇妙な生き物。ならば式神としか考えられない。
獣は葵が動くよりも早く、敏捷な動きで飛びかかってきた。開いた口からは、愛らしい姿に似つかわしくない鋭い牙がちらりと覗く。
噛みつかれる。そう思った葵は、咄嗟に棒切れを振って獣を打ち落そうとした。しかし、その動作の隙間をついて、獣は葵の腹に強烈な体当たりを食らわせてきた。
腹に鉄の球をぶつけられたような衝撃と痛みに、葵は地面に尻餅をついて呻き声を上げる。悶絶ものの痛みだ。すぐには立ち上がれない。上を見ると、倒れ込んだ葵を覗き込む男と獣の顔が見えた。獣は、男の右肩の上にちょこんと乗っている。こいつらやっぱりグルかと、葵は心中毒づいた。
男は苦痛に顔を歪める葵を見て、「いやあ、すまないね」と手刀を立てる。言葉とは裏腹に、表情は全く悪びれる様子がない。さっき普通に会話していた時と同じような調子で、男はつらつらと言葉を吐いた。
「本当に騙してすまない。いろいろ悪いね。でもこれも仕事なんだ。頼むから、おとなしく捕まってくれよ」
誰がおとなしく捕まってやるか、と葵が口を開こうとした瞬間、男が無情にも太刀が納まった鞘を葵の頭へ振り下ろしてきた。ゴンっと頭部に痛みが走り、葵は自分の意識がすっと遠のくを感じながら、地面が近づくのを見ていた。
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