第78話 さるお方

 白虎丸との再会をひとしきり堪能し、場が落ち着いた頃、一同はもう外が薄暗くなっていることに気がついた。中庭で好き勝手に伸びている草たちに暗い影が落ち、空には点々と星がきらめき出している。

「もう日も暮れるし、御所の方へ行くのは明日にした方が良さそうね」

 紙人形が入っていた漆塗りの箱をしまいながら、飛鳥が言った。その言葉に京介が頷く。

 一体御所へ何の用事があるのかと葵が尋ねると、飛鳥が少しだけ驚いた表情を見せた。

「あら、京介から聞いていないの」

「聞いてないって……何を?」

 どういうことだと京介の方へ目を向けると、京介が「ごめん」と頭をかいた。

「一番の秘密事項だから、いつ切り出そうか考えてたら、すっかり忘れてた」

「何じゃそりゃ。で、その秘密事項って何だ」

「最初に会った時、ちょっと言ったろ。僕はさるお方の命を受けて紫紺の動向を探ってるって」

「ああ、そういやそんなこと」

 言ってたなと、葵は京介と会った日のことを思い出した。何だか随分と前のように感じる。そんなことを葵が頭の中でよぎらせていると、沙羅が身を乗り出して京介に尋ねた。

「もしかして、都にいるっていう色々報告したい人って、飛鳥さんじゃなくてその人?」

 京介は「そうだよ」と頷いた。すると沙羅は何やら小難しげな顔をして腕を組んだ。

「さるお方っていい方からして、ものすごく偉い人なんじゃ……」

「その推測は当たってるよ」

「もったいぶらずに早く教えてくれよ。気になるだろう」

 なかなか言おうとしない京介にしびれを切らして葵が尋ねると、「他言無用だよ」と前置きしてから京介はやっとその人物の名を告げた。

「紫紺の動向を僕らに探らせているのは、真朱まそほ内親王。要は皇女ひめみこ様だ」

「皇女っ!?」

 京介の口から飛び出した大物の名前に、葵は衝撃を受けた。皇女と呼ばれるのは、帝の娘、もしくは姉か妹という立場の者だけだ。帝の子なのか姉なのか妹なのかは知らないが、どれにせよとんでもない高貴な身の上の人物なのは、葵にだってわかる。

 一緒に話を聞いていた沙羅と九尾も葵同様に驚いた様子だった。沙羅などは顔色さえも変わっているように見える。

「皇女さまが……。真朱内親王ということは、今上帝の妹君様ということ?」

 怖々と尋ねる沙羅に、京介は首を縦にふる。すると九尾が、立てた膝の上で頬杖をつきながら「おかしいねえ」と言った。

「皇女さまなんてそんな高貴な人物が、どうしてお前らなんかに紫紺の動向を探れと命じたんだ。普通はもっと上の人物に頼まないか?お前らが桜木家の中でどの程度の地位なのかは知らないが、皇女に直接会えるほどの身分ではないだろう」

 九尾の意見ももっともだと葵も思った。あまりそういうことに詳しくはないが、皇女などおいそれと会えるような人物ではないということくらいわかる。京介と飛鳥が、皇女と会えるほど身分の高い貴族のようには到底思えない。一体何がどうなって、皇女が京介と飛鳥に紫紺の動向を頼んだのか。そもそも、なぜ皇女が紫紺が何やら企んでいるようだということを知りえたのだろう。二人に聞きたいことは山ほどあった。

 京介も九尾の疑問を当然だと思ったのか、「少し長くなるけどね。事情をかいつまんで話すよ」と言うと、居住まいを正して話し出した。

「皇女様は、幼い頃はお転婆なお方でね。よく乳母や兵の目を盗んでは、お忍びで街の方まで遊びに来ていたんだ。その時、たまたま知り合って仲良くなったのが僕と飛鳥だった。もちろん最初は宮城に暮らす皇女様だとは夢にも思わなかったさ。皇女様だと知った時は驚いた。それから、しょっちゅう街へ遊びに来ているのが乳母にバレてしまってね。監視の目が厳しくなって、一緒に遊べなくなってしまった」

 京介が黙ったので、先をせかすように「それから?」と沙羅が身を乗り出す。京介は続きを話した。

「それからは、つい4ヶ月前に再会するまで、一度も会うことはなかったよ。皇女様も、二度と街へ遊びに来ることはなくなったし。それから何年も経ったある日。4ヶ月前のことだけどね。たまたま陰陽師の仕事の一環で、ご当主について僕は御所に上がっていた。その時に、たまたま皇女様と再会したんだ。その時だよ。皇女様に紫紺の動向を探るように言われたのは。なぜ僕にそんなことを頼むのか聞いたら、皇女様はただ一言、信頼できるからと言った。もっと詳しく聞きたかったけど、すぐに人が来たから、その時はすぐに御前から下がるしかなかった」

「皇女様は、どうして紫紺の動向を探って欲しいなんて言ったんだ。紫紺がよからぬことを企んでいるのに気がついてたのか?」

 葵が口を挟むと、京介は曖昧に頷いた。

「はっきり気がついていたというよりかは、自分の兄上、つまり今上帝に何かと気に入られている紫紺を胡散臭くは感じていたらしいよ」

「胡散臭くって……勘か?」

「多分ね。勘でこいつには何かあるって思ったらしい。皇女様の勘はよく当たるんだ。昔もそうだった。実際調べてみたら、あやかしを全て滅ぼして、この世を真に清浄な地にするなんていうとんでもないこと企んでたわけだし」

「勘も馬鹿にできないってことか」

 葵はため息をついて、ぼうっと天井を見上げた。紫紺の企みもとんでもないが、まさか京介と飛鳥の背後にいるのが皇女とは恐れ多い。そして当の紫紺は帝との繋がりが深いときた。ひょっとしてこの一件、帝も一枚噛んでいるのではないか。それどころか、帝が紫紺の裏で手を引いているのではないかなどと、根拠のない妄想が葵の頭に浮かび上がる。そうやっていろんな考えに頭を使っていると、なんだか頭の中がぐるぐるしてきた。

「とにかく。今日はもう、あなたたち寝たら?長旅で疲れているでしょうし」

 飛鳥が、紙人形の入っていた箱を小脇に抱えて立ち上がりながら言った。そう言われると、驚きの連続で今まで意識していなかった疲労が、どっと押し寄せてきた。葵は有難く飛鳥の言葉を頂戴することにする。

「ああ。そうさせてもらうよ。今はふかふかの布団に入って、ぐっすり眠りたい」

 葵が言うと、「私も」と、疲れ切った様子の沙羅の声が続く。そして京介も笑いながら、「僕もだ」と続けた。

 そんな一行を見て、飛鳥はやれやれといった調子でため息をつく。

「じゃあ、おやすみなさい。布団とかは自分たちで敷きなさいよ。そこの襖に入ってるから。私は桜木家の屋敷の方へ帰るから」

 そう言い残して、飛鳥はさっさと部屋から出て行ってしまった。

 葵たちは、早速襖を開けて布団を一式出して床へ敷いた。

 しつらえ終わった布団に体を滑り込ませると、柔らかい布が疲れた体に心地よいほどに当たって、葵はすぐに眠気に吸い込まれそうになった。他の者も同様だったようで、すぐに誰かの寝息が聞こえて来る。葵も、やがてスヤスヤと心地よい寝息を立てながら眠りについた。

 

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