第71話 さらば鬼の国

 それから鬼の国は、徐々にではあるが復興に向けて歩みだした。

 壊滅状態だった街からは瓦礫が退けられ、綺麗になった空き地に大工たちが再び建物を建てて行く。鬼の国を彩る赤い提灯も灯され、にぎやかなあやかしたちの声が再び蘇る。

 そんな光景を、葵は鬼姫からもらった新しい服に身を包んで、京介、沙羅、九尾、そして鬼姫とともに宵の塔の上階から眺めていた。


「あれから四日……。鬼の国は少しずつではあるが、元の姿を取り戻しつつある」


 鬼姫は口元に煙管を当てがいながらそう言った。彼女の怪我は完治とまでは行っていないが、医者から歩いてもいいという許可が出るほどまでには良くなったらしい。

 鬼姫は、自分から一歩下がった位置で鬼の国を眺めている葵たちに声をかけた。


「お主たちは、これからどうするつもりじゃ」


 葵の怪我も京介の腕の怪我も癒え、もうここにこれ以上留まる理由はなかった。鬼姫の問いに、前々から皆で話し合って決めていたことを、京介が代表して答える。


「僕たちは、都へ行こうと思っています」


「都か……。今行くのは危険ではないか?女…紫紺の手の者とやりあったばかりのこの状況で」


「危険性については重々承知しています。でも、今は都以外で行くべき場所が定まらないので。都には色々と報告しなくてはならない人もいますし、白虎丸の依代も新しく用意しなければ……」


 そこまで言ったところで京介がしまったという顔をする。ややこしいことになるのを案じ、京介は自分が陰陽師だということを伏せていたので、今のでバレたかもしれないと思ったのだろう。すると鬼姫は、口ごもった京介を見ておかしそうに吹き出した。


「今更なんじゃ。お主が陰陽師であることなど、とっくに知っておるわ」


「えっ」


「先日の戦いで散々陰陽術を使っておったところを見たし、そもそも風神丸から、人語を喋る虎の話を聞かされてのう、その時からもしやとは思っておった」


 心なしか鬼姫から後ずさりを始めた京介を見て、鬼姫が「まあ待て待て」と引き止める。


「確かにあやかしは陰陽師を好きではないし、妾も好かぬが、お主は何も妾の気に食わぬことをしでかしたわけではあるまい。むしろ、この国を救ってくれた者たちの一人じゃ。感謝こそすれ敵対する理由などない」


 鬼姫にそう言われ、ようやく京介は後ずさりをやめる。


「……まあ、危険を承知した上で都へ行くというなら、妾も止めはせぬよ。気をつけて行ってこい。して、出立はいつじゃ」


「明日にはもうここを立とうかと」


「そうか。早速か。急ぐのう」


 鬼姫はそう言うと、口から紫煙をくゆらして、不意に葵の方を見た。彼女の表情が、その目が少し和らぐ。


「……妾の用意した服、やはりよう似合っておるの」


 いきなりそんなことを言われ、特に衣服について褒められ慣れていない葵はなんと返答したものかと困ってしまう。すると鬼姫が、「それに、若い頃のあいつにもどこか似ておる」と続けた。


「あいつ?」


「椿丸じゃよ。ここを訪れた時に着ていた椿丸の服と、そなたに贈った服。色が同じじゃ」


 かつてを思い出したのか、鬼姫は遠い目をした。

 きっと風神丸が、葵がかつてここを訪れた椿丸に拾われ、育てられた子であることを、鬼姫に話したのだろう。でなければ葵にこんな話はしない。


「……あやつは死んだらしいな。全く、妾より若いのに先に死によってからに……」


 涙こそ流してはいなかったが、鬼姫の瞳は悲しげに揺らいでいた。手に持っている煙管がダラリと下がる。


「墓は作ってあるのだろう?」


 鬼姫の問いかけに、葵は静かに頷いた。鬼姫は「そうか」とだけ言った。それからしばらく間を置いて付け足す。


「ならば、妾も弔いに行かねばならぬな。いつになるやらわからぬが、ここの復興作業が落ち着いてきたら墓前に花でも添えに行こう」


 そこまで言うと、鬼姫は葵にふわりと笑いかけた。


「その時は御山の案内を頼むぞ、葵。天狗の、椿丸の弟子よ」



 翌日の早朝、葵たちは荷造りを終えて、鬼の国の入り口にあたる巨岩の裂け目の前に集合していた。葵たちの他には、見送りに出てきた鬼姫と風神丸の姿もある。

 まだ東の端から太陽が顔を覗かせたばかりの時刻で、平原の彼方に連なる山脈には朝靄がかかり、早起きの小鳥たちが賑やかに囀りながら空を飛んでいく。


「お世話になりました」


 まだ眠い目をこする葵の隣で、京介が鬼姫と風神丸へペコリと頭を下げた。


「機会があれば、また伺いたいと思います」


「ああ、いつでも歓迎するぞ。」


 鬼姫は微笑むと、昇ってきた太陽を背にして立つ葵たちを、少し眩しそうに見やった。その隣で、風神丸が寂しそうな様子で口を開く。


「……いざお別れとなると、心がしんみりしてくるな。本当は俺もついていきたいけど、ボロボロになった故郷を放っては行けないし……。紫紺とかいう奴のことは、お前らに託すよ。あいつ倒しに都へ行くんだろう」


 なにやら間違った情報が伝わっていたようだ。京介が「いや、そういうので都に行くわけじゃないんだけど」と訂正する。


「え、あれ。違うの」


 風神丸は目を丸くして「じゃあ何しに行くの」と尋ねる。

 いい加減眠気を飛ばしたかった葵は、眠気覚ましに京介の代わりに答えてやった。


「白虎丸の新しい依代の調達も兼ねて、京介の上司的な人のところへ報告に行くんだよ。まあ、そこのところはあんまり俺には関係ないけど」


「でも、都には紫紺もいるんじゃないのか」


「それは」


 そのへんのことはよくわからなかったので、助けを求めて京介の方を見る。京介は肩をすくめると、「今都にいるらしいよ」と答えてくれた。


「いるってさ」


「いるんだ。じゃあ、やっつけるいい機会じゃないのか」


「阿呆」


「痛っ!?」


 いきなり暴言とともに鬼姫に足先を踏みにじられ、風神丸が涙目で叫んだ。


「何するんだよ!?」


「阿呆と言うておるのじゃ。襲撃があってから、部下に紫紺について情報を探らせておったが……。奴は危険じゃ。気軽に行って勝てるような相手ではない。今戦いを挑むのは時期尚早すぎる」


「わかってるよ……俺だって半分冗談で言ったんだよ今のは」


「全く……。お主らも、変な気を起こすでないぞ」


 鬼姫に釘を刺され、葵たちは神妙に頷いた。最初は刺し違えてでも紫紺を討つつもりだった葵も、今ではそのような気は失せていた。恨みが消えたわけではない。今でも殺したいほどに憎い相手だ。ただ以前と違い、今は激情に任せて動いても意味がないということがわかっている。菖蒲との戦いの最中も、激情に任せて動いてしまった部分もあり、そこは反省中だ。とにかく、今己のやるべきことは、頭領から頼まれたように紫紺の情報を集めることだ。


「あの女の人は、紫紺について何か言っていましたか」


 別れる前に、葵が鬼姫に聞きたいと思っていたことを、沙羅が先に尋ねた。

葵は鬼姫のほうを見る。

 皆もその質問には関心があるらしく、鬼姫の返答を静かに待つ。鬼姫も皆の関心が集まるのを感じたのだろう。息を吸うと、ゆっくりと口を開いた。


「ああ、言っておったよ。随分と紫紺に心酔しておるようじゃった。あのお方はこの世を変えるお方。誰にも止められはしないと、そう言っておった。」


「この世を変える……つまり、すべてのあやかしを滅ぼし、この世を真に清浄な世にするというやつだな」


 紫紺や菖蒲が口にしていたようなことを、九尾が繰り返し言った。鬼姫は「その通りじゃ」と答える。


「今のところ、奴は大きなあやかしの集落を襲撃しているだけのようじゃが、おそらくもっと大それたことを考えておるはず。それが何なのか、わかれば良いのじゃが……」


「それは僕らも知りたいところです。もっと紫紺の身辺を探って、情報を集めないと」


 京介が言うと、鬼姫は「妾も尽力しよう」と頷いた。


「ひとまず妾は、捕らえた女から情報を絞り出すことに専念する。あの女、なか

なかに強情で有力な情報について喋ろうとせぬ。まあ、どうにかして聞き出すつもりじゃから安心せい」


「はい。よろしくお願いします。……それでは、そろそろ僕らはこれで。もう日も

だいぶ山の端から出てきたことですし」


「うむ。気をつけてな」


 鬼姫の見送りの言葉に、葵たちは各々会釈をして、それぞれの荷物を背に担ぐ。それを待っていたように、九尾が姿を獣に転じて、皆が乗れるように地面に伏せた。そして、背中に三人が乗ったのを確認してから体を起こす。

 鬼姫は九尾を見上げて言った。


「九尾。皆のこと頼んだぞ」


「わかってる」


 九尾は顔を上げると、地面を力強く後ろ足で蹴った。ふわりと黄金こがね色の体が浮かび上がり、九尾がさらに宙で両足を動かすと、高度がぐんと上がる。


「お前ら、元気でな〜!!」


 空高く舞い上がった葵たちに聞こえるように、風神丸が元気いっぱいに声をはりあげる。


「そっちもな〜!!」

「お元気で〜〜!」


 葵と沙羅も、負けじと声を張り上げて別れの挨拶を交わす。

 葵が心地よい朝の風が額を撫でるのを感じる間にも、見送る二人の姿はどんどん小さくなってゆく。

 こうして葵たちは、思い出深い鬼の国に別れを告げ、一路都を目指して天を駆け上がった。


                         <第4章 鬼の国 完>


             

                       

 


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