第16話 急襲

 黒鳥は葵たちの頭上で止まった。翼をばさりばさりと羽ばたかせながら、長い首をもたげてガラス玉のような目で葵たちを見ている。


しばしの間両者は固まって睨みあっていたが、やがて黒鳥が動いた。黒いくちばしをクワッと開け、そこから火炎を吐きだす。


 葵たちはとっさに攻撃の射程範囲外まで半ば倒れこむようにして転がり込んだ。


 全員無事避けられたが、次に第二撃目が来るのは確実だ。再び黒鳥はくちばしを開け始める。


「白虎丸!」


「はいよ!」


 京介の言葉を合図に、白虎丸はピョンと飛び上がって空中で一回転クルリと回った。すると白虎丸の姿は大人の虎へと瞬く間に変じる。


「早く!」


 京介に手を掴まれて葵は白虎丸の背に放り上げられた。


「ぬわっ」


 次に京介自らも白虎丸の背にまたがる。京介が前、葵が後ろだ。


 二人が乗ったのを確認すると、白虎丸は「しっかりつかまっとけよ」と言いながら勢いをつけて走り出した。


あっという間に遠ざかった場所から爆発音が聞こえて来る。


 背中に人間を二人も乗せているとは思えない疾風の如き速さで、白虎丸は森の中を駆けた。


「なんだ、でっかくなれるんじゃねえか」


 振り落とされないようにしがみつきながら葵は叫ぶ。


頭上を仰ぎ見ると、黒鳥はしつこくついてきていた。時折火炎の攻撃を仕掛けてくる。しかしその全てを白虎丸は強力な脚力で避け切った。しかしずっとそうしていられるとも思えない。葵は錫杖を握りしめて黒鳥を睨んだ。葵は神通力である程度なら風を操ることができる。それで黒鳥の動きを翻弄すればいい。しかし、それをやろうとする前に京介に止められた。


「何もしないで。今は逃げることだけ考えるんだ」


「はあ、何で?逃げるにしてもちょっとくらい攻撃してもいいだろ?」


「ダメだ」


 京介は力強く言い放った。


「あいつは多分僕たちが何者か探ろうとするために攻撃を仕掛けてる。うかうかそれに反撃してしまえば、その術で身元がバレるかもしれない」


「でも俺なら」


「君でもダメだ。ここは僕の言うことに従ってもらう」


 どことなく余裕のある雰囲気は消え、京介の表情は真剣そのものだった。葵はその気迫に押されるようにして緊張気味に「わかった」と頷いた。


「おいおい京介、あの鳥野郎どこまで追いかけてくるつもりだ?」


 白虎丸が勘弁してくれといった様子で叫んだ。確かに随分な距離を進んだはずだが、黒鳥は執拗に追い回してくる。


「いくらおいらでも体力の限界ってもんが」


 言ったそばから黒鳥が再び火炎を吐き、「おわっ」と白虎丸は慌てて避ける。崩れかけた体勢を立て直しながらそのまま走るも、目の前の茂みに思い切り突っ込んだ。


「ちょ、白虎丸!」


「すまん!」


 白虎丸は強引に茂みを突き破りながら進む。しかし、茂みから飛び出たそこは茶色い地肌がむき出しになった急斜面だった。


「やばっ」


 白虎丸は急停止しようと斜面に爪を突き立てるも、重力には逆らえなかった。


「うわあああああ」


 葵、京介、白虎丸は悲鳴を上げながら地面を滑り落ちてゆく。葵と京介は白虎丸の背中にかじりつくことに精一杯。白虎丸はせいぜい転ばないように四肢を踏ん張っていることで精一杯である。


 急斜面を滑り終わった途端、白虎丸の体は勢いよく前の方へ倒れかかった。その反動で京介と葵は宙に投げ出される。幸い二人は受け身のやり方はわかっていたので大怪我をすることなく地面に転がりながら着地した。一方同じく宙へ投げ出された白虎丸は「ぐえ」と声をあげて、前転してからドテーンと仰向けに転がった。


「猫の仲間のくせに着地下手くそかよ」


 とんでもなく無様な虎の着地姿に唖然とす

る葵に、京介は「言わないであげて」と囁く。


 その時また黒鳥が火炎を葵たちめがけて叩き込んできた。いくら受け身を取ったとはいえ地面に体のあちこちをぶつけたのでまだ痛む。この状態ではとっさに避けられない。葵がこれまでかと思った時、そばにいた京介が「仕方がない」と叫ぶと懐から呪符を取り出した。おそらく攻撃を防御するつもりだ。


 しかし、火炎が京介たちに到達するより前に、何もないはずの空間で黒鳥の攻撃は弾かれた。ぽかんとする葵たちの前で黒鳥は再び火炎を吐き出すも、やはり見えない壁に弾かれる。今度は体ごと突っ込んできたが、やはり何かに宙へ押し返された。


 そんな不可解な現象に目を丸くしていると、京介が「今のうちに逃げよう」と叫んだので、葵はハッと我に返った。京介と白虎丸の後に続いて鬱蒼と茂る木々の中へと駆け込む。


 しばらくは無我夢中で走った。もうそろそろいいだろうというところで一同足を止める。


「何だったんだ今の?」


 肩で息をしながら葵が言った。いつの間にか子虎の姿に戻っていた白虎丸も「まるで見えない壁みたいだったぜ」と先ほどの現象に首を傾げる。


「京介、お前なんかしたのか?」


 白虎丸の問いに一人冷静な京介は「いいや」と首を横に振った。


「僕は何もしてない。護符を貼ろうとする前に攻撃が弾かれた。おそらくあれは結界だ」


「結界って。京介じゃないなら誰が張ったんだ?それとも元からこの森に張られてたのか?」


 白虎丸の考えに葵は首をひねる。


「元から張られてたなら、俺たちも結界の中へ入れないはずだろ。あの鳥もろとも結界に弾かれて進めなかったはずだ。」


「確かに.....」


 行き詰まる二人を横目に京介は空を仰ぎ見ている。それからポツリと呟くように言った。


「あの結界には誰かの意思が働いていたのは確実だよ」


「だからそいつが誰かって話をしてるんだよ。なんか心当たりあるのか?」


 葵が口を尖らせて聞くと、京介はさらりと言った。


「たぶんここの守り神だね」


「守り神!?」


 葵と白虎丸はぽかんとした。京介は何でもないことのように頷く。


「そう。守り神。僕たちを敵じゃないと判断して結界内に入らせてくれたのかもしれない」


「じゃあ神様が俺たちを助けてくれたのか」


 何だか途方も無い話に葵は驚きを隠せない。


「そう言うことだね。今でも古い土地には神が宿ると言われている。そういう土地に根付く神様は敵意を持ったものが自分の宿る土地に近づくと、結界を張って侵入を阻むらしい。さっきのがそれだよ。きっと」


 葵は京介の話に思わずあたりをキョロキョロ見渡す。ひょっとしたら近くにいるのではないかと思ったのだ。しかし視界に入るのは鬱蒼と茂る木々ばかりで神様らしき姿は見当たらない。


「何してるの?」


 京介に尋ねられ葵は答える。


「いや、助けてもらったんなら、神様にお礼を言わなきゃなと思って」


「おまえさあ」


 葵の足元で白虎丸がやれやれといった顔で言った。


「神様がそんな簡単に人間の前に姿現すわけねえだろう。」


「え、そうなのか」


 そう言ってから葵は考え直した。そういえば御山にも山神さまと呼ばれる神様がいるらしいが、滅多なことでは人前に姿を現さないと大人たちが言っていたのを聞いたことがある。実際葵の周りにも見たという天狗はいなかった。


「じゃあお礼言えないな」


 まじめくさった顔で葵が言うと、京介は「大丈夫だよ」とニコリと笑った。


「姿を現してくれなくても、僕たちの感謝の言葉や心は届くはずだよ。」


「そうなのか?」


「そうだよ。何せ神様だからね。自分の土地に入ってきた僕たちの言動くらい見ていらっしゃるさ」


 その時、背後でガリガリと音がしたので二人は音のした方向へ顔を向けた。するといつの間にか白虎丸が木の幹に爪を立てて登っているところだった。


「ちょっとおいら、木の上に登ってまだ鳥野郎がうろちょろしてないか見てくるよ」


 そい言い残して白虎丸は葉っぱが茂る枝々の中へ消えていく。おそらく樹冠に乗って空を見渡すつもりなのだろう。


 少し間をおいてから、樹上から白虎丸の毒付く声が降ってきた。


「まだいるぜ。全くしつこい鳥野郎だ。とっと失せなっての。ん?」


「どうした?」

 白虎丸の声が止んだので葵は下から叫んだ。するとガサガサバキバキと枝や葉が擦れ合う音が響いたかと思うと、白虎丸が姿を現した。


「おいお前ら!なんかすげえでかい木があったぜ」


「でかい木?」


「おおよ!たぶんこの森で一番でかい。そもそもおいらあんなでかい木を見たの初めてだ。いったい樹齢いくつあんだ」


 興奮した様子の白虎丸に葵もその木が気になった。その隣で京介が「その木のところまで言ってみようか」と声をあげた。


「そんなに大きな木ならご神木かもしれない。どのみちまだあの鳥がうろついているからこの森から出られないし、行ってみよう。白虎丸、どっちの方向かわかる?」


 京介に促され、白虎丸は「任せろ」と胸を張る。


「ちゃんと木の上から見たからな。こっちだ」


 元気よく駆け出した白虎丸のあとを、葵と京介は慌ててついていった。

 

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