第12話 大蜘蛛
葵は、森へ入ると手近な木へ登った。それから張り出した枝へ向かい、そばの別の木の枝へと勢いよく飛び移る。それを繰り返すことで、葵は森の中を飛ぶような速さで進んでいった。単純に地面を走るよりかはこちらの方が速く進むのだ。
葵にはどの方向に行けば連れ攫われた子供がいるのか見当もつかなかったが、幸いなことにしばらくすると葵の耳に子供の泣き声が届いてきた。それはかすかな音で、聴く人によれば気にも止めないようなものだったが、葵は聞き逃さなかった。すぐに声の聞こえた方角へ向かう。
やがて葵は巨大な蜘蛛の巣に囚われた子供を見つけた。子供のすぐそばには、人など一口で平らげてしまいそうな大蜘蛛がいる。あやかしとはこれのことだろう。
葵は距離感を測りながら大蜘蛛に一番近い木の枝へ飛び移ると、手に持っていた錫杖を大上段に振り上げて大蜘蛛の背に飛びかかった。錫杖を思い切り大蜘蛛の頭へ叩きつける。頭に思わぬ打撃を受けた大蜘蛛は、悲鳴のような鳴き声を上げて仰け反った。その衝撃で葵は大蜘蛛の背から地面へ落っこちるも、すぐに態勢を立て直す。大蜘蛛は怒りで目を真っ赤に光らせながら葵の方へ振り返った。囚われている子供は半べそをかいて葵を見ている。
大蜘蛛は巣から飛び降りると、葵めがけて突っ込んできた。しかし葵はそれをひらりと横に交わし、神通力で風の力を纏わせた錫杖を、槍を投げる要領で大蜘蛛の横腹に叩き込んだ。大蜘蛛は苦悶の声を上げながら錐揉み状に吹っ飛ばされる。飛ばされた大蜘蛛は地面に叩きつけられ、腹を上にして倒れ伏した。横腹には葵の錫杖が深々と突き刺ささり、上に向いた八本の足は不気味にピクピクと動いている。しばらくは起き上がれないだろう。
「よし」
初めての実戦にしては上出来だった。だがまだ油断はできない。トドメを刺そうと葵はゆっくりと大蜘蛛へ歩みよる。その時、背後から子供の叫ぶ声が聞こえた。
「もう一匹いる!」
「は?」
振り返った途端、木の上にいる二匹目の大蜘蛛と目があった。かと思うと大蜘蛛が吐き出した糸に体を絡め取られる。そのままもんどり打って倒れた葵の体に、さらに大蜘蛛が糸を吐きかけた。蜘蛛の糸は地面と葵の体をつなぎとめ、動きを制限してくる。このままではまずい。葵は必死で体をよじって逃げようとするも、糸の粘着力が強力すぎてろくに体を動かせない。そうこうするうちに二匹目の大蜘蛛がするすると木から降りて葵の方へ向かって来た。みればさっき葵が吹っ飛ばした蜘蛛よりも体が一回り大きい。大蜘蛛は口元にある二本の牙をカチカチと鳴らしている。このままだと大蜘蛛の餌になるのがオチだろう。そうなる前にどうにかこの状況を打破できないかと必死で頭を回転させるが、何もでてこない。
その時、葵の頭上を白い何かがヒュンと背後から飛び越していった。何だと思う暇もなくそれは大蜘蛛の頭に真っ直ぐ突き刺さり、大爆発を起こした。
何が起こったのかわからずにぽかんとする葵に、「大丈夫?」と誰かが駆け寄る。
振り返ると、編笠をかぶり旅装束に身を包んだ少年の姿があった。葵とほとんど年は変わらないように見える。
「今ほどくから」
そう言う、と少年は懐から一枚の白い札を取り出す。札には黒々とした墨で文字のような模様のようなものが描かれている。その札を葵の体に貼ると、少年は「燃えろ」と言った。直後、白い札はメラメラと炎を出して燃え上がった。炎はたちまち葵の体に広がる。
「な、おい」
何をするんだと驚く葵だったが、炎は葵の体の動きを制限していた蜘蛛の糸のみを焼いているようだった。おかげで痛くもかゆくもない。やがて炎が消えると、糸は綺麗さっぱり燃えて無くなっていた。葵の体には火傷一つない。
少年は葵に手を差し伸べた。葵はその手を握って地面から体を起こす。
「悪い。助かった」
「どういたしまして。でもまだ仕留めきれてないから、油断は禁物だよ」
そう言いながら少年は葵の横をすり抜けて、爆炎の中からのそりと姿を現した大蜘蛛と向き合った。先ほどの爆発で死んだとばかり思っていた葵はぎょっとする。大蜘蛛の頭部はだいぶ焦げているようだが、ちゃんと体にくっついている。
「嘘だろ」
「まあ、さっきのはほんの小手調べさ」
少年は編笠を外すと葵の手に「持ってて」と半ば押し付けるようにしてねじ込んだ。それから再び懐から札を取り出す。その札にもさっきの札と同じように墨で何やら複雑なものが描かれている。しかし、一つだけ葵にも明確に分かる文様があった。五角形の星型の文様。忘れようもない。御山の上空を不吉に覆った五芒星だった。
少年は糸を吐き出そうとする大蜘蛛よりも速く札をヒュンっと放った。紙のはずなのにひらひらと頼りなく宙に舞うことなく、矢のように空を切り裂き進む。
「爆ぜろ」
少年に命じられたかのように、札は大蜘蛛に接近するとたちまち強烈な閃光を放ちながら爆発した。あまりの眩しさに葵は目を覆う。そして閃光が消えると、大蜘蛛の姿は跡形もなかった。
「これでもう大丈夫。おっと、こっちにもまだいたね。」
少年は立ち尽くす葵の横を再び通り過ぎると、仰向けにひっくり返るもう一匹の大蜘蛛の方へ近づいた。
「人に悪さをする奴は職業柄放っておくわけにはいかないんだ。トドメを刺させてもらうよ」
少年がまたヒュッと札を飛ばすと、大蜘蛛の体は光に包まれ葵の錫杖を残して雲散霧消した。
「さあ君。もう大丈夫。悪いあやかしは倒したよ」
蜘蛛の巣を葵にやったのと同じように焼きはらいながら、少年は囚われていた子供を抱きとめて優しく地面に下ろしてやる。
「お兄さんありがとう」
少年に素直に礼を言う子供、確か弥彦と言っただろうか。とにかく彼が無事に助けられたことに安堵しつつも、葵は警戒の表情でそっと錫杖を拾って少年の背後に立った。
「おいあんた。ひょっとして奴の仲間か?」
「奴?」
少年は何のことやらといった様子で葵を見た。葵はキッと眉を吊り上げながら錫杖を少年に突きつける。
「銀髪の男の仲間か?」
「銀髪の男?」
「お前がさっき出した札に入っていた文様、五芒星だった。あの夜御山の上空に浮かんだものと同じだ。もう一度聞くが、お前は御山を襲撃したあの男の仲間なのか?」
少年はなぜか合点がいった顔になると、「違うよ」と首を横に振る。
「僕はその男の仲間じゃない。同業者ではあるけどね」
「奴のことを知ってるのか?」
「知ってるよ。僕はその男のことを探っているもの」
これはまた随分大きな手がかりにたどり着いたらしい。だが葵はまだ信用できないと、錫杖を突きつけたまま少年と対峙した。
「探っている?どういうことだ。」
自分に突きつけられる錫杖に大人びた優しげな顔をしかめながらも、少年は丁寧な口調で答えた。
「そのままの意味だよ。奴の動向を探っている。同じ陰陽師として見過ごせないことを彼はしようとしているみたいだからね。そういうわけで多分僕は君の敵ではないと思うから、そろそろその錫杖を下ろしてくれないかな?それに子供も怖がってる。」
そう言われ葵は渋々と錫杖を下ろし、無理やり預けられていた少年の編笠を投げ渡した。少年はおっと、と編笠を受け取る。そして葵はさらに詳しい事を聞こうと口を開きかけたが、その前に少年に遮られた。
「待った。今僕たちの成すべきことは、ここで睨み合うのじゃなくてこの子を村まで送る事だ。違うかい?話はそれからだ」
不安そうに葵と少年を見やる弥彦をちらりと見て、葵はそれもそうかと頷いた。わざわざ子供の前でする話でもないだろう。
「わかった。一旦村まで戻ろう。」
そうして少年が弥彦の手を引き、葵はその隣を歩く形で村へ続く森の道を歩き始めた。
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