第11話 森へ

 小春の言った通り、杉木立ちを抜けると再び人里が現れた。これが隣村だろう。小春の村よりは人家の数が少し多い。


「宿はどこだ?」


「こっちよ」


 小春が先に立って葵を案内する。

 山裾に沿ってくねくねと曲がる小道をしばらく歩くと、二階建ての小さな宿が見えてきた。小春の話によればこの辺りで唯一の宿らしい。時折この村を通りかかる旅人が、山越えの前にここで休息を取りに宿へ立ち寄るのだそうだ。今泊まっている客はどうも都から来たようだと、近隣の村々では噂になっている。都とはかけ離れたこの地の人間にとってはそれだけで珍しいことなのだろう。


 小春は宿の入り口に立つと、慣れ親しんだ様子で戸をカラリと開けた。


「女将さん、いる?」


「アイよ」


 そう言って小春と葵を出迎えに奥から現れたのは小柄な初老の女性だった。


「おや、隣村の小春ちゃんじゃないか。どうしたんだい。」


「女将さん、都から来たって噂のお客さんいる?会いたいの」


「ああ、その人なら散歩に出てちょうど今いないよ。しばらくしたら帰ってくると思うから、それまでここで待ってるといいよ。おや、後ろの人は?」


 女将は小春の後ろにいる葵に目をとめる。小春はなぜか誇らしそうに腰に手を当てて答えた。


「天狗さんだよ」


「はあ」


 女将はぽかんとして葵を見ていたが、しばらくして「すまんねえ」と葵に謝ってきた。


「この子は夢見がちなところがあるから、あんたさんを天狗と勘違いしとるらしい。本当は山伏様なんでしょう。わざわざ合わせてくれてすまんね」


「あ、はい。いや、その」


 天狗に育てられた人間という複雑な立ち位置なので、そうとも違うとも言い切れずにしどろもどろになる葵を押しのけるように小春が「違うもん」と声をはりあげる。


「この人は本物の天狗さんなの!後で天狗の術を見せてくれるって私と約束したもん」


「はいはい」


 女将はまるきり小春の言うことを信じていないらしい。それもそうだろう。天狗がこんな人里にいるわけがない。


 女将は小春の主張を慣れた様子で受け流してから奥へ引っ込み、葵にお茶を持ってきてくれた。


「さあさ、山伏様。山での修行ご苦労様です。お茶を飲みながらゆるりとお待ちくだされ」


 葵はお礼を言ってから適当な場所に腰掛け、お茶をすする。とりあえずここで待っていれば都から来たという人物に会える。その者が何か知っていればいいのだが。


 葵の隣では、ふてくされた様子の小春が膝を抱え込んで座っている。


「本当なのに。天狗さんもどうしてそうだって言ってくれないの?」


「言ってもどうせ信じてくれないだろ」


「そうだけど」


 葵を本物の天狗だと信じきっている小春に、今更自分は人間だなどと言えない。しかしおそらくどこかではバレるだろう。神通力を使って術を見せるのはたやすいが、飛んで欲しいと言われたらさすがに無理だ。どうしたものかとお茶をすすりながら考えこんでいる葵の耳に、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。


「大変だ!」


 そう叫ぶ声も聞こえたので、葵はどうしたのかと湯呑みを置いて宿から飛び出した。小春も続いて飛び出す。すると、森の中から二人の少年が血相を変えて走り出てくるのが見えた。


「大変だ。弥彦が、弥彦が!」


 二人とも口々に弥彦が弥彦がと口走っている。


「あいつら、悪ガキ三人組のうちの二人じゃない。あんなに慌ててどうしたのかしら」


 小春が少し驚いた様子でつぶやいた。


 二人の少年は、宿の前に葵と小春がいるのに気がついて転びそうになりながら走りよってきた。


「小春姉!弥彦が」


「弥彦がどうしたのよ?」


 少年は小春に半分つかみかかるようにして叫んだ。


「あやかしに連れてかれた!」


「えっ」


 ぎょっとする小春の近くでは、もう一人の方の少年がうずくまって泣き始めた。二人ともまだ十歳ほどの子供のようだが、よほど怖い目にあったらしい。


 騒ぎを聞きつけてか、近くにいたらしい村人たちが集まってきた。女将も宿から出てくる。


「お前ら、森の奥まで入ったな」


 集まった村人たちの中で一番体格の良い三十ほどの男が二人に怒鳴りつけた。少年らはドスの効いた男の声にびくりと肩を震わせる。


「入ってはならんと、きつく言い聞かせてあっただろうに。森の奥には人を攫って食うあやかしがいるからと」


「そんなのがいるかいないか、確かめに行ったんだ。まさか、本当にいるとは思ってなくて、ほんの肝試しで」


 小春につかみかかっていた少年が消え入りそうな声で言う。男は「やかましい」と一喝した。


「それで、弥彦はどうなったって?」


「連れて行かれたんだ。俺たちはなんとか逃げ切れたんだけど、弥彦のやつ転んじまって、あやかしに連れてかれた」


「なんてこった」


 村人たちは顔を見合わせながらどよめく。


「弥彦のおかっさんとおとっさんに、俺ら顔向けできねえ。俺たちが悪いんだ」


 とうとうなんとか喋っていた少年も堪えきれずにうわっと泣き出した。二人の子供の泣き声が辺りに響きわたる。その時、少女の大声が空気を震わせた。


「大丈夫よ!」


 一同声のしたほうへ顔を向ける。その先には眉をキッと釣り上げた小春がいる。


「天狗さんが助けてくれるわ。ねえ、天狗さん」


 小春に振り返られ、葵は面喰らう。


「え?」


「天狗って強いんでしょう?だったらお願い。あやかしにさらわれた弥彦を助けて。私ここまで案内してあげたでしょう?そのお礼と思って。天狗の術を私に見せる代わりに!」


 小春を始め、皆の視線が葵に集まる。人々は葵の姿を見て「山伏様じゃ」と口々に言いだした。


 葵は森の方を見た。葵には御山の皆の仇を取るという使命がある。しかし、あやかしに攫われたという少年を見捨てるのは葵の性格上出来ぬことだ。それにここまで注目を集め、小春に頼まれた上で尻込みする理由はどこにもなかった。


「わかった」


 葵は御山を出るとき持ってきていた錫杖を肩に乗せてきっぱりと言った。


「その代わり、都から来たってやつが帰ってきたら、ちゃんと引き止めておいてくれよ」


「もちろん。任せといて」


 小春はえっへんと胸を張る。


「山伏どのにガキどもの尻拭いをしていただくなど。畏れ多いことで」


 少年たちを怒鳴りつけていた男が深々と頭を下げた。


「いや、腕っ節だけは自信あるんで。」


 葵はそう言うと、皆に背を向けて少年たちが出てきた森の方へと向かった。


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