スミルノフの野望㊱


 世界の情勢は、混沌を極めていた。

 少し前まで、エネルギー不足や食料供給不足によって、人類が近代以前の殺伐とした混迷を極めていたことは確かだった。だが、今やそれを上回る理由で状況は一変したのだ。

 互いに食うに困らぬわけでもなければ、互いにエネルギーに枯渇した状況でもない。さらに言えば、互いにそれらを奪い合う状況でもない。

 にもかかわらず、彼らは醜い争いを止めようとはしなかった。止めるどころか、塀の中の面々と成人の赤子との紛争はエスカレートする一方だった。言わば、これは人類が社会を形成してから初めての全世界的な紛争状態だと言える。

 デュバラは、疲れ切った表情で窓枠の外を見つめながら、

「私がかつて、あの弱肉強食ヴェルデムンドの世界で戦い合った頃、これも人類の尊厳を賭けた争いであると感じた。だが、この紛争自体は不毛だ。なぜなら、これはそれぞれの私闘が寄り集まった結果だからだ。この紛争は、ただ、わたくしの弱い心と、ただ、わたくしの狭い主張同士が寄り集まって具現化された戦いなのだ。そんなものに、何の意味もない。何の学びもありはしない……」

 そして彼は、頭を抱えながら椅子に座り込んだ。

 小紋は、葛藤に喘ぐデュバラのその姿を目にし、自分にそれ以上掛けられる言葉がないことを知った。

(僕は、お父様から言いつけられる以前から、になるつもりなんて一切なかった。だけど、その頃はそんなに深い意味まで考えたことはなかった。ただ何となくそう思っていただけだったんだ……。でも、そのあと、羽間さんと出会って、同じ時を過ごしているうちに、そこに凄い意味がある事を知ったんだ。だから僕は、純然たる人間として、あの人の子供を産んでみたくなったんだ。僕は純粋な気持ちで、あの人の子供を育ててみたくなったんだ……)

 小紋は、羽間正太郎を憧れの対象として、理想の人物として求め、あの危険な世界へと渡航した。

 そしてそれを果たし、奇跡の邂逅を果たしたのちに、彼女は羽間正太郎に弟子入りした。

 言うに及ばず、彼女がその貴重で濃密な時間で得たものは、彼女自身があの世界で生き抜く力と、羽間正太郎という男が様々なプロセスを経て、あのような人物となったことを理解したのだ。

(だから、今のデュバラさんの悩める気持ちも、クリスさんがデュバラさんとの生まれて来る赤ちゃんを無償で愛せる自信が分かるんだ。きっと僕は本能的に、この僕が強いと見込んだ男の人の遺伝子を後世に残したくてたまらないんだ……)


 ※※※




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