偽りの平穏、そして混沌㉞


「フフッ……何を仰るのかと思えば、そのようなカビの生えた説教など」

 スミルノフは、とうに表情を押し戻していた。冷静を装うのも商人の鉄則である。

「のう、墓荒らしよ。貴様は、何を目指しておるのじゃ? まさか、あの真っすぐな男と優劣をつけようなどど……」

「おやめください、桐野博士。もうこの私には、そのような言葉のやり取りなど通じませんぞ。私はこうと決めたのです。こうすると心の中に決めたのです。倫理? 道徳? 世界平和? 愛に満ちた平穏? 人類全体の幸福? フフッ、今の私は、そのような価値観に囚われてなどおりません。ただ……」

「ただ?」

「ただ、私は、この先の人類の行く末が見たい。ただ、自分が将棋倒しの一番目の〝押し役〟となってみたい。それだけのことなのです」

「貴様、憑りつかれおったな!」

「何とでもおっしゃって下さい、桐野博士。私は気づいたのです。それでもてっぺんに居続けようとする首長たる人物たちの気持ちがね」

「なんじゃと?」

「そうおっしゃる博士にも、少しはそのお気持ちが、お分かりになられると思います。いわゆる、それらのてっぺんに属した為政者たちは、その世の中が、何かの切っ掛けで世界が変貌してゆく様を面白がっている傾向があるのです。我こそが、この世界の動向を操っているのだと、ね」

「貴様自身が、似非神えせかみになろうとしているとでも言いたいのか?」

「ふうん、似非神ねえ。まあ、例えるならば、そんなところでしょうかね。神とは言わなくとも、世の中に自分の何かの行動によって影響を与えているという、この至福。この至福を知ってしまってからは、誰もこの幸福からは逃れられないのです」


 ※※※





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