虹色の人類92

 これは以前にも増して一刻の猶予を争う状況だった。しかし彼は、神でもなけれ万能能力を有したスーパーマンでもない。たった一人の人間であった。いくら少しばかり戦略や戦闘に長けていても、人を癒すほどの力は備わっていない。

「どうするよ、俺……。こうなっちまっては、流石に手の施しようがねえ。口じゃあ何とでも言えるが、実際にエナの命を助けるともなると……」

 彼は、過去の戦乱においても、こんな場面に幾度も立ち会って来た。

 自分は何とか這いつくばりながら運よく激しい戦場の渦中を生き延びて来られたものだ。が、同時にゲリラ戦などで散っていった仲間たちは、別れの言葉も交わすことも出来ずに次々と消えて行くのであった。

 その度に、彼の心は深い闇に包まれて行った。しかし、次第にそういったシチュエーションにも慣れてしまい、段々と無心無痛の感情へとシフトして行くのであった。

 だが、ここに来て彼の心は常人の感覚に戻りつつある。あれだけ心を通じ合えたアイシャの死。そしてまた今になって、娘のように思しき立場になってしまったエナの窮地は彼の根底を変えて行く。

 こういった根底の繋がりが増して行くたびに、次第に彼の心はいかにも人間らしかった少年の頃のように回帰しているのだ。

「この殺るか殺られるかって時によ、一体俺ァどうしちまったって言うんだ……!?」

 戦場は悲惨そのものである。故に、この場の常識は日常の非常識である。自分たちが死ぬか生き残るかの瀬戸際と言う時に、愛という普遍の衝動が出しゃばって来てしまうと、それはかえって不利益を生じさせ兼ねないのだ。

 彼は、またフッと溜息をつき、ニヤリと笑う。

「エナよ、こんな俺を慕ってくれて有難うな。だけどよ、俺はお前に何もしてやることがねえ……」

 彼女は、きっと、自分自身のどうしようもなくやるせなくなってしまった立場を打開したくて正太郎に近寄ってきたに違いない。だが、いくらそんな事を理解していたとしても、彼にはもうどうすることも出来ないのだ。

「俺はただそこら中を駆けずり回って物を売りさばく荒くれ商人だ。そして、戦場に身を置くことでしか花を咲かすことの出来ねえ野蛮人そのものだ。いくらこの俺に頼られても、エナ……、俺ァお前の傷口を癒してあげられる力なんか持っちゃいねえ……」

 正太郎は悲しい眼差しでエナに目をくれつつ、力ない小さなその手に触れた。その時である――



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