野望の60



 力なく俯いて絶望のどん底にいるような態度を見せているが、アンナのその金色の長い髪の間から覗く眼差しは本物だった。決して服従を余儀なくされた生き物の目ではない。それとは逆に、この状況を支配するだけの何かを隠し持っている目だ。

「アンナ……、一体君は!?」

 正太郎は正直、彼女を見くびっていた。彼女は、蔵人という人物の思うがままにこれまでの人生を翻弄されまくっており、実に憐れな存在なのだと感じていた。

 だが、この状況をして一直線で力強い眼差しは何だ。めげることも屈することも感じさせない強い意志は何だ。

 百戦錬磨の正太郎ですら半ば敗北を認めざるを得ないこの状況で、彼女はその敗北すら認めさせない意思を送り込んでくる。距離にして数十メートルの間隔はあろうかというのに、あたかも目の前で言葉を発せられたかのように伝わって来る。

「アンナ! 一体何を言いたいんだ!? 何を俺に伝えたいんだ!? ……ん? いや、待てよ。これはもしかして……!?」

 正太郎は突然、ハッと思い出したことがある。それは、この大騒動が起きる前、彼女との逢瀬に勤しんでいたときの会話のやり取りである。

「ねえ、蔵人。私が十二才の時の誕生日パーティー覚えてる?」

 蔵人・ジミー・マーティズに扮した正太郎が、アンナ・ヴィジットに何の脈絡もなく質された一言が彼の脳裏を過ぎった。

 そして正太郎は、紆余曲折の思考を巡らせて辿り着いた答えが、

「アンナ、勿論だよ。十二才の君の誕生日は、僕にとって最高の日だったさ!」

 である。

 その一部始終を回想した時、正太郎は何故か不思議に感じてしまっていたことがある。

『もし、このアンナと蔵人の関係が、逆にアンナの意思で動いていたのなら……?』

 正太郎はもしかすると大きな思い違いをしていたのかもしれない。彼女は、決して可哀そうな女性なのではなく、極めて芯の通ったしたたかな女性なのではないかということを。

 確かに子供の頃に起きた出来事は、蔵人によるアンナを独り占めにする策略であったのかもしれない。しかし、その後のアンナ・ヴィジットは、蔵人の言いなりになっているようで、実は自分が入れ込んでいる研究の資金源になっている。

 これは正太郎の直感だが、アンナは蔵人を心底愛している様子ではなかった。一度目の肌を触れ合わせた時に、妙によそよそしい交わらない何かを感じていた。正太郎はそれを、アンナの萎縮から来る無意識の感情からくる壁のようなものだと思っていた。

 だが思い返してみれば、それは真逆の事実だったのだと今理解できた。蔵人はああ見えて美しいアンナをほいそれと手放したくは無かったのだ。その意思は、補助脳から掘り下げたデータの端々にきちんと刻み込まれている。

 そう考えれば合点がゆく。実は相手を翻弄し、良いように利用していたのはアンナ・ヴィジットの方だったのだ。

 そして彼女は――

「へへっ、なんでえ。それならそうと最初っから言ってくれりゃいいのによ。そうすりゃ、こんな七面倒臭せえことにはならなかったかも知れねえのによ!」

 

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