⑩ページの騎士

 

「な、何よそれ、アナタ馬鹿じゃないの!?」

 セシルは呆気にとられた。まさか人工知能が一手目と称してベタな精神論を説いてくるとは思わなかったからだ。それはまるで、いきなり首筋に冷水を浴びせられたような気分だった。

 これほどまでに正確に状況を把握し、これほどまでに人間の心理を洞察できる人工知能には彼女の経験上出会った事がなかったからだ。

 これまで何度もインタラクティブコネクトを使って、沢山の人工知能とやり取りをしてきたつもりだったが、ネフィリムのようにフランクかつ洒落の利いたA・Iの存在など噂にも聞いたことがない。

 確かに今日まで、人工知能が人間の判断よりも冷静であり状況分析に於いて秀でていたのは否めない事実だったが、ここまで人間の行動を理解し、互いの思考までも理解し合えるほど生物的な反応は見せていなかった。

 それが、あの氷嵐の晩以来、このひと月程度の間でこんなに進化してしまうなどと、その方がむしろセシルには驚愕的な事実である。

 そんな彼女の複雑な心境をよそに、

「マッタク、恐レ入谷ノ鬼子母神デゴザイマス、セシル曹長。ツイデニ、二手目モ聞きタクハアリマセンカ?」

「え、ええ……。それじゃあ折角だから頼むわ」

 おそれいりや――

 きっとそれは、どこかの国で使われている言葉遊びか何かの一種なのだろう。しかし、こんな状況であっても茶目っ気を忘れないネフィリムの姿に恐怖すら覚えてしまう。

「敵機ノ数ハ全部デ七機。トイウコトハ、決定的にコチラ側ニ駒ガタリマセン」

「それはそうよ。元々一対一のルールだったんだから」

「ソレナラバ、コチラから駒ヲ作っテシマエバイイノデス」

「ええっ!? それはどうやって?」

「ナニ、簡単なことデス。コウスレバイイノデス」

 と、ネフィリムがにこりと笑うと、いきなり肩の機銃を撃ち出した。その狙いの先とは先程のヒットマンが倒れていた場所である。無論、動かなくなったヒットマンのアンドロイドは激しい機銃掃射によって粉微塵に吹き飛んでゆく。そしてそれと共に、傍らにこぼれていたベムルの実までもが弾け飛んで四散して行った。

「な、なんてことするの!? そんなことをしたら、凶暴なヴェロンを呼び出してしまうじゃない!」

「ソウデス、曹長。ワタクシハソレガ狙いナノデス。凶獣ヴェロンハ我々の味方デモ、相手方ノ味方デモアリマセン。ヨッテ、使いヨウニヨッテハ、敵ノ注視度ヲ分散サセルコトガデキマス」

 確かにそうだけれど――

 セシルは、戦略的に納得がいっても無意識で納得がゆかない。過去にヴェロンのような獰猛な肉食系植物に大切な人々を奪われた記憶が拭いきれないでいるからだ。

「ボヤボヤシテイテハイケマセン。早くココカラ離れテ様子ヲ見マショウ」

 そう言ってネフィリムは、白蓮改のホバー機能を最大にする。機体はたちまち大木の立ち並ぶ隙間を縫いながら勢いよく前進する。

 白蓮改の仮想フィールド内では、レーダーによる警告音が鳴り響いていた。敵機が彼女らの機体により近づいてきた証拠だ。

 今回、相手側のミシェル・ランドンが扱う機体は、あの氷嵐の晩に使用したものと同じ方天戟である。方天戟は、中距離攻撃と近接攻撃を得意とする汎用型の戦闘マシンである。それゆえに戦略的に扱い易い。また、誘導型ミサイルの装備も可能であり、高速連射も可能なソニックブームキャノンが通常装備とあらば万人向けであることは間違いない。

 それに比べて、セシルの選んだ白蓮改においては、機体の肩に取り付けられた二十ミリの機銃二門と、振動で相手を切り裂くソニックブレードが二振り装備されているのみで、中距離攻撃には不向きである。その代わりに、機動性に優れ一撃離脱に特化している。

 これが、セシルが当初目論んでいた通りに事が運んでいれば、近接戦闘に特化している白蓮改の選択で間違いはなかった。しかし、相手が複数となると雲行きはかなり怪しくなる。やはりこうなれば、敵を引き付けるもう一つ策が無ければ上手くはゆかない。

「曹長。ナゼ、アノヒットマンがベムルの実ヲ持っていたノカ、お分かりニナリマスカ?」

 ネフィリムは、余裕の表情で彼女に問いかける。

「さあ……。よく分からないけど、やはりヴェロンを呼び出して私たちに襲わせようとしたのかしら?」

「イイエ、ソウデハないと思いマス。キット、ミシェル兵士長は、アノ実ヲ我々ノ機体ニ撃ち込もうトシテイタのダト思いマス」

 それを聞いて、セシルは全身の血の気がサッと引いてゆくのを感じた。もし、ネフィリムのその推測が正ければ、ミシェルがやろうとしていたことはヴェルデムンドの世界では完全な禁断行為である。これほど残忍で愚かな作戦などこの世界に存在しない。

 とは言え、これまでの事を考慮すれば、もう賢い人工知能でなくても全てが理解できる。彼女は、ミシェル・ランドンという女の野心のみに巻き込まれているわけではない。もっと不可思議で腹黒い濁流に飲み込まれてしまっている。

 まして、この目の前にいるネフィリムという不思議な人工知能の存在といい、この荒唐無稽ともいえる選考会といい、今までの常識から言えばあり得ないことだらけである。

 そんな一寸先も見えない激しい流れの泥水の中に、否応なしに放り込まれてしまった感覚は否めない。

「ねえ、ネフィリム。一つだけ質問していいかしら?」

「エエ、ドウゾ」

「アナタって、いつこの世に生まれ出てきたの?」

「ウマレデタ? ……アア、製造サレタ日ノ事デスネ。エート、カナリ不確かなのデスガ。多分、ココひと月ノ間デハナイカト……」

 ネフィリムは途端に不明瞭な物の言い方をする。これまで、闊達であり誠実な性格を見せていたネフィリムからは考えられない態度であった。まして人工知能が製造年月日のような事象を忘れるはずがない。

 ということは――

「アナタ、誰かに消されているわね、過去の記憶……」


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