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「なんだと! もう戦争はとっくの昔に始まっていただと!? じゃあ何かい? 日次のじいちゃんや、それにのこのこ付いて行っちまった悠里子やおじさんおばさんまで、そんな下らねえことに巻き込まれて死んじまったとでもいうのかい!?」

 体は容易に動かぬというのに、正太郎の怒号は壁を突き抜けんばかりの迫力があった。余りの彼の勢いに、またベッドから転げ落ちるのではないかとクリスティーナが正太郎の肩をそっと抱え込む。

 大膳は、満身創痍の正太郎に対し日次一家が巻き込まれたハイジャックテロ事件について話すことはあまり気が進まなかった。が、今までの事の経緯を知ってもらうためにはどうしてもそれについて話さなければならなかった。ゆえに彼らも心が痛む。

「まあまあ、落ち着いて話を聞いてくれ羽間君! 私たちは何もキミに辛い過去を思い出させて苦しませたくて言っているわけではない。しかし……」

「てやんでい、ざけんじゃねえ! これが落ち着いて聞いていられるかってんだい! いくら馴染みの鳴子沢さんだからってそれ以上言うと承知しねえぞ! 俺ァな、あの日から、あの悠里子が死んじまったあの日から、何もかも忘れて前だけ向いて生きて行こうってそう決めてたんだ。前だけ向いて生きて行くってそう悠里子に約束したんだ! なのに、今さら日次一家がいなくなる前から戦争が始まっていただと!? てえことは、俺ァまたアイツを背負いながら戦わなきゃいけねえってことじゃねえか! またアイツの事を思い出しながら生きて行かなくちゃならねえってことじゃねえか! 冗談も大概にしてくれよ! 馬鹿も休み休み言ってくれよ!」 

 正太郎は、今さら思い出したくもない出来事をほじくり返されて気が立っていた。彼にとってあの事件は、その後の人生の選択肢に大きく影響を与えた出来事でもあったからだ。

 そして実のところ、散々世話になった日次一家のことや愛しくて止まなかった悠里子の死という事実から目を背けて生きてきた証拠でもあるのだ。そのことは自らが良く分かっている。言葉では前向きだとか約束しただとか口にしていても、本当のところはただその事だけは触れられなくない、そしてその事だけは認めたくないだけなのだ。それが故に癇癪を起しているのも自らがよく分かっているのだ。

 首筋から肩の辺りの震えが止まらぬ正太郎。そんな彼の肩をクリスティーナが無言で包み込み、優しい手つきでさすっている。

「す、すまん、羽間君! 私らはちょっと急き過ぎた。だが解かってくれ。これは必ず通らなければならない筋道なのだ。解かってくれ」

 大膳は正太郎に深々と頭を下げた。そんな大膳の態度に、正太郎は内心情けなさで溢れかえっていた。

 もうあれから十数年以上の時が経っている。それなのに、まだ彼女の死を受け入れていない。受け入れられていないのだ。

 その因果なのだろう、言い寄られた大抵の女は一夜限りの関係にしかならず、若い時分は放蕩のかぎりを尽くすのみだった。あわよくば関係が長続きしたとしても、女という生き物はとにかく勘が鋭い。ゆえに正太郎の背中に別の女の影を見ると、そっと彼の元から去ってしまうのである。

 そんな繰り返しが常態化した今になって、過去をほじくり返されるというのは何よりも辛いことである。

「す、すまねえ鳴子沢さん……俺ァちょっと疲れた。話の続きは明日にしてくれねえか?」

 目を瞑り、歯を食いしばりながら耐える正太郎。

 そんな彼の姿を見て、大膳もゲオルグ博士も顔を見合わせて、

「相分かった。私たちはキミに期待するあまり、いささか心がはやってしまっていたようだ。出直すとしよう」

 そう言ってクリスティーナに一言二言ことづてをすると、自動扉に足を向けた。

 するとその時、

「何!? それはどういうことだ!?」

 大膳が突然宙に向かって叫び出した。

 というのも、彼はヒューマンチューニング手術を受けた“ミックス”である。ミックスは肉体の半分以下を機械に置き換えただけではなく、三次元トータルネット通信という脳に直接情報をやり取りする回線通信も備えている。

 たった今、大膳の脳に緊急の秘匿情報が舞い込んできたのだ。

「こ、小紋とマリダが対象に拉致されただと!? それは本当なのか!? ……ああ、ああ。事情は了解した。相分かった、それも了解した。すぐそちらに戻る。こちらも作戦を立てる必要がある。そう、そうだ。では……」

 大膳は見るからに落ち着き払った様子で対応しているようだったが、正太郎を始めとした誰の目にも動揺は隠せなかった。

「ちょ、長官……、娘さんは御無事なのでしょうか? まさに長官がご心配なさっていたことが起きてしまいましたね」

 ゲオルグ博士は苦虫を噛み潰した表情で問うた。

「ふむ……私がもっと娘を監視していれば……」

 そんな二人のやり取りを見ていた正太郎は、

「な、なんなんだよ鳴子沢さん! 小紋が捕まっちまったって? 一体どういうことだよ?」

 正太郎はまだ目覚めたばかりで、現在のヴェルデムンドの状況を把握していない。

 すると大膳は、大きな体を風を切って向き直り、

「羽間君! 悠長なことは言っておれんようになった。やはりすぐさまキミの力が必要になった。何とかこの通りだ! 早くその体を復活させて小紋を……、娘を助けてやってくれ! 頼む、お願いだ!!」

 今度は思いきり深々と頭を下げた。

「な、なんでえ。なんなんでえ鳴子沢さん。小紋がどうしちまったってんだよ? アイツなら何とかなるんじゃねえのか? だってよ、アイツはミックスだし、もし拉致られても何とか対処できんだろ? 傍にはマリダだっているんだし……」

「それが……それが羽間君。キミに言っておかなければならないことがあるんだ」

「なんだよ改まって……」 

 正太郎に質されると、大膳はしばし口をつぐんだ。そして彼は、

「小紋はヒューマンチューニング手術を受けていない。ミックスではないのだよ」

 そう言って、この一連の事の始まりを語り出した。



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