「俺の目が節穴だったって話だ」

「ったく、楽にしろっつってんのに」


 つぶやきながらも、リツの頬はゆるんでいる。そのことに気付き、唇を引き結び、移動させた椅子を戻す。

 怪我をした左肩が少し痛んだが、そのくらいで手を止めるようなことはない。

 リツは自分で自分の肩に包帯を巻けるほど器用ではないので、後で、医務室に寄るか知人を捕まえることに決める。


 部屋の最奥さいおう、入り口の真正面に位置する机の前で改めて椅子に腰を落とすと、リツは、受話器を手に取った。内線につなぐ。


『はい、第二部三課ミムラ――』


 まだ若い男の声が出る。リツは、さえぎり名乗ることもなく切り出した。


「昨日は悪かったな」

『――遅かったですね、今回。早く代わり寄越よこせって言って来ると思ってましたよ。何事ですか』  

「俺の目が節穴だったって話だ。残るとよ」


 それどころかリツのもとで働きたい、とまで言ったとげればどんな反応をするか。知りたい気もするが、何となくやめておく。


『そうですか、それはそれは。リタが喜びます』

「は? なんで? 成績一番下だろ?」

『ああ、それはそうなんですがね。一度、廊下でぶつかってノートを目にする機会があったらしくて』

「ノートぉ?」

『そう。入れ替わっちまったらしくて、後で気付いてびっくり。で、これがなかなか上手くまとめられてたらしいんです。ただ、試験の結果を見るに、本番に弱いんだか思考がじゅくすのに時間がかかるかのようで。一部か三部か、さもなきゃリツさんに任せるのがいいんじゃないかって言ってたんですよ』

「へえ…」


 なんだ、認めている奴もいたのに気付いてなかったのかあいつは、と、苦笑がこぼれる。


『新人が居つくってことは、他は当たらなくっていいんですね?』

「いや。ウチに希望だしたって馬鹿がいたろ」

『ああ、前代未聞の二人ですね』

「そうそれ。なるべく早く、ウチに回してくれ」

『…そりゃ、やれることはやりますけどね。いいんですか。言っちゃなんですが――』

「わーってるよ、キナ臭いってんだろ。いーんだよ、面倒ごとはまとめて早々に片付けりゃ」

『そんな無茶な』

「ソウヤがもうすぐ退院だかんな。多少の無理はきかせるさ」

『…おれ、つくづく、早くに転属願い出してよかったと思いますよ。リタの希望を叶えてくれなかった二部三にも感謝します』

「へっ、言ってろ。それより、今の実技はどうなってんだ? この間模擬指導に呼ばれてよ、ウチのもまとめて対応見てたらラチあかねーから、基本、左方構えっつっても動かねーの。俺らんときはさんざ、型叩き込まれたよな? 型言われたら、咄嗟とっさに動いたもんだよな? ったくよー、どんな指導してんだよ」

『色々、方針も変わってきてんですよ。今は校長も変わりましたしね。まあ、そういった話はまた今度』

「ああ。じゃあ、たのむな」


 受話器を置くと、がちゃん、と、他に人のいない部屋に響いた。

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