第六十一話 それぞれの大切

 緩やかな山道の川沿いに辿り着いた瞬間、異変に気付いた。


「兄貴? 兄貴!? どうしたんですか!!」


 背負うビリーの身体から力と生気が抜けていた。その長身をそっと地面に下ろすと、その陶器のような肌は土気色に変わり、脈拍も停止している。


「まぁ、策って奴は幾重にも設けておくもんだ。よろしくて? ってか?」


 混乱するジュンヤの背後から聞こえた不敵な声の主は、無論、この世界を狂わせたすべての元凶。


「俺の力で転生させた奴の魂は、俺の意のままよ。このまま跡形もなく潰されたくなかったら、そのをこっちに寄越せ」


 ジュンヤも薄々気付いていたが、やはりビリーはイレギュラーな転生者だった。それと同時に、その生殺与奪は、ネクロマンサーであるクリーフに握られている。ジュンヤは丁重にビリーを抱き上げると、その身体を、クリーフに預ける。筋骨隆々とした壮年の元勇者は、それを荷物でも扱うような乱雑な振る舞いで彼を肩に背負う。


「で? 俺に何の用っスか」

「ふん、お前に用はねぇが、お前の異能には用がある」


 クリーフは口元に下卑た微笑を張りつかせたまま、天界に向かうためジュンヤとマコトの異能が必要だということを話した。女神のことに関しては伏せられた。


「お前、今からちょっと行って、あの“勇者殿”を、ここに連れてこい」

「カモにネギを背負って来いってことスか」

「そういうことだな」

「やるわけないでしょ。バカか、アンタは」

「そうか、なら!」


 クリーフの右掌に、黒い炎が宿った。魂。それを、木の実を潰すように握り締めた瞬間、ジュンヤの口から「よせ」という言葉が自動的に漏れた。


「ふん。お前は、“兄貴”にはなれないようだな」

「……そうみたいッスね」


 噛み締めた歯の間から、声を絞り出す。


 クリーフの強迫に屈したわけではない。いや、それも確かにあるが、それ以上に考えたのは、マコトのことだった。自分のためにビリーが死んだと知った彼女がどう思うか、それを考えた。その上で、自分一人ではこの状況を覆せない弱さと敗北感を受け入れ、一旦は元ギルド長の要求を呑むことに決めた。


「契約だ、。俺がマコトさんを連れてきたら、必ず、兄貴の魂を戻せ」

「いいだろう。賞金稼ぎってのは、そういう世界だ」

「アンタは勇者なんだろ?」

「ああ、そうだったな。だが今は、どちらでもない。皮肉だなぁジュン坊よ。互いに元勇者で、元賞金稼ぎの無職だってのに、立場がここまで違うとはな」

「違う……んスかね」


 クリーフの張り付いた微笑が消えた。ジュンヤは、その顔を指差して言う。


「アンタのそれ、自分の思い通りになってることより、誰か、大切な人に会えるのが嬉しいって表情かおに見える。一緒じゃないッスか。俺はもう一度、兄貴と、いや、マコトさんと兄貴を、んですよ」


 ジュンヤの声が、それなりに深みのある川の流れる音に溶けた。


 しばし、互いを無言で睨みつける時間が続く。


 その沈黙が破られたのは、またしても、気狂い棺桶屋だった。


「ジュンヤよ、山ン中はゾンビだらけだ。ここは一旦、退くしかねぇぞ! ―――おお!? クリーフの野郎もいやがるじゃねぇか! ビリー? どうしやがったんだてめぇは」


 先ほどまで機関銃をゾンビ軍団に掃射していた老人が躍り出て、しゃがれ声で状況をすべて口に出すことで、一瞬、空気が弛緩する。


 ややあって、エッガーがこう言った。


「……ん、大体分かった」

「分かったんスか!?」


 思わず突っ込んでしまうが、理解が早くてありがたい。


「とりあえず、行くぞ、ほれ」


 エッガーは、その小柄な身体で跳ねるように走り込んでくると、どん、と、ジュンヤを押した。


「え?」


 呆けた顔で、急流の川に投げ出されるジュンヤ、と、エッガーの身体。


「ええええええ!?」

「大丈夫、お前さん、死なないんだろ?」


 無茶苦茶なことを言いながら、不可避の位置エネルギーに流されていく二人を、クリーフは呆れ顔で見送った。


「逃げてどうするつもりだ、あの馬鹿どもが」


 そう、どこへ逃げたところで同じだった。


「まぁ、少しばかり焦ってもらうとするか」


 一つ呟くネクロマンサーが、自身の研ぎ澄ました異能の本領を発揮させる。


「腹が減ったろ死霊ども、身体をやるぞ、存分に喰らいやがれ」


 その言葉に、世界中の埋葬された死者が反応した。それらはクリーフの意のままに動き出し、やがてクリサリアの人々を襲い始めるだろう。


 世界は、転生した勇者によって、再びの危機に見舞われていった。


※※


「ふぃー、せっかく作った棺桶が、全部ダメになっちまったぜ」


 荒野に流れる大河の川岸。命知らずの川流れを生還したエッガーが口惜しそうに言うが、ジュンヤは、同意も否定もできない。そんな場合ではないのと、これからせねばならない憂鬱な作業に、顔が曇るばかりだ。そんな少年の様子に、老人が軽い調子で声をかける。


「どしたい?」

「どうしたもないッスよ。俺はこれから、バーゼでマコトさんに「兄貴のために死んでください」なんて言わなきゃいけないお仕事があるんスから」


 しかし、その言葉をエッガーは鼻で笑う。


「はっ! ここまでやってきて、てめぇ、糞クリーフの小遣い小僧になり下がるつもりか?」


 もっともな言葉だった。正論だ。だからこそ、何も言い返せない。


「横紙は、破るためにある。そうだろ、若造」

「だから、どうすれば……」

「ンなこと知るか!自分で考えろ」

「ええー!?」


 徹頭徹尾無茶苦茶な爺さんだ。ジュンヤはしかし、少し勇気づけられた。


「ねぇ、エッガーさん」

「あん?」

「なんで、助けてくれたんスか? ただ墓を荒らされたってだけじゃ、ないですよね」


 またぞろ鼻を鳴らしてから、エッガーは、こんなことを言った。


「俺ぁ、亜人の中でも見目麗しくない小人族よ。シリズ政権でも、同族は保護の対象にゃならんかった。そんな同胞の子供を保護した変わりモンが、おったっちゅうことよ」


 敢えて見た目の悪い、マコトが言うところの“弱者序列”が下位になってしまっていた亜人族ばかりを養う孤児院のことと、そこに得た賞金のほとんどを突っ込んでいた長身痩躯の男の姿を思い出す。


「……そう、ですか」


 ジュンヤは、それだけを感想とした。それ以上はいらないと思ったからだ。


 と、ここまでなら、“良い話”ということで済んだのだろうが、そうもいかない事態が起こる。


 荒野のあちこちから、かつて埋葬された死体が次々と現れたのだ。中には、人ではない、魔物のゾンビもいた。


 ジュンヤとエッガーは、しばし互いに顔を見合わせた。無論、即刻、逃げるしかないという無言の同意が交わされた。


「おいジュンヤ! てめぇの背中に乗せろ! そして危なくなったら囮になりやがれ!」

「ええー!? やぶさかではないッスけども! 物言い! 物言いとして!!」

「るせぇ! 年寄りは大事にするもんだ! 特に亜人族はな!」

「関係ないでしょ!!」


 バーゼに行く案は却下し、とりあえず今は、逃げて、逃げて、逃げまくる。そういうことにしたのであった。

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