第九章 女神と勇者

第六十話 クリーフの話

 一人の男がいた。


 普通の男だった。


 良心があり、正義感もあり、愛情があり、それが失われることを心の底から嘆く純粋さを持った、ただの人間だった。


 そんな彼が死んだ。


 これもまた、普通のことだった。


 不慮の事故。世界中を見渡せば、数秒単位で起きている若者の死。


 そして、彼はあくまでも普通に、その運命を拒んだ。


 偶然だった。およそ誰もがする「死にたくない」という祈りを、別の世界を創った女神が聞き届けた。


 彼女にも事情があった。


 その世界は、人と魔物が均等に争い続けることで秩序を維持していたが、そのバランスが、ふとした拍子に崩れてしまった。


 強すぎる魔物と、同じく強大な力を持つ人の子が混じり合って“魔人”となり、やがて“魔王”を名乗った。


 女神の愛しい子供たちと、彼らがいる世界は滅亡の危機に瀕した。


 男が“勇者”として新たな生を授けられたのは、何のことはない。魔王を倒す駒としてだった。


 それを、男は素直に受け入れた。代わりに、一つの条件を出した。


「女神様よ。もし俺が魔王を倒せたら、俺の妻になってくれ」


 男は、女神を一目見た瞬間、恋に落ち、求婚した。予想の埒外らちがいではあったが、女神は面白そうに、その提案を受け入れた。


 男は喜び、その身に人智を越えた異能を宿す赤子として転生した。成長し、魔王討伐を目指し、鍛錬を続け、仲間を募り、冒険を始めた。その過程で、馴染みのある一丁の銃を創った。


 銃使いのネクロマンサー。勇者としては歪な姿ではあったが、気にしなかった。女神の創り上げた世界に、愛着も感じた。救ってやろうと思えた。


 理由こそ少々下世話で即物的なものではあったが、彼のひたむきさ、一途さ、なにより自分への真っ直ぐな愛に、女神も心を許していった。いつしか一人の魔法使いとして人界に降り立ち、旅に同行するほどに。


 魔王討伐後に正体を明かし、男は笑った。「女神との約束を忘れるほどに惹かれていた」と。


 両想いの勇者と女神は、クリサリアの大地の人の目につかぬ辺境で夫婦めおととなった。


 子を為すことこそなかったが、二人は幸せな日々を過ごした。


 が、長くは続かなかった。


 人と魔物が均衡を保つ世界のバランスは、魔王亡きあとも崩れたままだった。それを調整する立場にある女神と勇者の不在が、混迷を深めてしまっていた。


 王を中心とした政治体制は崩壊していた。法無き世界は、後にシリズ・バーゼが王となる以前より存在していた。


 個としての幸福を追求すれば、世界が乱れる。責任を感じた女神は、男と別れようとした。


 先述したように、男は普通の人間だった。


「行かないでくれ」


 愛する者との別れを嘆き悲しみ、すがりついた。


「それが叶わぬのならば、おれも天界に連れて行ってくれ」


 不可能だった。天界では、絶大な魔力と、不死の身体がなければ、人の身など一瞬で消し飛ぶ。長命のエルフほどではないが、勇者として長い寿命を与えられていた男ではあったが、それだけだった。


「せめて、貴方にも永遠の命があれば、天界で共に生きられるのに」


 憐れな夫の姿に、ぽつりと漏らしたその一言が、男を狂気に駆り立てた。


 手始めに、死した魂を操れる“異能”を使い、魔王を復活させた。


 そして、長い時間をかけ、“魔人化”の魔法陣を描き、強大な魔力と永遠の命を得ようとした。


 しかし、そうする間に、女神が、より新しく、より強大な異能を持った勇者を転生させた。


 新たな勇者シリズは、あまりにあっさりと魔王を倒し、クリサリアの王となり、手前勝手な悪政を敷いた。


 ―――女神よ。何故そのようなことを。おれはお前とまた共に暮らすために、魔人になろうと決意したのだぞ。


 女神を、しかし、男は決して恨まず、作戦を丁寧に練り直した。


 魂ごと破壊された魔王はもう復活しない。ならば、それ以上の力を持つシリズと融合すればいいのだ。


 だが、シリズは強大過ぎた。魔人化術式を仕掛ければ、逆にこちらが取り込まれてしまうことは必至だった。


 ならば殺し、魂を操れば。否、自分の力では不可能だ。


 思い巡らしていると、シリズが次々と転生者を勇者としてクリサリアに呼びこんでいることが明らかになった。


 同じことが、自分にもできるかもしれない。


 死霊魔術の異能を研ぎ澄まし、かつて自分がいた世界から死者たちをこの世界に転生させた。


 身寄りのない子供達は勇者を倒すためだけに鍛えられた少年兵となり、賞金稼ぎを名乗った。彼らは成長し、いつしかギルドとなり、男はその長に納まった。


 男の所業によって、世界のことわりは、既に修復不可能なほど歪んでいた。


 あまりにも深い情念と執念が生んだ、女神を介さぬ転生者に、彼女と配下天使の対を為すクリサリアの悪魔が目を付けた。


 ―――契約をしようではないか。旧き時代の勇者よ。女神の夫よ。


 悪魔たちは、女神が人との色恋と人界の生活にかまけてくれていた方が都合が良かった。さらに、天使の手垢なき異世界ちきゅうの人の子の運命を血に塗れさすのは、大変な愉悦でもあった。


 愛に狂った男も、悪魔が持ち掛けたまさしく悪魔的な契約に甘んじて乗った。


 育てた者が子を為せない身体になろうと、何人死のうと、知ったことではなかった。すべては、自分が天界に向かう依代よりしろとなるシリズを抹殺するための駒でしかなかった。


 しかしながら、冷酷な彼の思惑とは裏腹に、ギルドは悪徳勇者を罰する組織として、ひっそりとだが確実に知名度を上げ、規模を拡大していった。


 運営が面倒になった男は、ギルドの規模が最も大きくなった時期に、敢えて隠れ里の情報を勇者に流し、その数を削いだ。


 以降は賞金稼ぎたちを「ギルドを互いに不干渉な三つの組織に分ける」などというまことしやかな嘘で騙し、自分の手で収まる範囲で勇者狩りを続けた。


 計画の始動から二十年、ついに好機が巡ってきた。


 これまで育ててきた賞金稼ぎで一番の逸材と、シリズの実妹であり同等の異能力を持った勇者が手を組んだ。


 表面には決して出さない本心が、狂喜乱舞を始めた。


 悲願が、果たされると思った。


 シリズを殺し、その魂を我が物とする。


 が、またも彼は計画の変更を余儀なくされる。


 シリズもまた、妹を使って魔人になろうとしていた。そこまでは、魔力と不死を求める男にとってはむしろ好都合だったのだが、彼が一番弟子とシリズの妹に倒されるとき、その魂が大きく欠損してしまった。残ったのは、シリズの残りカスとでもいうべき魂の残骸だった。


 男の中で、何かが切れた。


 かつて自分のいた世界から年端もいかぬ子供の魂を捕まえ、クリサリアに転生させ、教育と訓練を施し、醜悪な悪魔どもと契約を交わす。そこまでの手間暇を二十年もかけて、またも失敗した。


 もういい。


 このような役立たず共は、皆殺しにしてしまおう。このようなときのために、賞金稼ぎに恨みを持つように仕向けた勇者がいた。


 セツウに中途半端な魔人化を施し、傀儡にした。手引きをし、村を滅ぼした。


 すっきりした。


 そこで、一つの素晴らしい考えが頭に浮かんだ。


 そうだ。


 いるではないか。


 と、が。


※※


 ここまでが、“クリサリア最初の勇者”クリーフ・リーヴァンズの話。


 彼の目的は、ビリーではない。


 求めるは『不死』。


 ジュンヤの異能だった。

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