最終話

 マリアン。


 マリアン、いるか。遅くなったな。


 もう、クリサリアに魔王はいないぞ、勇者も、いずれいなくなるだろう。お前の創った、お前の愛した子供たちは、大丈夫だ。


 さぁ、また一緒に暮らそう。


 マリアン……マリアン、どこにいるんだ。


 回り道ばかりしていた俺を、怒っているのか。


 お前の世界を乱した俺を、許せないか。


 ならば叱ってくれ。罵倒してくれてもいい。殺してくれても構わない。


 だから、早く来てくれ。俺だ、クリーフだ。人の身では、この天界でいつまでもつか。


 マリアン……マリアン?


 それは、誰の名前だっただろうか。


 思い出せない。俺にとって、とても大切な物だったはず、なのに。


 俺―――俺は、誰だ?


 俺の名は、なんと言ったんだっけ。


 なんで、こんな場所にいるんだっけ。


 何も分からない。思い出せない。


 何故だろう、なのに、とても悲しい。寂しい。苦しい。


 会いたい。誰かも分からない誰かに会いたい。思い出せない名前を呼びたい。そして、もう呼ばれても気付けない自分の名を、もう一度呼んでほしい。


 ―――光が見える。誰かがそこに立っている。


 あなたは、誰だ。


 分からない。


 でも、もう、いい。


 きっと、あなたなんだろう。


 さぁ、共に―――


※※


「やいビリー、一体何が起こったんだ? アホのクリーフが妙な術でいなくなったと思ったら、小僧のジュンヤまで消えちまった。この老いぼれにも分かる通り、一から百まで順を追って説明しやがれ」


 威勢の良いエッガーの問いに、ビリーはこう答えた。


「女は人を狂わすって話さ」

「ふん、なるほどな。分かりやすい説明をどうも」


 クリーフの起こしたゾンビ騒ぎのせいで、丹精込めて作った棺桶が次々と壊されたことに大層ご立腹らしいエッガーが皮肉で返す。


「で? お前さん、どうするつもりだい?」


 その問いへの答えは、やや長い間を必要とした。


「そうだな―――Billy come back」

「はぁ?」


 突然、聞いたこともない言語を話し始めたビリーに、エッガーが心配そうに尋ねる。


「ついにイカレちまったのか」

「そうらしい。ちょっと良い医者を探しに行くことにする。バーゼ辺りにな」


 飄々と動く口に、煙草が一本、咥えられる。紫煙が、クリサリアの天に向かい、立ち上る。


「片腕で、銃も失ったお前が、この荒野を抜けられるのかね」

「試してみるさ。もし、死んだら―――」

「棺桶は任せとけ」


 互いの意思がぴたりと合い、大きな笑いが起こる。


「まずは山を下りて、ジムの町でルーファスから食料をぶんどる」

「ジョーの町には、ジュンヤが乗ってきた馬がいるぜ?」

「そいつは良い、エドに乗ったら、あとは一気にバーゼだ」


 簡単な行程ではない上、既に満身創痍のビリーには下山だけで一苦労ではあったが、


「待ってろ、勇者殿」


 と、呟き、吸い終えた煙草を無造作に投げ捨てると、東に向かう足を踏み出した。


※※


「マジか」


 悪魔の契約で、クリサリアを放り出されて、どこに辿り着くのかと思ったら、


「懐かしき我が故郷じゃないッスか」


 と、ジュンヤが感嘆する通り、そこは、間違いなく地球、そして、彼の出身地たる日本国であった。


 時刻は夜。


 季節は夏。あちこちから聞こえてくる虫の音と気温で分かる。


 目覚めたのは、何故か高層ビルの屋上。眠らない都市の夜景が、眩いばかりの月明かりと星座の物語を映し出すクリサリアの夜をしのばせる。


 そのネオンの一つ、とある商業施設に映し出された今日の日付が、これまた驚きであった。


『2030年 8月25日』


「なかなかに未来……!」


 ジュンヤの享年は2010年だった。ということは、同級生たちも既にアラフォー。両親も古希を過ぎていて、ひょっとしたら既に亡くなっている可能性もある。が、自分をまったく知らない人間ばかりということもない。


「いやらしく中途半端な時代に送るのが悪魔的ってことスかね」


 とはいえ、割と能天気に独りちる余裕はあるようだ。


「あとなんか夜なのにクソみたいに暑い。温暖化の進行パネェな日本」


 今日も今日とて、日本の夏は熱帯夜と共にあった。


「さてと、実家に顔出すかは置いておいて、まずは、着替えですかね」


 この西部っぽいチョッキと帽子はコスプレ感が強い。見たところ大都市で、人種の坩堝るつぼに紛れてしまえばどうとでもなるかと思ったが、重大なことに気付いた。


こいつの隠し場所を見つけるのが先決ッスね」


 日本が、流石に二十年で銃社会になったということはないだろう。腰に差したリボルバーを撫でる。“殺さない生き方”を見つけたガンマンの、大事な贈り物だ。


「マコトさん、ケンジさん、コーザさん、ピリスさん、フー、ボニーさん、ビリーの兄貴」


 虚空に向かい、一人ずつ、もう二度と会えないだろう仲間たちの名を丁寧に呼びかける。


「忘れません。それに、俺、頑張ります」


 恐らく商社ビルの屋上で一人ブツブツ喋っている時点で結構危ない奴だし、何を頑張るのかは分からないが、少年はとりあえず、再び辿り着いた世界を前に、そう宣言した。


※※


「うわああああ! 待って待って!」


 今日は朝から馬たちが大騒ぎだった。小型獣人ケットシーのディナは犬耳をピョコンピョコンと跳ねさせながら、必死で彼ら彼女らを止めようとするが、どうしたことか、今日に限っては言うことを聞いてくれない。


「はいは~い、みんな、落ち着いてね~」


 と、間延びした幼い声がディナと馬たちに届いた瞬間、今にも厩舎を壊して逃げ出さんばかりの暴れ馬たちが借りてきたポニーと化した。


 声の主は、動物と心通わす優しき勇者フー。自分の時とはまったく違う反応に、牧場主としてそれなりの矜持を抱くディナが凹む。


「動物って、現金ですよね」


 これがフーの人徳と能力によるものだということは無論の事だが、それ以外にも、単純にフーが勇者として“強い”ことが動物たちを手懐けている。それを評したディナの恨み節にも応じず、フーはいつも通りおっとりとした口調で動物と話を続けている。


「ふんふん、へ~、そうなんだね」

「何かあったんですか」

「えーっとね、出て行った友達の匂いを嗅いだんだって」

「出て行った友達? ―――それって」


 約半年前、急に一頭の馬が、二人の男と共にいなくなったのだ。二人は、同時に答えを発した。


「「エド!」」


 そして、その馬が帰ってきたという事実は、もう一つの、嬉しい知らせを含んでいた。


※※


 クリサリア大陸で、同時多発的に起こった魔物も含んだ亡者の騒動は、始まりと同じく、何の脈絡もなく突然に終わりを告げた。


 とはいえ、完全な終結宣言を出すには圧倒的に情報が足りず、結果的に、一カ月もの厳戒態勢を要してしまった。


 怪我の功名というべきか、この全世界的な緊張状態が、転生勇者に隷属していたクリサリアの民に再び自立と自律を促した。


「―――なんていうことになったら良かったよね」

「そうは上手く行きませんよ」


 バーゼ城の中庭で発せられたケンジの愚痴に、穏やかな口調でマコトが答える。


「ですよね~。“戦時”の緊張が、国民の意識を向上させる―――なんて、僕らの国じゃボケ老人の戯言でしかないし」

「そこまで悪し様にいうことはないのじゃない? でも、本当に大切なのは“戦時”じゃなくて“平時”の過ごし方だとは思う」

「だね。政治にチート無し!」


 グッと握りこぶしを高く掲げ、芝居がかった口調で気合を入れるクリサリア最高議長。


「じゃ、今日も頑張って行きましょう。司法長官殿」

「はい」


 そう返事をする眼鏡を掛けたローブ姿の幼馴染は、最近少し元気がない。『千里眼』無きあとも、その心中を察するくらいはできる。


「コーちゃんもピーちゃんも気が利かないよね」

「え!?」


 現在も世界各地で“勇者業”に勤しむ仲間のミス。“彼”の手がかりをみすみす逃した不手際を指摘する声に、マコトが大きな声を上げる。


※※


 二人揃ってくしゃみが出て、まさかクリサリア特有のアレルギーにかかったのかと不安がるコーザとピリスの姿は、西部の荒野にあった。


「異世界に来ても花粉症とか、シャレにならないからね」

「右に同じ」


 冗談ではあろうと推察されるが、弓兵と鎧の勇者は真面目ぶった口調である。本当に嫌なようだ。


「で、コーザ、今日の目的地はどこだっけ」

「だから予定くらいちゃんと自分で確認しろと―――もういいや、ジムの町だ」

「辺境も辺境ね」

「魔物も多い。ある意味、やりがいはある」


 彼らは、今、各町に魔物を狩るギルドの設立に奔走していた。クリサリアの人々が、また、自分たちの足で立ち、戦っていけるように。


「ん。じゃ、頑張って行きましょうっ!」

「おー!」


 なんとも軽いノリではあったが、それでもやはり顔は真剣である。しかし、そんな彼らの様相に驚愕が浮かぶ出会いがこの先、ジムの町に待ち受けていた。


 そこには、一人の英雄が、とある少女と酒場の男の口を発端として、祀り上げられていたのだ。


 人知れず町を救った少年。


 その名も―――


 勇者ジュンヤ・サトウ。


※※


 場面は再び、バーゼに戻る。


「せっかくサトウくんに会ったのなら、一人くらいくっついて行けば良かったのに」


 とてもくっついていける場所ではなかったことを、神ならぬケンジは知る由もない。


「仕事を放り出す方が問題です」

「相変わらず固いね」

「当たり前です」


 彼が戻ってきたとき、自分が変わってしまっていたら、きっと残念に思うだろうから。


「ふふ、でも、ちょっとだけやる気が出てきました。ありがとうございます、ケンジ」

「……そりゃどうも」


 短く言って、ケンジは歩き去っていった。その背を見送ってから、マコトは、一人、呟いた。


「待ちます。いつまでも」


 彼を待つ少女の視線は、遠く、クリサリアの西部を見つめていた。


 そして、ここバーゼに向かい、耳に馴染んだ蹄の音が、一歩、一歩、近付いてきていた。






勇者狩り 完

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