第10話 A組の女王様とトキコーの女王様
俺たちの家は厚別区にある。最寄りの地下鉄の駅からは徒歩で15分といったところだ。まあ、あまり正確ではないが。
この辺りは住宅地であり、我が家の敷地はこの地区の家の中では少し広いけど、札幌のベッドタウンに住んでいる篠原の家の敷地に比べたら狭い。それでも篠原の家の方が安いというのだから、その辺りは地価の違いという事だ。
しかも建物の大きさは篠原の家と殆ど変わらない。違うのは、あいつの家には花壇と家庭菜園のスペースがある。我が家にはそのスペースが無い。車を2台置くだけのスペース、あとは物置小屋しかないのだ。繰り返し言うが、それでもこの辺りの平均的な家よりも広いというだけマシなのか?
その家の2階にある自分の部屋で俺は制服に着替えた。いつもよりかなり早い登校時間だ。
今朝の俺は、篠原・長田の三人で正門付近で新1年生へクイズ同好会の勧誘をやる事になっている。まあ、やると言っても『クイズ同好会』と書いた紙を頭上に掲げて呼びかける程度だけど。
藍は風紀委員として、上級生が新1年生に違法勧誘してないかを見回る担当になっているが、唯は通常通りの登校となる。簡単に言えば俺が唯を出迎える形になる。
そのため、今日の俺は藍と一緒に家を出たのだが、今日の藍はメイクをしての登校だ。
正直に言うが、魔性の美しさを感じて引き込まれそうだ・・・だが、メイクをしている理由は昨夜の女子トークにあるのは明白だ。目の下のクマを隠す為にしているに過ぎない。しかも軽くではあるが、それでも普段と違う藍を見ると、俺の決心が揺らぎそうになるのは事実だ。
そんな俺の心の内を知っているかのように、家を出て最初の角を曲がった途端、藍は俺の肩が触れる位にまで近寄ってきた。昨日はそんな事をしなかったのに、どういう事だ?
「おい、どういう意味だ?」
「あら、何かあったの?なんでもないわよ」
「じゃあ、なぜ肩が触れる距離にまで近づいて歩いてるんだ?」
「え?気付かなかったわ。ごめんなさい」
そう藍は言うと俺から離れて・・・ではなくて、逆にもっと体を寄せてきた。
おいおい、これじゃあ殆どくっついて歩いているのと同じじゃあないか。こんな所を唯に見られでもしたら・・・それに、もしトキコーの誰かにでも見られたら、藍は校内では知らない者がいないとまで言われる程の人物だから間違いなく俺と藍の事が噂として流れる。俺は興奮ではなく緊張の方が強くて全然楽しめない。しかもあまり端に寄り過ぎると民家の塀や建物の壁にあたるからこのあたりが限界だ。
「藍、お前、わざと俺にくっついて歩いているのか?」
「私はくっついて歩いてないわよ。拓真君がそう思っているだけじゃあないの?」
「誰かに見られたらどうするつもりだ?」
「別に構わないわ。そうなれば噂になるでしょ?」
「『A組の女王様に彼氏が出来た』なんて噂が流れたら困るだろ?」
「そうすれば唯さんは拓真君と喧嘩別れする。だから拓真君は私の所へ戻るしかなくなる。全ては丸く収まるわ」
「勘弁してくれよー」
「あら?それなら私を振り払えばいいでしょ?それをしないという事は、この距離は問題ないと判断しているっていう事じゃあないの?」
「はー・・・藍、俺を試してるのか?」
「さあて、何の事ですか」
おいおい、藍のやつ、既成事実を作って唯から俺を取り戻そうとしているのか?それとも、何か別の理由があって歩いているのか?まったく意図が読めないぞ。
しかも藍のやつ、地下鉄の駅に降りる階段にきたら俺から離れて・・・ではなく、今度は腕を組んできやがった。もうこれは完全に意図的であるのは明白だ。そうなると、否応なしに、あのFカップが腕に当たる・・・正直、こんな所を俺の知っている奴やトキコーの生徒に見られたらと思うと冷や汗が出てくる。とてもではないが柔らかい感触を堪能(?)するという余裕は無い。勘弁してくれー。
だが、俺の不安(期待?)をよそに、高校生らしき人に会わない。通勤のサラリーマンやOL、それと高齢者には会ったが、何故か中学生や高校生に会わなかった。
改札を通る直前になったら藍はようやく俺の腕を離し、その後はさすがに腕を組む事はなかった。ただ、俺と肩が触れるか触れないかの微妙な距離を保ったまま並んであるいている。
そして、それは地下鉄の車内でも同じだ。この時間はまだ空いている時間だし、始発駅の次の駅だから普段でも混んでいる事は少ない。まあ、さすがに大通駅に近付くと混雑してくるが、ここでは朝夕のラッシュ時でなければ殆ど座れる。俺と藍は並んで座ったけど、座った途端に藍は肩だけでなく体そのものを俺に預けてきて、挙句の果てに頭を俺に寄せている。ほのかに香るシャンプーのいい香りが俺の鼻孔を刺激する。
俺は自分を抑えるのに必死だった。俺には唯がいる、藍は姉だ。俺には唯がいる、藍は姉だ。俺には唯がいる、藍は姉だ・・・一体、何百回自分に言い聞かせたのか分からないが、正直、限界だ。かなりやばい状態だ。
そんな俺の葛藤を知ったかのように藍は俺の方を向いてニコッと微笑んだかと思うと、いきなり姿勢を正して俺に体を預けるのをやめた。そして、何事もなかったかのように振舞っている。
おいおい、藍のやつ、一体、何を考えていたんだ?もし今の車内の、いや、地下鉄に乗るまでの間の事を誰かが知ったら・・・いや、明らかに藍は誰かに見せるつもりでいた筈だ。そして意図的にくっつくのを止めたとしか思えない。
そうなると・・・やはり、藍も何かおかしい。やはり、精神的に不安定な状態ではないだろうか・・・誰かに頼りたい、だけど頼れるのが俺しかいない、とでも思い込んでいる時はさっきまでのように甘々な藍になるけど、なんかのきっかけで以前の藍に戻るのか?もしそうだとしたら人格が崩壊、あるいは分裂を始めているのだろうか・・・そんな一抹の不安を感じつつも大通駅に到着し、俺と藍は東西線を降りて南北線に乗り換えた。
そして、学校につくまでの間、藍は俺とくっつく事はなく、まるでさっきとは別人のような態度で学校の正門をくぐった。まあ、俺と藍の間の距離は昨年までと変わらず、遠からず近からずで、誰も怪しまない距離でたまにこちらを向いて話しかけるのも3月までと同じだ。藍は2年A組に自分の鞄を置くと、さっそく風紀委員の腕章をつけて風紀委員室へ向かった。多分、誰かとコンビを組んで巡回するはずだ。俺は2年A組に鞄を置くとB組へ向かった。篠原と長田は既に来ていて、三人揃ったので早速正門へ行き、勧誘活動を始めた。
既にいくつかの部・同好会が来ていて勧誘活動を始めていた。俺たちクイズ同好会は正門の近くで勧誘活動を始めようとしたのだが・・・
「ちょっと待ちなさい、そこの三人組!」
いきなり正門の所で声を掛けられ、俺たち三人はビクッと肩を震わせて声がした方向を向いた。声を掛けてきたのは副会長兼風紀委員長の
しかも藤本先輩が手招きをしている。
仕方ないから俺たち三人は藤本先輩の所へ行ったら、いきなりそのクールな瞳で
「そこの三人、今日は私が許可を出しますから、この正門の真下の特等席で勧誘をしなさい。だから私に感謝しなさい!」
「「「はあ?」」」
「何をシケた顔をしてるんですか?せっかく風紀委員長が許可を出したんだから、ありがたく思いなさい!なんなら私が一緒に勧誘してやってもいいですよ、篠原君」
そう言って篠原の方を藤本先輩は見た。篠原は明らかに血の気が引いた顔している。あのクールな篠原も完全にビビっているし、俺も長田も完全に何かが起こる気がして正直この場から逃げたい位だ。さすが『トキコーの女王様』藤本先輩だ。藍とは全然迫力が違う!
「ちょ、ちょっと待って下さい、藤本先輩。先輩が勧誘したら風紀委員としての仕事はどうなるんですか?」
「そんな事は問題ありません!どうせ『みさきち』が登校してくる筈だから、会長に任せておけば大丈夫です!」
「勘弁してくださいよー。
「美咲先輩ではありあせん!
「はあ?・・・でも、美咲先輩と呼べって言ったのは藤本先輩ですよ。俺はどっちにすればいいんですか?」
「そんな事を言った覚えはありません!篠原君、君は夢を見ていたのですよ。よろしいですか?」
「そんなあ」
「まあまあ、先輩の前で困った顔をしないでねー。同じ中学の先輩後輩の仲ですよね?何ならトーチュウにトキコー祭のポスターを届けに行くのを手伝ってあげてもいいですよー。というか、私の手伝いをしてポスター貼りまでやりなさい。これは先輩としての命令です!」
「えー!小学校は別だから勘弁してくださいよお」
「なら、私の母校の恵み原小学校と篠原君の母校の東和小学校の両方共行く事にしようかなあ、いや、そうに決まった!感謝する事ですね、こんな美少女と一緒に3つの学校を訪問できる栄誉が与えられたのですから」
「はああ・・・これ以上言っても無駄のようですから、御同行させて頂きます」
「先輩相手にため息とは何事ですか!」
「す、すみませんでした!一緒に行けて嬉しいです!」
「分かればよろしい。じゃあ、佐藤拓真君も長田君もこっちに来なさい!」
そう言いつつも無理やり篠原を自分の横に立たせた藤本先輩は何となくだがご満悦そうに見える。仕方ないから俺たちも篠原の横に並んでクイズ同好会の勧誘を始めた。当然だが俺たちの横には藤本先輩がいるから、勧誘しているという気分になれない。何となくだが監視されている気分で落ち着かない。
しかも、俺たちの当初の予定では、ある程度の時間になったら1年生の各クラスを回って勧誘するという事にしていたが、なんだかんだと理由をつけて藤本先輩は俺たちクイズ同好会が正門から離れるのを許さない。結局、俺たちは風紀委員が正門に立っている時間ギリギリまで正門に釘付けされてしまった。俺は相沢先輩を見掛けたが、一瞬だけ藤本先輩と火花を散らしたように感じたのは気のせいかもしれない。唯を見つけた時には軽く右手を上げたが、唯は俺と目を合わせて一瞬だけニコッとした。唯も藍と同じで少しだけだがメイクをしていて、あまりの可愛さに仰天してしまった。でも、あくまで1年生の時と同じように他人のフリをして目の前を歩いて行った。泰介と歩美ちゃんも見つけたが、あいつらは俺を無視して二人だけの世界に入っていた。ちくしょー!
俺たちは不満を言いたかったが、相手が藤本先輩、しかも篠原の中学の先輩だから文句を言い難い。ほとんど泣き寝入りの状態でクラスに戻った。
通学の時は藍、1年生の勧誘の時には藤本先輩・・・A組の女王様とトキコーの女王様の二人の女王様の気まぐれで、俺は朝から目一杯疲れた。
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