恥知らずな宣言

居間正三

私が文章を書いている理由は

 書くことが好きだから。


 ……もう終わってしまいましたね。ですが、私がこの単純な答えに辿り着くまでには長い時間と深い思考が必要でした。


 まず最初に、これは私が文章を書き始めた時のことなのですが、当時の私が作品を書く際に最も重視していたのは、

『他人の期待に応えること』『読んだ人の心を守ること』の二点です。


「居間正三って奴は凄い文章を書く!」と驚いてもらいたかった。

「この人のおかげで心が楽になった」と気持ちを軽くしてほしかった。


 ですが、これらは裏を返せば、

「居間正三はつまらない文章を書く」と批判されたくない。

「この人のせいで私の心が傷ついた」と責められたくない。

 その二つの恐怖との、終わりのない戦いの始まりでもあったのです。


 そうやってもがいて苦心している内に、次第にふでが止まって何も書けなくなってきた。それで絶望し始めた時期に、ある疑問が湧いてきたんです。


「あれ? これってどっちも、他人の自由の領域だよな?」と。


 期待に応えるも何も、読む人が『期待』という名の『基準』を設けて、その基準に引っかかったかどうか、ということ。 

 それをどうこうする権利は私にはない。

 さらに、他人がどのような評価をしたって、それはその人の『選択して判断する』という自由。

 ならば、余所者よそものの私がそれを揺るがすことは不可能。


 また、「この作品のせいで傷ついた」と誰かに責められたって、実は『自分を傷つけたい人が、そこにある文章を使って自分を傷つけている』というのが事実なんです。

 

 例えば、道端によく切れる包丁が落ちていたとしましょう。

 それを拾った人が、おもむろに自分に突き刺して、こう叫びました。

「この包丁を作った人のせいで傷ついた!」

「この包丁が落ちている道のせいで傷ついた!」


 どうです? 

 きっと「いやいや、自分の体に突き刺したあなたの責任だ」と思うのでは?

 

 これを、作品を投稿した状況にも当てはめてみます。


 例えば、あるサイトに文章が掲載けいさいされていたとしましょう。

 それを読んだ人が、おもむろに過剰反応して、こう叫びました。

「この文章を書いた人のせいで傷ついた!」

「この文章が掲載されているサイトのせいで傷ついた!」


 ……前述した例と同じなのが、お分かりでしょうか?

 そうなんです。

「いやいや、文章を自分の心に突き刺したあなたの責任だ」となるのです。

 だって、これはどこの誰かも知らない個人を傷つける目的で書かれた文章ではなく、ただサイトに投稿しただけの作品なんですもの。

 

 恐らく心の中に潜む劣等感や罪悪感、後悔や過去の嫌な記憶からなのでしょうが、その辺に落ちている文章をわざわざ自分の心に突き刺したのは、その読んだ人自身なのです。


 『期待を持つかどうかは、読む人の自由』

 『自分を傷つけるかどうかも、読む人の自由』

 この二つに気が付いた時、ふと心から想いがこぼれたんです。


「あぁ、それなら、もういいや。こんなつまらないプライドは捨てよう」って。

「だったら自分らしく好きに書こう。遠慮せずに、どんどんやろう」って。


 そうやって、今の『好き勝手に書く』スタイルが出来上がりました。

 


 そして、そこから自由に行動しようと思っていたのですが、予期せぬもう一手間があった。

 それは『好きなことをするために必要なこと』についてです。

 

 好きなように書く。

 一見簡単で楽なようですが、本気で実行するとなると、色々と覚悟するべき障害が見つかります。


「そんなこと書くな」という、下らない批判。

「もっと謙虚な文章を」という、どうでもいいお節介。

「あなたのせいで」という、お門違いな叱責。


 そういった面倒事を、避けて通ることはできないと気付いたんです。

 

 なので、私はそれらを全部受け取ることにしました。

 批判とお節介と叱責の、それら全てを背負っていこうと。 

 『好きなことをする時についてくる嫌なもの』を受け取ることにしたんです。


 また、文章を好きに書くためには、最低限の生活費と時間も必要です。

 なので、『文章とか関係ないけど生活するための仕事』に努め、『他にできることがあるかもしれない余暇よか』を執筆にくわだてることにしたんです。


 だって、そうまでしてでも、書くことが好きなんですもの。

 『突発的なひらめき』と『煮えたぎる感情』を言葉に込めて、自分自身を表現することが、とても面白いんですもの。


 だから私は『好きなことのために必要な覚悟』を決めて、『やりたいことをやりたいようにする道』を選びました。


 どこまでも恥知らずで、好き勝手に生きることにしたんです。



 しかし、私は『恥知らず』であっても『怖いもの知らず』ではありません。


「こんなことをしていて、将来は大丈夫なのだろうか」

「こんなことをしていて愛想を尽かされ、独りぼっちになったらどうしよう」

「こんなことをしていて、意味なんてあるのだろうか」


 これらの臆病な心配は、あくまでも氷山の一角に過ぎません。

 私はどうも生来せいらいの小心者のようなので、様々な恐怖がしばしば首をもたげます。


 でも、その恐怖に包まれたまま、怯えながら、震えながらでもいいから、私は一歩を踏み出して、前に進みたい。

 好きなことをこのまま続けていって、もしも誰かに非難され、やることなすこと失敗して、最終的には絶望したとしても、それでもいいからやりたい。


 それが、私が大切にしたい、自分だけの生き方なんです。

 だから、好きに生きるために、全力を尽くします。

 今も、そしてこれからも。


 これで、私の『恥知らずな宣言』は終わりです。



 さぁ、これを読んだあなたはどうする?

 

 誰だって「つまんない」っていう批判なんかされたくないよね。

「あなたのために」っていう頼んでもいないお節介を言われるのも迷惑だし、「傷ついたの!」っていうヒステリックな言葉に対処するのも面倒だよね。


 でも、だからといって、そのせっかく思いついた文章を、引っ込めちゃうの?

 あなたが表現したいことを、あなたの大切な気持ちを、隠しちゃうの?

 

 いいから書いちゃえよ。それ。

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