4-3.

 ローズの姿が見えなくなると、一同は小さく息を吐いた。逆らってはならないものとして、心に刻まれているようだ。

「すみません、またディル先生にご迷惑を」

「気にするな。あれに小言を言われるのは慣れてる」

クォーツがいた頃には、二人して毎日のようにくどくどと文句を言われていた。随分大人しくなったものだ。

「ディル先生、本当に何者なんですか。校長とあんなに親しげに話す人、初めて見ましたよ」

ハインリヒが冷や汗をハンカチで拭い、恐る恐る訊ねた。

「親しげ? さっきのがか?」

喧嘩腰で言い合いをしている光景の、どこを見て親しげなどという感想が出てくるのだろうか。

「そうですよ! かの宵の明星ヴィネラント様に、敬語を使わないどころか、『お前』とか『あれ』なんて呼ぶ人、他にいませんよ。ローズ校長も、全然気にしてないみたいですし」

先ほどキャンキャンと元気だったシエナが、オレンジ色のくせ毛を掻きながら続けた。

「ブランシェルって、どこかで聞いたことあるファミリーネームだなーって、ずっと考えてたんですけどー。さっき思い出しました。クォーツ様に縁のある名前でしたよね。王子やシルバランスくんとも仲良しですし、ディル先生も実は王族とか?」

「違う。ローズとは、古い知り合いってだけだ」

「校長の古い知り合いなんて、いつの時代の人ですか。ディル先生、本当に人間ですか?」

「ああ、そうか。ディル先生は竜なんですよね」

ハインリヒがけらけらと笑い、冗談になっていない冗談を言った。

「あはは、すごーい。でも、黒竜じゃないですよね。もしかして、ホントは竜だったって噂がある、ディルクルム様ですか? 名前も似てるし」

外に跳ねた髪が動く度に揺れ、仕草や喋り方まで仔犬のような女だ。笑いながら核心を突いてくるところが、油断ならない。

「勝手に邪推してろ」

他の教師たちは、未だ形を維持し続けている氷の蛇に近寄り、しげしげと見上げていた。傍らで腰を抜かしているマイヤーは、すっかり放置されている。

「アリア先生。いい加減、始めようか」

「えっ。あ、はい……」

邪魔が入ったが、このまま解散するわけにもいくまい。

 と思ったら、アリアは何やら浮かない顔をしていた。

「どうした」

「いえ……、ディル先生の魔法に、改めてびっくりしてしまって……。何から教えていただけばいいのか……」

躊躇いなく魔法で人間を攻撃した俺に、今更怖じ気づいたようだ。

「じゃあ、やめるか?」

「ディル先生冷たい!」

シエナがぐりぐりと脇腹を肘でつつく。こちらはアリアと違い、俺を怖がっている様子はない。手で払いのけても、めげることもなく暢気に人差し指を立て、提案した。

「そうだ。さっきマイヤー先生に使った魔法の、解説してくださいよ。ためになると思うなー」

「……」

「もしかしてそれ、面倒臭いって顔ですか?」

即座に見抜かれた。俺の感情を判別できるのは、イブキとローズくらいだったのだが。

「僕も聞きたいです」

ハインリヒは相変わらずだ。本当に生徒のように、威勢良く挙手して発言した。

「わ、私も、聞きたいです」

終いにはアリアまで遠慮がちに挙手したので、俺は仕方なく、眉間の皺を揉みほぐしてから口を開いた。

「先に聞いておく。どんな風に見えた?」

「殺気がすごかったっていうかー、あっこれホントにマイヤー先生死んじゃうなって思いました」

「私もです。元はと言えば、断りもなく他の先生方を連れてきてしまった私のせいなので、ディル先生を怒らせてしまったと思って、申し訳なくて……」

「アリア先生、ディル先生は怒ってたんじゃなくて、呆れてたんだと思いますよー」

脳天気そうに見えて、シエナは他者の感情を察するのが得意なようだ。

「そうなんですか?」

「俺の機嫌の話は置いておけ。確かに、あれは殺すつもりで使った魔法だ」

すると、三人だけでなく、蛇の傍らで何か討論を始めていた教師たちまで、しんと黙った。一応、こちらの話を聞いていたらしい。

「……一応弁解しておくと、マイヤー先生を本気で殺すつもりだったなら、氷漬けなんて面倒なことはせずに、さっさと首を落としてるからな」

ヒッとマイヤーが喉の奥を引きつらせ、アリアも半笑いで固まる。シエナはそんな二人を見て、声を上げて笑った。

「魔術も含めて、魔法の効果は使用者の感情に左右される。要は『どれだけ本気でその威力を出そうと思っているか』だ。殺すつもりで使わなきゃ、殺せる威力の魔法は使えない」

魔法に比べて魔術の威力が低くなりがちなのは、呪文に頼っているせいで殺意が薄いからだ、と、昔ローズが言っていた。

「ははー、なるほど。ためになります」

ハインリヒはどこに感心しているのか。

「かといって、本当に殺すわけにはいかない。国の法律もあるし、ローズも怒る」

「法律と校長に怒られることが、同等ですか……」

「どっちも面倒臭いだろう、絡まれると」

すると、教師たちはハハハ、と乾いた笑いで場を濁した。人間も竜も、決まりを守る理由なんて『破ると面倒臭いことになるから』以外になかろう。

「話を戻すぞ。殺してはいけないだけじゃない。明日以降の授業もあるから、できる限り怪我をさせずに、こちらの実力を認めさせなきゃいけないわけだ」

「そっか、怪我させていいなら、死なない程度になぶって心を折ればいいですもんね。謝るまで爪の間に針を刺し続けるとか」

「悪魔か」

この女、発想が性悪ハイエルフといい勝負だ。

「……方法はさておき、考え方の方向性はその通りだ。身体に攻撃してはいけないなら、精神に攻撃する。……具体的に言うと、相手が使った魔法を完全に跳ね返して上書きする」

「やだー、えぐーい」

今し方「なぶって心を折る」などと言った口が、しおらしく動いた。

「ってゆーかマイヤー先生、完全にディル先生の手のひらの上じゃないですかー。可哀想。気付いてましたけど」

シエナがあまりにもはっきりとものを言うものだから、マイヤーがどんどん小さくなっていく。元はと言えば俺が付けた心の傷だが、これ以上抉るのはやめてやれ。

「解説はこんなもんでいいか。質問は?」

ハインリヒはしきりに頷いて唸り、アリアは手帳に何事かメモを取っている。と、

「はい! はい!」

シエナが挙手した。発言する時に手を挙げるのは、教師の癖なのだろうか。

「何だ」

「戦闘中にああいう、大きなオブジェ? を作ることには、何か意味があるんですか? 先生の趣味?」

ゆっくりと溶け始め、ぽたぽたと水滴を落とす蛇を指差す。明日の朝までにはなくなっているはずだ。

「そんなわけあるか。動物は自分よりでかいものを本能的に怖がるから、怯ませるための手だ」

「なるほどー」

もちろん、必ずしも蛇である必要はない。マイヤーが放った水の形を利用して作りやすく、かつ威圧感を与えられそうな生物が蛇だったというだけだ。

「それに、妙なものを作ると、敵の注意を引くことができる。その間に別の魔法の仕掛けを作ったり、不意打ちの機会を狙う」

今回は頭上に意識を集中させ、足下から氷漬けにした。

「不意打ち! いいですね、私そういう卑怯な勝ち方好きです」

「実戦で正々堂々なんて言ってたら、すぐに死ぬぞ」

「そうですね! いくら格好付けても、負けちゃったら格好悪いですもんね、マイヤー先生?」

「もう自分のことは、放っておいてください……」

まだ立ち上がれず、すっかり意気消沈しているマイヤーだった。

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