2-2.

 次の部屋は『中世の部屋』となっていて、現在の国家が作られる以前、世界中に小さな国が点在していた頃の遺物が展示されていた。

 魔具が開発される以前の道具や宝飾品の他、紙の文献もいくらかあり、

「あっ、これなら読めるよ」

イブキが、ガラスの向こうの紙切れに書かれた文字に興味を示した。

「読めるんですか? 今はもう存在しない国の文字で、資料も乏しいはずですが……」

「お父さんも読めるよ。ねっ」

「ああ」

イブキに文字を教えたのは俺だ。今まで人間が使ってきた文字なら、大概は読める。

「で、なんて書いてあるんだ」

「えっと……。じゃがいも三個、タマネギ一個、牛肉百五十グラム、糸こんにゃく百グラム、しょうゆ大さじ四、砂糖大さじ三、みりん大さじ三、水三百ミリリットル」

イブキが読み上げると、少しわくわくしていた面々の表情が、見る見るうちに呆れ顔になっていった。

「……料理の材料、よね?」

ソフィアが、難しそうな顔をした。金持ちの子どもは、あまり料理をしない。

「平民のメモ書きだろうな」

「私のノートも、こんな風に展示されたりしないわよね……」

「あり得るなあ。夜中に書いたポエムは処分しとけよ」

「そっちこそ、教科書のラクガキは消しておいたほうがいいんじゃない?」

また言い合いが始まっている横で、

「糸こんにゃくってなんだろう?」

「さあ……」

その光景にすっかり慣れて、喧嘩を止めることもしなくなったイブキが、サイと顔を見合わせ暢気に首を傾げていた。


 案外楽しんでいる子どもたちを、ティアーナが嬉しそうに見守る中、

「……次は、あっち?」

サイが、順路の続きを見た。今までの部屋よりも明るい光が漏れており、広い空間があることが窺える。

「はい。次の部屋は、ある意味なじみ深い部屋かもしれませんね。『近世の部屋』です」

一際良い笑顔で先を促すティアーナに誘われ、明るい部屋に足を踏み入れた。


*****


 「おお」

「うわー!」

「あら……」

部屋に入るなり、子どもたちは口々に歓声を上げた。


銀の槍シルバランス……」

ぽつりと、サイが声を漏らす。


 何の捻りもない、見た目そのままの名前を付けられたそれは、扱っていた男の背丈の倍はあろうかという、巨大な槍だった。

 エルフの森にのみ生える、頑丈さと柔軟性を兼ね備えた木材に、ミゼットの技術で金属の膜を重ね、細かな彫り物を施した柄。石突きには、ミゼットの暮らす山で採れた最上級純度の天然魔導石。柄と穂の継ぎ目を滑らかな曲線を描く金属製の蔦が隠し、両側に分かれて鉤爪のように穂先を向く。輝く細長い刃は、死線を何度くぐり抜けても刃こぼれ一つしなかった。――間違いなく、ヴァルテッリの最高傑作だ。


 圧倒されるように、一同は立ち止まった。徐々に増えてきた他の来館者も、同じように立ち止まっている。

「あれ、クォーツ様の槍でしょう? お城にあるものじゃないの?」

ひそひそと、ソフィアがラインに訊ねる。

「刀剣類は手入れが大変だから、式典で使うとき以外は、ここに管理を任せてるんだよ。こんな風に飾ってあったんだなあ」

自分の家の由来を見上げ、ラインはしみじみと呟いた。

「この博物館も王立なので、外部委託しているというわけではありませんよ。むしろ、この博物館の前身はクォーツ様のコレクションを管理する部署ですから、銀の槍の管理を任せるのは、本来の使い方なんです」

ソフィアに、ティアーナが補足を入れていた。

「これを、サイのご先祖様が使ってたんだ。すごいね」

イブキは、その大きさと美しさに目を丸くしていた。

「本当ね。式典で遠くから見ていた印象より、ずっと大きいわ」

「実践でまともに扱えたのは、クォーツ様とうちの初代だけだってさ」

「それで、貴方の家にシルバランスの名前が付いたのね」

王となり前線に立つことがなくなったクォーツが、直々に稽古を付け実力を認めた家臣に、爵位と共に与えたのだそうだ。以来、シルバランス家はその名に恥じぬよう、王家に忠誠を誓っているという。

「ところで、こんな大きな槍を武器にしていたなんて、クォーツ様って実は武闘派だったの? 魔法学の始祖なのに?」

すると、ティアーナが斜め上を向いて何かの文献を思い出しながら、答えた。

「確か、黒竜事変以前に存在していた国の武闘大会で、優勝していらっしゃったような」

「そんなに?!」

「ああ。飛び入りの流れ者が優勝したもんだから、もう来るなって言われて、翌年の大会から国内居住者限定になった」

もちろん本人は、栄誉や名声には微塵も興味がなく、単純に研究費用にするための賞金目当てだった。翌年参加できなくなったことを知って、資金が、と嘆いていたものだ。

「ええっ! その話は知りません! 出典はどこですか!」

ティアーナが身を乗り出した。

「塔のてっぺんで茶ばっかり飲んでるハイエルフに聞いてみろ」

答えてくれるかどうかは知らない。

「……生ける伝説すら、先生の前ではただの人なんですね……」

ティアーナは乾いた声で笑った。

「クォーツ様が武闘派だったかどうかは置いておいて……。この槍が、魔術杖の原型だっていうことは、ご存じですよね」

気を取り直してわざとらしく咳き込み、再び目を輝かせながら説明し始める。

「銀色の塗装は、装飾や腐食止めの役目以外に、石突きの魔導石から刃先に魔素を伝わせる役目があるんだそうです。クォーツ様が大気中の魔素を魔術に乗せるために、楽土の庭師ウトピアリウス様と協力して考案したと言われています」

制作中はヴァルテッリとクォーツがしょっちゅう喧嘩に近い討論をしていて、ローズが頭を痛めていたものだ。

「じゃあ、この槍を小型化したのが、今の杖なのね」

「銀の槍を越える威力が出せる杖が、未だに存在しないというのは、有名な話ですね」

「当たり前だ。柄の素材にした木材、刃の金属の成分、彫られた模様の一つ一つまで、全部計算ずくだぞ。そう簡単に真似できるか。……ヴァルテッリが悪筆だったせいで、俺でもレシピが解読できなかった」

ただでさえ難解なミゼット語の文章を、のたくったような字で書かれたら、もはや本人以外誰にも読めない暗号だ。

「……何だ」

奴の文字が解読できなかった悔しさが今更込み上げてきて、眉間の皺を深めていると、ティアーナと子どもたちが俺の顔を見上げていた。

「……友達みたいに言うんだね」

サイが代表して、ぽつりと呟く。しまったと思いつつ、平静な顔を取り繕って口を開いた瞬間、

「ウトピアリウス様直筆の文章なんて、どこで読めるんです?!」

涎を垂らしそうな勢いで、ティアーナが食いついてきた。

「今どこにあるかは知らん。昔読んだことがあるだけだ」

前のめりな姿勢に思わず距離を取る。魔具屋と同じ気配がした。

「ミゼットの里になければ、ここの地下保管室か、城の資料室かなあ。あとは……、図書館の希少本保管庫って線もあるか」

ラインが頭を掻きながら、次々と候補を挙げた。

「希少本保管庫」

ティアーナが復唱する。

 王立図書館には、珍しい本や古い文献も保管されている。一般には貸し出されておらず、面倒な手続きを取り、危険物を持ち込んでいないか入念な検査を受けた上で、図書館内でのみ閲覧することができるとのことだ。

「良いことを聞きました。私、頑張ります」

ぐふふと怪しい声を出し、ティアーナの眼鏡が光った。どうにかして保管庫に常時侵入できる役職に就き、堂々と読み漁るつもりだ。ヴァルテッリのレシピがあったところで、まず解読することはできないと思うのだが。

「それにしても、この部屋はクォーツ様と五賢者様の縁のものばかりなのね」

改めて広い部屋を見渡したソフィアが言った。

「近世と言えばやはり、この国の創立の話になりますからね。クォーツ様に関わる資料が多くなるのは、仕方がないことかと思います」

建国前後の資料の他、クォーツが酔っ払って書いたグチャグチャの計算式の切れ端まで納められていたりして、本人が生きていたら即座に燃やしそうだ。ポエムや落書きを処分しておけというのは、あながち冗談ではない。

「黒竜事変の話は?」

「……あまりにも凄惨なので、順路には組み込まれず、別室展示になっています。ちなみに、クォーツ様が生前集めていらしたコレクションも、この見学ルートとは別ですよ」

「他にも部屋があるのか……」

この一連の展示だけでも相当な広さがあるというのに、まさか別室があるとは。

「そっちは、また今度だな。キリがない」

イブキが懐中時計を見ると、既に入館から一時間半が過ぎていた。

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