10-2.
それは、もはや人間ではなかった。
黒ずんだ肌に、赤く光る目。むき出しの歯茎から伸びる牙。倍以上に膨れ上がった身体に耐えきれず、服は辛うじて引っかかる布きれと化していた。
胸元に、鼓動のように明滅する妙な魔具が埋まっていた。
「何だあれ……。魔物……?」
半壊から全壊へ移ろうとしている屋敷から、のっそりと現れた異形。続けて、フードを脱いで派手なオレンジ色の髪を振り乱す女と、女に首を腕で固定され引きずられながら、ティアーナが出てきた。先の爆発を喰らってしまったのか、頭から血を流していて力がないが、まだ意識はあるようだった。
「もう終わりか! もっと試させろ!」
片手に杖を持った女は、笑いながら近くに転がる保安員の腹を蹴った。
「あっ」
あまりの非道に、イブキが小さく声を上げて慌てて口を押さえる。と、異形がこちらに顔を向けた。
「なんだ、まだいるじゃないか。おい、こいつらと遊んでやってくれ。生憎、生まれたてで加減ができないが」
「……お前たちは、出てくるなよ。声も上げるな。できれば、さっきの広場まで引き返せ」
先ほど兵士たちを吹き飛ばした熱線が、またいつ飛んでくるとも限らない。三人にそう言い含めると、俺は立ち上がって茂みから出た。
「……何だ、お前。こいつらと違うな」
丸腰の俺を見て、女はきょとんと首を傾げた。
「俺は兵士じゃなくて、通りすがりの引率の先生だからな」
俺の声を聞いて、ぐったりとしていたティアーナが顔を上げた。あ、と声には出さずに驚いている。
「先生? 保安員のお仕事を見学する授業でも、やってたのかい?」
「まあ、そんなところだ」
女は、まだ言葉が通じるようだ。異形と化した男二人は、女の命令は聞くようで、一旦静止した。それだけ確認して、俺は続けた。
「それで――教師として、後学に少し教えてほしいことがあるんだが」
「何だ? 特別に答えてやるよ、今は気分がいいからな」
女は油断していた。
「その怪物どもは何だ」
「これか? これはね、人間を魔物に変えた兵器さ」
恍惚の表情を浮かべ、女はうっとりと答えた。
「すごいだろ? うちの研究所の最新技術なんだ」
「……何の研究をしてるんだ」
湖底調査機関という名前は、やはり架空のものだった。
「それはまだ教えられないな。まあ、そのうち耳にするようになる」
上機嫌で、女は笑う。
「それまであんたが生きていればだけど」
杖を振ると、魔物に成り下がった男たちが、ゆっくりと近づいてきた。俺は、それでも続けた。
「最後の質問だ。どうして、一度見捨てた女を攫った?」
「この女がなくした資料が必要になってね。書き起こさせていたんだ。どんくさい女だが、記憶力だけはいい」
「書き起こす……?」
「そう。この女はね、一度読んだ本の中身も、人から聞いた話も、全部一言一句間違えずに覚えているんだ。大層立派な辞書だろ?」
どうして泳げない人間を、湖の調査に連れているのかと思っていたが、きちんと彼女にしかできない役目があったようだ。――人間として見られていないが。
「……そうか」
「あの世の土産になりそうかい?」
「そうだな。あんたがお喋り好きで良かったよ」
概ね、知りたかったことは知れた。
「どういたしまして。……ん? どうして、この女を湖に置いてったことを、通りすがりの先生が知ってるんだ」
「言ったじゃないですか、王立の先生が助けてくれたって」
俺の顔を見て希望が湧いたのか、ティアーナは女の腕から抜け出そうと身じろぎをしながら答えた。
「なんだよ、知り合いか。……殺すしかなくなったじゃないか」
「元々そうするつもりだろう」
「わかってるなら話が早い。それじゃあ、死ね!」
口の悪い女の声と同時に、人間一人を殺すには大げさすぎる熱量の炎が、異形の口から放たれた。
「せ、先生!」
三度の爆発に、ティアーナが悲鳴を上げた。
「肝の据わった先生だったねえ。死にたがりだったのかな」
じゅうじゅうと音を立てて空へ昇る煙を巨体の隙間から見て、女は息を吐いた。泣きわめくティアーナを地面に転がして魔術で気絶させ、引きずって広場のある獣道へと歩き始めた。
しかし。
「残念だが、土産は持ち越しだ」
「うぐっ?!」
俺は煙に紛れて異形の間をすり抜け、女の首を掴んでうつ伏せに倒し、腕をねじり上げて杖ごと女の手を握り込んだ。
「お前、なんで生きてる?!」
「ふん。魔物でも人間でもない半端ごときに、俺が殺せると思うなよ」
握り込んだ手に、力を入れる。杖の先が赤く光り、ボフン、と小さな音を立てて爆発した。いわゆる、魔素の供給過多。山で未調整の魔導炉が不具合を起こすのと、同じ現象だ。
「くそっ! お前たち!」
杖を壊され魔術すら使えなくなった女は、舌打ちして叫んだ。
俺の背後から、半端者が雄叫びを上げながら飛びかかってきた。盾を展開しようとした瞬間、
「
異形と俺の間に何かが割り込み、焦げ臭い匂いと共に異形の絶叫が聞こえた。
「イブキ! サイ! ティアーナは任せた!」
俺に背中を向けて立っていたのは、炎を纏った剣を構えたラインだった。否、杖が纏った炎が、剣の形を取っているのだ。
「うん!」
地面に転がっているティアーナを、二人が抱えて引き返す。
「子供?!」
「お前たち……」
大人の言うことを聞けと、あれほど。
「ごめん、先生。イブキがティアーナだけでも早く治療したいっていうから」
俺が言い終わる前に、ラインは早口で弁明した。イブキのわがままなら仕方ない。こいつも、俺が許すとわかって行動しやがった。
「なら、目的は達成しただろう。お前もあっちに合流しろ」
まだ火を恐れる生物の本能が残っているのか、火傷をして警戒しているのか。魔物もどきは炎剣を構える少年に向かってくることはせず、じりじりと間合いを計っている。
「そういうわけにも行かないんだなあ。
部下。かつては庭だったと思しき、荒れ果てた空き地の端に倒れている兵士たちを目の端で見て、そう言った。
「さて、なんだかよくわかんない奴らが相手だけど、一応騎士道って奴に則っておこうか。我はエテルメール王国第三王子近衛隊隊長、ラインハート・シルバランス! 汝らを、違法魔具使用及び騎士への傷害、反逆の罪で粛正する!」
てっきりギルベルトが隊長だと思っていたら、お前が隊長だったのか。というか、ラインは略称だったのか。俺の突っ込みよりも早く、俺に組み敷かれた女が呻いた。
「近衛隊?! ラインハートって、まさか」
「俺の名前を知ってるのか? ってことはお姉さん、元貴族か」
魔法で手足を縛り地面に転がされた女は、じたばたと暴れる。
「嘘だ。ラインハートは、死んだはずだろう!」
「へえ、そこまで知ってるのか。……じゃあ、我慢しなくていいな」
そう言って笑ったラインは、襟元に手を突っ込み、いつも首から提げていた首飾りを引っ張り出して、引きちぎった。
「お前――」
突如、暗闇を眩く照らす炎に包まれたラインは、
「先生。二人には言うなよ」
悪戯のことしか考えていなさそうな笑顔はそのまま、鎧を纏った青年の姿になっていた。
「大きい方は任せた!」
「後で説明してもらうからな」
喚く女を眠らせて端に転がし、俺は元から巨体だったほうを相手取った。
飛んでくる火炎弾を盾で弾き、身体が大きいせいで大振りになる腕を躱して、軽く雷を当てて怯んだ隙に風の魔法で斬り落とす。痛みに悶え腹に響く絶叫に辟易して、眉をひそめながら首を刈った。
「一瞬じゃん……」
そういうラインも、燃え盛る剣で拳を薙ぎ魔法を弾き飛ばし、即座に首を落として制圧していた。
静かになった魔物人間を見下ろし、顔に付いた魔物特有のどす黒い返り血を肩口で拭う。妙な粘り気が気持ち悪い。
ラインはと言うと、切り口が焦げて血が止まるためか、あまり汚れていなかった。
「……便利だな、その剣」
「だろ? 斬ったら燃えるから、市街地で使いにくいのが難点」
杖を振ると、炎は消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます