3-2.
ホームルームは、クラス内での自己紹介から始まった。
担任するクラスを持たない俺は、教員一人ずつに与えられる小さな仕事部屋から盗み聞きだ。
「ライン・シルバランスです! 好きな教科は体育と魔法学! 好きな食べ物は時計台広場のフライドポテト! よろしくお願いします!」
「サイバー・エテルメール、です。よろしくお願いします……」
それぞれが簡潔かつ個性的な自己紹介をしていく中、
「イブキ・ブランシェルです。よろしくお願いします」
イブキが、慣れない単語を慎重に発音した。
もちろんハイエルフの差し金だ。
「貴族というのは、ファミリーネームがない人間――いわゆる平民を、すぐに下に見ますのよ。わたくしの学校ではではなるべくそういった上下関係は出さないよう指導していますが、家の教育というのは、そう簡単に覆せるものではありませんわ。ということで、貴方とイブキさんも何かお考えになって」
「何かと言われても」
貴族の風習など知ったことではない。すぐに思いつくものでもない。
「でしたら、私が名付けましょう。『ブランシェル』なんていかが?」
初めから、案がなければそうするつもりだったのだろう。
「
捻りのない言葉遊びだ。古代語を少し囓った者なら、すぐに思い当たる。
「その程度の教養がある人間なら、名前ごときで相手を見くびったりしませんわ」
この世の全てを見くびって生きているような女は、ニヤニヤと笑った。
*****
仕事部屋のソファに転がって、ぼんやりとイブキたちの声を聞く。このソファ、なかなか寝心地が良い。
ホームルームが終わり、イブキはライン、サイと共に校内を探索しに行くらしい。グラウンドに向かうのを耳で追っていると、控えめなノックの音がした。
「ディル先生。いらっしゃいますか」
人間に紛れるにはファミリーネームの他に個体識別用の名前が必要だと言われ、これもハイエルフに『ディル』という名前で登録されてしまった。呼ばれ慣れていないので、自分のことだと理解するのに時間が掛かった。
「ああ」
木製のドアを一瞥して、開けてやる。ドアが開いたにも関わらず、対角線上のソファに俺が転がったままなのを見て、アリアはしばし固まっていた。
「ええと……。明日からの、授業内容についてのご相談なのですが」
起き上がった俺を見て気を取り直し、書類を持って室内に入ってくる。俺は渋々、仕事机に移動した。
「俺はまだ、授業のことはよくわからん。あんたの組んだ内容に従う」
彼女が担当する魔法学は、魔術学校の花形らしい。そして、ローズによって配属された俺の担当も、魔法学だった。
「ローズ校長が、ディル先生にも意見を聞いてみるようにと仰って」
適当に手を抜いて、イブキの様子を見守るに徹する予定だったのだが、そうはさせませんわという高笑いの幻聴が聞こえる。
いや、担任する学級を持たず、学校運営には関わらない客員教授の待遇だというだけでも、気を遣われたほうか。余計に腹が立つ。
「あの女……」
眉をひそめた俺の顔を見たアリアが、幼い頃のイブキと同じ表情をしていた。眉間の皺を揉み、なるべく不機嫌に聞こえないよう気をつけながら答える。
「俺は、教師としては素人以下なんだ。あんたに意見することなんてないぞ」
「そうなのですか? ローズ校長が、「彼ほど『先生』と呼ぶに相応しい男はいない」と上機嫌で仰っていたので、てっきり学者のようなお仕事をされていた方なのかと」
俺よりも年上の人間は間違いなく存在しないので、『先』に『生』まれた者という意味では間違いない。
とは言え。
「あの女が言うことは、真に受けないほうがいい」
「はあ……」
根が真面目なのだろう。性悪ハイエルフにからかわれているとも知らず、きょとんと首を傾げた。俺はため息をついた。
「……それが授業の計画書か。見せてくれ」
「あっ、はい」
几帳面で丁寧な字で綴られた計画書に目を通す。
「特に問題はなさそうに見えるが」
アリアが教師になって何年経つのか知らないが、若くして花形教科を任されているだけあって、きちんと理にかなった授業内容に思えた。
「問題がない、というのが問題なんです」
自嘲気味にアリアは笑った。
「本来はどの教科も、幼年学校で覚えたことの復習から始めるのが通例です。ですが、『王立』に入学する生徒というのは、よその学校では三年生くらいで習うようなことを、予習として家で習っているような子ばかりで。……退屈そうにする子も、少なくありません」
「なるほど」
せっかく難関の名門に入れたというのに、やることが家庭教師と変わらないのでは、確かに拍子抜けしてしまう。生意気な盛りの年頃でもある。この程度かと、ナメる奴も出てくるに違いない。
俺は腕組みして、まだ若い才女の悩みを頭の中で反芻した。授業内容が簡単だという点は、イブキにも当てはまる。不真面目な生徒の出現は、イブキの教育にも良くない。
――つまり、アリアと利害が一致する。
「よし、わかった」
俺は頷き、腕組みを解いて、アリアにあることを提案した。
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