5 ブラダマンテ、ブイヤベース(?)を作る

 女騎士ブラダマンテは兄リッチャルデットを伴い、マルフィサと面会した。

 彼女はインドの王女として、名声と武勇を轟かせる女傑である。フランク人とは異なる小麦色の肌は健康的で、若くして異国風エキゾチックな美女としての気品も備えていた。


「――貴女が、ブラダマンテか」

「わたしを知っているの?」


「ええ。我が兄ロジェロから、貴女の事は聞いている」

「黒――ロジェロに会ったの? しかも……妹!?」


 ブラダマンテはすっかり驚き、目を丸くして彼女の顔をまじまじと眺めた。

 司藤しどうアイの目から見るロジェロは、現実世界の悪友たる黒崎くろさき八式やしきのものである為――マルフィサの愛らしい顔立ちが、ロジェロとの血縁者だという感覚がいまいちピンと来ない。


(物語世界のロジェロって、きっと美男子ハンサムなんだろーな……綺織きおり先輩みたいに)


「なるほど……兄さんが惚れるのも納得できる。

 悔しいけど美人だな、ブラダマンテ!」

「えっと……その、どうもありがとう」


 鏡を通して見る分には、輝くばかりの金髪碧眼、西洋美人のブラダマンテであるが――黒崎から見た自分の顔は現実世界の平凡な容姿のまま。褒められても微妙な気分にしかならない。


「ところでマルフィサ。行き倒れてこのマルセイユに流れ着いたって聞いたけど――具合はどう?」

「ふっ、見くびらないで欲しい。このマルフィサ、女性である前にインドの王女にして戦士!

 この程度の苦難に打ちひしがれたり、弱音を吐くような事は決して――」


 彼女の言葉が言い終わらない内に――ぐううう、とそのお腹から正直な音が鳴り響いた。

 勇ましい口上が途切れ、マルフィサは恥ずかし気に俯いてしまった。


《リッチャルデット兄さん。ちゃんとこのに食事、与えてるんでしょうね?》

《そう言われてもな。サラセン人だし、聞けば我らが兄・リナルドを素手でブン殴った程の猛者らしいじゃないか。

 なので料理長に命じて、死なない程度の最低限の粗食しか供しておらん》


 さすがにそれは気の毒ではないか、とブラダマンテは異国の王女に対し同情心が芽生えた。


《ロジェロの知り合いみたいだし、面と向かって敵対してる訳じゃないでしょ? 少なくとも今は》

《ま、まあそれはそうだが……》


「あっ……もうすぐ食事の時間だわ。

 わたし、調理場に行って食事の準備手伝ってくるから。兄さんとマルフィサは、テーブルの方で待っていてちょうだい」


 ブラダマンテは微笑んで席を立ち、出ていってしまった。


彼女ブラダマンテは……食事の手伝いをするのか? 公爵令嬢なのに?」


 今度はマルフィサが驚く番だった。中世欧州において、身分の高い騎士・貴族は食事の準備など手伝わない。専門の調理師たちを雇い、彼らに任せっきりというのが一般的だ。役割も細分化されており、食材調達係・パン職人・ウエハース職人・ソース係・倉庫番・屠殺役・切り分け役・乳搾り・給仕……大貴族になると、厨房スタッフだけで数百人という規模になる事もあったという。


「私もちょっと驚いているんだ」リッチャルデットは言った。

「妹が食事の味付けに口を出しているの見たのは、この間マルセイユで会ってからだなぁ。

 旅先での味気ない保存食に、よっぽど嫌気がさしたのかね。

 私も試しに食べてみたが、贔屓目抜きにしても美味だったよ。どこであんな技を教わったのか……」


「へえ……」ごくりと唾を飲むマルフィサ。まだ見ぬ食事に期待するかのように、また腹の虫が鳴った。


**********


 中世欧州は一日二食。昼に「ディナー・・・・」と呼ばれるメインディッシュ。晩に軽めの「サパー」なる食事を摂る。現代的に置き換えると夕食・夜食がそのまま時間をスライドしたようなモノであろうか。

 キリスト教的な清貧の観念に基づき、間食や暴飲暴食、過度の飲酒は忌避されていたものの――そうした「しきたり」を守るのは、聖職者や一部の上流階級のみ。現実的に考えて二食では身体が保たないので、女子供や高齢者・病人、肉体労働者などは朝食を摂るのが一般的であったという。朝食の事を「ブレックファースト」と呼ぶ所以ゆえんである。


 今回用意されるのは軽めの晩食サパー。戦時であるため、軽食である事を差し引いても量は控え目である。パンと野菜スープ、肉詰めのパイぐらいのものだ。


「おや、ブラダマンテ様。帰っていらしたんですか」


 食材調達を一手に取り仕切る初老の執事が、恭しく女騎士に一礼した。

 この道数十年のベテランであり、戦時においても頼りになる、顔の広い人物だ。マルセイユ市民が毎日の食卓を囲めるのも、兵士たちが戦い続けられるのも、彼の手腕に拠る所が大きい。


「ええ。突然ごめんなさいね。今来ているマルフィサはれっきとした客人だから」

「おや、そうなのですか? サラセン人ですので気づきませんでした」


 しれっと言ってのける執事。ブラダマンテは内心少しムッとしたが、おくびにも出さずに続ける。


「――彼女はわたしが近々婚姻する予定の、ロジェロって騎士の妹なの。

 だから粗末に扱っちゃダメよ。晩食サパーだから量は多くは望まないけど、せめて食後のデザートとしてフルーメンティくらいは出してよね」


 フルーメンティというのは、オートミールとミルクを材料にした英米風のお粥ポリッジの事である。現代日本人の感覚からすると、見た目はあまり美味そうではないかもしれない。


「……かしこまりました。用意させましょう」

「それからスープなんだけど……この前冒険で客人用に手に入れた、新しいレシピとスパイスを試したいの。

 今回しか出さない一品ものだから、食材をわたしにも見繕わせて。この通り、お願い!」


 ブラダマンテは手を合わせ、上目遣いで執事に懇願した。

 本来であれば王族であろうとも、食事の準備を取り仕切る長をないがしろにして指示を出したり、メニューに口出ししたりなどは滅多にない。彼らにも長年厨房を預かってきたプライドがあるのだ。

 しかし今、公爵令嬢たるブラダマンテ自身が頭を下げてきている。執事は困ったような顔をしたが。


「……ゴホン。公の場の食事メニューの変更となると、色々と問題が生じますが。

 今回はお嬢様の私的なご友人。特別に……目をつぶりましょう。

 以前貴女が調理を担当した際、評判はなかなか良かったですし」


 初老の食事長はさらに咳払いを一つして、やや熱の込もった調子でつけ加えた。


「それにお嬢様が近頃、食事に関して口を出されるのは……決して単なる気紛れによるものではない。

 より良い食事の為に、真摯に取り組まれているのを肌で感じております。

 我らのような、身分の低い食事係の事も気にかけて下さって――感激しておる者も多いですから」

「やった! ありがとう! 恩に着るわ!」


 大喜びでブラダマンテ――司藤しどうアイは執事の手を握り感謝の意を示し、早速持ち込んできたハーブやスパイスを取り出した。

 これらは魔女の島にて、善徳の魔女ロジェスティラに頼んで譲って貰った、ニンニク等の野菜類や、サフラン・セロリ・パセリ等のハーブ類。保存食用に乾燥させているため風味は若干落ちるが――長旅で携行する事も可能だった。

 さらにアイは、下田三郎へと念話を送る。


ииииииииии


「下田教授! 聞こえるー?」

『ああ、感度良好だぞアイ君。どうしたんだ?』


「以前頼んでた料理のレシピ! 調べといてくれた?」

『あ? ああ、アレか……一応やっといたが。一体何なんだ?』


「何だって言い方はないでしょ! 教授は実際に体感してないから、伝わりにくいかもしれないけど。

 こっちの料理、すっっっっごく不味いのよ!? わたしだって料理得意な方じゃないし、グルメって訳じゃないけど!

 それにしたって味付けが薄いどころか、ほとんど無いんだもの!」

『なるほど。うん……気持ちは分かる。私もかつて、イギリスに旅行した時に似たような気分に陥って、仕事が手につかなかった経験があるしな。

 あの頃は私も若かった。そして思い知った。日本の食文化って素晴らしいな! と』


 確かに戦争という非常時において、兵や市民が飢えずに済むというのは感謝して然るべきだ。アイも厨房スタッフと親睦を深める事でその気持ちを示している。

 しかし……現実問題として、現代日本人たるアイの味覚からすると、中世の食事は味気ない。こればかりは誤魔化し切れるものではないのだった。


「でしょ? まあ、こっちで日本の料理を再現とか無理でしょうけど。

 せめて有り合わせの食材を使って、少しでも味を楽しめるよう工夫しときたいじゃない。実際、魔女の島で食べた料理はおいしかったし」

『フーム、そういう事か……だがなアイ君。余り多くを望まない方がいいぞ。

 何しろ8世紀のフランスなんだからな。今日我々が知っているようなヨーロッパ料理の食材って、大体がアメリカ大陸から伝来してきたモノだって知ってたか? ジャガイモだけでなく、トマトなんかもそうなんだぞ』


 いわゆる大航海時代を経て、欧州にもたらされた食材として有名どころはジャガイモであるが。他にも色々ある。沢山ありすぎて「それ以前は美味しい食事作れたんかいな……」と心配になるレベルである。

 例を挙げればサツマイモ、唐辛子、ズッキーニ、ピーマン、トウモロコシ、カボチャ、インゲン豆、ピーナッツ、イチゴ、パイナップル、アセロラ、カカオ等々。そして勿論、トマトもだ。


「えぇえ……確かに魔女の島でもトマト料理なかったけど……なんか、イタリアと言えばトマトってイメージあったのにさ。

 この時代に存在しないとか地味にショックなんですけどォ!」

『どっこい嘘じゃありません! 現実……! これが現実……!!

 まあこれから作る奴にトマトやジャガイモを放り込むのは諦めた方がいいな』


 下田教授の用意したレシピ。それはブイヤベースと呼ばれる、マルセイユ名産の海鮮料理。

 しかしこの当時存在したのはブイヤベースの原型のみ。食品価値の薄い魚などを自家消費するため、大鍋と塩で煮込んだだけのシンプルな代物であった。


ииииииииии


「一番新鮮な魚を用意して。白と赤のカサゴを中心で! この料理の主役だから!

 そっちにある小魚は専用の鍋に入れて! スープの出汁に使うの!

 あ、オマール海老は入れちゃダメよ! レシピにそんなの無いから!」


 スープ係たちに矢継ぎ早に指示を出しながら、ブラダマンテは有り合わせの食材やハーブ、ロジェスティラから借りたスパイス等を駆使して……時代的に考えるとちょっとだけ進んだ、ブイヤベース風の濃厚スープを作り上げた。


「ん……思ってたのと違うけど、前に作った奴よりはマシになったかな」


 一口味見して、女騎士はやや渋い顔をしたものの。

 その場にいた厨房スタッフは、いつもと明らかに雰囲気の違う食欲をそそられる香り漂うスープを、ゴクリと唾を飲み込みながら眺めていた。


「あ。わたしとマルフィサ、リッチャルデット兄さんの分があればいいわ。残りは皆で分けてね」


 ブラダマンテの言葉に、スタッフ達は笑顔でガッツポーズを決めたのだった。

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