16 攻防戦、終局へ

 パリの都、西側の城門。

 フランク国王シャルルマーニュは、援軍到着の報を聞きほくそ笑んだ。予想していたよりもずっと速い。恐らくは魔法使いマラジジが上手く取り計らってくれたのだろう。


「持久戦は余の得意とする所であるが――この好機。逃す訳にはいかんな。

 ガヌロン、ネイムス、オリヴィエ。今こそ討って出よ! リナルド達を援護するのだ!」


 配下の騎士たちに呼びかけ、攻撃の号令をかけるシャルルマーニュ。

 反撃の時が来た、とばかりに城門の跳ね橋を降ろし、フランク騎士たちは一斉に突撃を敢行した。


(――む? 思ったよりサラセン兵たちの動きが乱れておらぬな。

 すでに撤退の命令を下したのか? アグラマン大王め、食えぬ奴よ)


 シャルルマーニュの懸念通り、アグラマンの早過ぎる撤退の決断を受けサラセン軍は粛々と退却用の布陣を整えていた。

 名だたるフランク騎士に率いられた騎兵たちが突撃を仕掛けるが、ガルボの老王ソブリノ麾下の兵はそれらを良く押しとどめ、被害を最小限に抑えながらじりじりと後退していく。


(ブリテン軍と挟撃される形であるにも関わらず、何故ここまで布陣を手早く整えられた?)


 シャルルマーニュは若干苛立ちを覚え、西端の援軍の様子に目をやった。

 にわかに信じ難い光景だった。クレルモン家の長兄リナルドと、スコットランド王子ゼルビノ。双方腕の立つ騎士であり、フランク王国を代表する勇者である。

 その二人をして、たった一人のサラセン人に進撃を阻まれているのだ。その正体は――敵軍の総大将、アフリカ大王アグラマン!


「馬鹿なッ…………!?」


 平素より忍耐強く滅多に取り乱さない事で知られるシャルルも、この不測の事態に声を荒げずにはいられなかった。自分が討ち果たした父の跡目を継いだばかりの青二才であり、実績らしい実績もない。総大将であるが故に、戦場で前線に出る事もほとんどない――それ故に大王の隠された実力は寝耳に水であった。

 ゼルビノはバイヨンヌの御前試合トーナメントで優勝したほどの実力を持つ騎士である。だがアグラマンは彼の繰り出す槍のことごとくを躱し、払い――しまいには一瞬の隙を突いて落馬させてしまった。余りに自然な流れ。一体いつの間にゼルビノが地面に転がされたのかも判然としない程であった。


「ゼルビノ殿ッ!?」


 落馬したゼルビノに代わり、リナルドがアグラマン大王の前に対峙した。


「ウフフフ、お次はアナタかしらァ~クレルモン家のリナルド?

 もうちょっとだけ遊ばせて貰うわよ。ウチの軍の退却準備が整うまでねェ」

「戯言を……!」


 リナルドは槍を構え、名馬バヤールを走らせアグラマンに向かって突進した。


(この男、サラセン軍の総大将だったか? あのゼルビノを呆気なく……!

 奇襲をかけ攻め寄せた筈が、逆にこっちが防戦しているようではないかッ)


 アグラマンもまた手綱を操り、軽やかに馬を走らせる。瞬く間に距離が縮まる。

 衝突音と破砕音が響き渡る。二人の姿がすれ違った後――リナルドの携えていた槍が根元から折れていた。


「ぐッ……こんな事が……!」


 焦燥に駆られ、大王の姿を振り返ると――彼は余裕の笑みを浮かべ、槍を構えたままリナルドの様子を見ていた。そしておもむろに右手に持っていた槍を、地面に放るようにしてお道化た調子で言った。


「あらァ~しまったわ。うっかり槍を取り落としちゃった!

 こーなると、確か槍の勝負は引き分けよねェ?

 どうする? 下馬して接近戦する?」


 誰の目から見ても、アグラマンが槍を落としたのは故意だ。そのままなら自身の勝利で決着がついた所を、わざと引き分けに持ち込んだのだ。


(おのれ……騎士の一騎打ちを何と心得ておるのだ、サラセン人め……!)


「貴殿は……このリナルドを愚弄しているのかッ! 今の勝負、槍の折れなかった貴殿の勝ちのハズだ!」

「そんな事さァ、どうでもいいじゃない。ここで終わりにするなんて勿体ないわ。

 もっと一騎打ちを楽しみましょうよォ。アナタって確か、フスベルタって名剣を持ってるって話じゃない?」


「……確かに持っているが、だったら何だと言うのだ?」

「どんな素敵な武器なのかしらァ! 見せてよ! せっかくパリくんだりまで来たのよ。珍しいモノを見てから帰りたいじゃない」


 大王は無邪気な声を上げてせがんできた。何なのだこの男は? 命のやり取りをする戦場を、まるで観光かピクニックでも楽しんでいるかのような口ぶりである。


「我にフスベルタを抜かせるか。構わぬが――見物料は貴殿の命と引き換えぞ!」

「いいわねェ~その台詞! アタシも今度使ってみようかしらァ」


 どこまでも虚仮こけにした言い草に、リナルドの怒りが頂点に達し――剣を抜かんとした、その時。


「大王ッ! アグラマン大王! 伝令ですッ!

 全軍退却の布陣が完全に整ったと、ソブリノ様から伝令でありますッ!」


 アグラマンの下に、伝令のサラセン兵が息せき切って駆けつけてきて報告した。それを聞き、アグラマンはあからさまに落胆の表情を浮かべた。


「あっちゃ~……残念だわ。リナルド、ゼルビノ。

 アナタたちともうちょっと遊びたかったけれど、残念ながらお時間ね。

 あんまり遅れちゃうと、ソブリノにどやされちゃうし……これだから総大将ってツライわよねェ~」


「貴様ァァァァッッ!!」


 リナルドは怒りに任せて、サラセン軍の総大将を斬って捨てようと駆け出した。が――それよりも早くアグラマンは馬上にて、一度だけリナルドの名剣フスベルタの斬撃を防いだ。頭部を狙った突きだったが、紙一重でかわされ――その頬をわずかに掠めただけだった。


「ン~なかなかいい切れ味じゃない? じゃ、また会いましょ。リナルド」


 アグラマンは名残惜しそうに笑みを浮かべ、放心状態のリナルドに対し背を向け馬を走らせ退却していった。

 リナルドとて素人ではない。幾度もの戦場に立ち、数多くのサラセン騎士を討ち果たして名を上げ、数々の冒険で恐るべき怪物を相手取り、死闘の末に退治し続けた歴戦の猛者だ。その力が――アグラマンには全く通じなかったのだ。


(おのれ……おのれ……おのれェェェェッ!?)


 退却していくサラセン軍。勝ちどきを上げるイングランド・スコットランド遠征軍を後目に――ブラダマンテの兄リナルドの心には、屈辱と敗北感、そしてサラセン人に対する激しい憎悪が色濃く刻み込まれたのだった。


**********


 パリ南門側。アルジェリア軍が完全に撤兵したのを見届けてから。

 テュルパン大司教は空濠の底に降り立ち、暴虐の王を苦闘の末に討ち果たした女騎士ブラダマンテを労った。


「ブラダマンテ殿、大事ないか?

 此度は申し訳ない。拙僧が不甲斐ないばかりに――」


 テュルパンの声に気づくと、疲労困憊から幾分立ち直っていたブラダマンテは、ロドモンの屍からゆっくりと離れ、立ち上がった。

 まだ呼吸は浅く乱れている。白く清らかだった鎧と、麗しいかんばせを敵の血で汚していたが――それでもその姿はある種の美しさを感じさせた。


「そんな事ないです、テュルパンさん――あなたが助けに来てくれなかったら。

 あなたがロドモンの左腕を折っていなかったら、わたしに鋼剣アルマスを授けてくれなかったら。きっとわたしは勝てませんでした。

 だから――この勝利は、テュルパンさんのお陰です」


 ブラダマンテは表情に疲れを滲ませながらも、薄く微笑んで言った。


「それに――折れてしまったけど、この両刃剣ロングソードを貸し与えてくれた、若き騎士も。

 彼が危険を顧みず、わたしを救おうとしてくれたから――ロドモンと戦い続ける事ができた」


 とどめの一撃。堡塁から濠の底へ飛び降りる際、アルマスを使わなかったのは、狙いを定めやすくする為だった。

 重い鋼剣よりは、扱いやすい普通の剣の方がロドモンの急所を確実に狙えたのである。


「そうであるな。彼が報せてくれたお陰で、拙僧も素早く駆けつける事ができた。

 礼を言わねばなるまいのう。マイエンス家の人間にも、騎士の鑑たる傑物がいるものよ」


「えっ――?」ブラダマンテはふと、疑問符が浮かんだ。


「む? 貴公は知らなかったかね? あの騎士の名は――ボルドウィン。

 マイエンス伯ガヌロン殿の、一人息子じゃよ」


 テュルパン大司教の言葉に、彼女の心に奇妙なざわつきが起こったものの。

 その日の内にパリ攻防戦は終結し、フランク王国側の勝利が確定したのだった。



(第4章 了)

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