11 下田三郎、新たな念話法を試す

 ロドモンは勝利を確信し、無造作に近づいてくる。赤く禍々しい鱗帷子スケイルメイルと、血に染まった半月刀シャムシールを、毒蛇の瞳のように妖しくギラつかせて。

 赤き巨漢に対し、女騎士ブラダマンテは剣は折れ、盾も弾き飛ばされ、兜もまた失われている。


 ロドモンは剣を振りかぶり、とどめの一撃を刺そうとした――その刹那。

 ブラダマンテは動いた。堡塁ほうるいに叩きつけられ、満身創痍だったとは思えぬほどの素早さで。


「まだ動けたのかッ!?」


 恐るべき瞬発力。弱っていたと思い込んでいた所に――引き絞られた弓矢の如き体術を見せつけられ、アルジェリア王は驚き、反応が遅れた。

 タックルであるが、丁度刀を振り下ろそうと力を腕に込めた瞬間に足元を掬う形となり、さしものロドモンといえどバランスを崩した。


「小癪なァ!」


 ロドモンは不安定な体勢になったが、それでも構わず刀を振り下ろした!

 ブラダマンテはタイミングを合わせ、刀を左の手甲で滑らせ、致命の軌道を僅かに逸らした。その勢いを利用し、転がりながらロドモンの背後へと逃れる。


「はあッ、はあッ」


 彼女は肩で息をしていたが、闇雲に逃げた訳ではなかった。

 第二の堡塁ほうるいを易々と突破されてしまい、浮き足立っていた守備隊であったが――ブラダマンテの奮戦を見て、数人の若い兵たちが加勢に駆けつけて来ていた。その足音を耳ざとく聞きつけていたのだ。


「ブラダマンテ様ッ」

「――来ないで!」


 傷ついた女騎士に代わり、ロドモンに挑もうとした若い騎士に、鋭い制止の声がかかった。


「あの男――ロドモンは強い。今あなたが挑めば、死にに行くようなものよ」

「し、しかしッ」

「でも、来てくれてありがとう。あなたには別の使命を与えるわ。

 わたしにその両刃剣ロングソードを貸し与える事と、増援を要請する伝令になってもらう事」


 薄く微笑んで、ブラダマンテは若い騎士の勇気をねぎらった。

 一見勇敢な若者の足が、微かに震えていたのが見て取れたからだ。

 彼もまた、状況を悟ったのだろう――腰の剣を女騎士へと渡した。


「――ご武運を」

「あなたもね」


 若い騎士は、すぐさま救援を呼ぶべく城の奥へと走り出した。


「――先ほどは弱ったフリをしておったのか? 食えぬ女よのう」

 ロドモンは忌々しげに息を吐いた。


「いいえ、本当に弱ってはいたわ。でもあなたが間抜けな事に、わたしの顔を見て口説き始めたから。

 無駄話をしている間に、ちょっと休めて体力が少し戻ったってだけよ」


 不敵な女騎士の言葉に、傲岸なアルジェリア王は雄叫びを上げて斬りかかる!

 ブラダマンテはロドモンの一撃を剣で弾きつつ、再び距離を取った。


(くッ――相変わらず重い攻撃だけど、さっきよりは耐えられる――

 でもこの剣も、何度か切り結べばいずれ折れて、使い物にならなくなってしまうわね)


 どう耐えしのぐべきか、彼女が考えあぐねていると――不意に聞き慣れた念話が脳内に響いた。


『アイ君! 聞こえるかね? 下田しもだ三郎さぶろうだ』


ииииииииии


「下田教授? 助言は有難いんだけど――今は戦いの真っ最中なのよ?」

『知っている。ちょうどロドモンと戦っている場面を本で開いているからな』


 下田もまた、いつになく真剣な口調だった。

 ブラダマンテに宿る魂の感覚が研ぎ澄まされていく。すると――突如として目に見える世界が暗転し、周囲の動作が、時間の経過が緩慢になっていた。


「え――何コレ?」

『フム、やはりこうなるか。私の推測は正しかったようだな』


「どういう事? 一体何をやっているの?」

『何度か念話を繰り返していて気づいたんだ。アイ君との会話を瞬間的に行うための条件をな。

 本の文字に触れながら念話を行うと、触れている間だけ物語世界の時間を止める事ができる』


 どうやら下田の発見した新しい方法によって、思考だけが飛躍し――実際の時間よりも遥かに長い情報交換を瞬間的に行えるようだ。


「何それすごい。下田教授――単に大騒ぎしてるだけじゃなかったのね!」

『今まで私を何だと思っていたんだ。地味に傷つくんだが! まあいい。

 改めて確認しておくぞ。ロドモンと戦うのだな? 今ならまだ、戦闘を離脱して逃げるという手もあるが――』


「ごめんなさい。黒崎とも約束したし――ここで逃げる訳にはいかない。

 それにわたしが逃げたら、ロドモンはパリの人たちを虐殺し始めるんでしょう?」

『ああ、確かに――そうなるだろうな』


「だったら戦わなきゃ。たとえ物語の世界であっても――みんな必死で生きているのよ。

 勇敢な騎士も。美しい貴婦人も。畑を耕す農村の人たちだって。わたしが見捨てなかったら助かるというなら、助けたい。我が儘で、ただの自己満足かもしれないけれど」

『なるほど、よく分かった――そういう事なら、私もできる限り協力しよう』


 下田の言葉に、アイは心底嬉しそうに感謝の言葉を述べた。

 どうしようもなく不利な上、現実世界に帰るための条件ですらないロドモンとの戦い。しかし彼女はそれをよく知った上で、敢えて選んだ。ここまで絶望的な戦力差があっても逃げ出そうとしない覚悟。

 人によっては、若さゆえの無謀な試みと嘲笑うだろう。身の安全を第一に考えるなら、無理矢理にでも諦めさせるべきかもしれない。


(いつの間にやら、アイ君も『変わってしまった』な――

 転移したばかりの頃、大泥棒ブルネロの腕を斬り落として怯え切っていた、同じ女子高生とは思えないくらいに)


 現実世界では一週間と経っていないが。物語の世界は少なくとも、数か月以上は経過している。

 ごく短い時間とはいえ濃密かつ危険に満ちた体験が、司藤しどうアイの魂に劇的な変化をもたらしたのだろう。

 だったらギリギリまで、彼女の意志を尊重し、行動をサポートしよう――下田はそう思った。何故なら自分はあくまでも「第三者」なのだから。彼女の気持ちは、物語を直に体験している彼女にしか分からない。


『アイ君。第二の空濠には近づくなよ。パリの守備隊が仕掛けた火薬がある。

 ロドモン率いるアルジェリア軍が押し寄せてきたら、罠が発動してとんでもない事態になるだろう』

「そう――気をつけなくちゃね」


 下田の警告によって、ブラダマンテは先刻まで微かに感じていた、不穏な臭いの正体を悟った。


(さっきから焦げ臭いと思ったら――そういう事だったのね。

 これが俗に言う『きな臭い』って奴かしら)


「下田教授、教えて。ロドモンの今の力は明らかに異常だわ。城攻めの際にどんな行動を取っていたのか――物語の記述に載っていたら、お願い」

『ああ。ロドモンは濠の中に飛び込み泳いで渡った後、フランク騎士を15人以上は殺戮している。そして第二の空濠をひとっ跳びした。鎧を着たままでな。

 普通の人間には有り得ない動きだ』


 それを聞いて、司藤しどうアイはふと思い至った。

 ロドモンの赤い鱗帷子スケイルメイル。泥と血に塗れ薄汚れているが――それが逆におぞましい輝きを増している風にも感じる。


「彼の身に着けている鎧。以前はなかったわよね?」

『ああ。物語の記述では、今朝ドラリーチェ姫より賜ったらしい――と書かれてはいるがね』


「だったら――確かめる必要があるわね」

『それから、くれぐれも無茶はしないでくれ。無理に討ち果たす必要はない。

 いずれ16人の名だたる勇士が救援に駆けつける。そうなれば――ロドモンを殺すには至らないだろうが、多勢に無勢。追い払う事はできる筈だ。

 それまで時間を稼ぐ事ができれば、パリ市民の犠牲は防げるだろう』

「そっか。ありがとう、教授」


 司藤しどうアイは念話を打ち切った。

 下田は本の文字から弾かれるように指を離す。話している間は気づかなかったが――念話が終わった途端、立ち眩みのような症状が起こり、疲労感がぐっと全身にのしかかってきた。


(便利な方法ではあるが――それなりに代償があるという事か)


 アイの――女騎士ブラダマンテの。勝利を祈らずにはいられない。

 下田は焦燥しつつも、次々と浮かび上がる魔本の物語の先を目で追うのだった。

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