10 ロドモン、ブラダマンテに求婚する

 ブラダマンテは突き出した剣が脆くも砕け散るのを見て、目を疑った。


(そんなッ……確かに鱗帷子スケイルメイルに覆われていない、首筋を狙いすましたはず!

 目の錯覚? 距離感を見誤ったッ……!?)


 歴戦の女騎士の動体視力を以て、攻撃箇所の目測を誤るなど考えにくい。

 だが呆けている場合ではなかった。ロドモンは不気味な笑みを湛え、更なる斬撃を繰り出そうと動く!


 先刻よりも威力を増した半月刀シャムシールが、ブラダマンテの身体を吹き飛ばす。

 今度ばかりは盾を構えるのが精一杯だった。速さも増し、反応しきれない。白き盾は弾かれ、彼女自身も堡塁ほうるいの壁に激突してしまった。


「が……はッ」


 咄嗟に受け身を取ったものの、衝撃は凄まじい。激痛と共にブラダマンテの口に不快な金臭さが湧き起こり、唇から血が滴るのを感じた。


(戦えば戦うほど、動きも力も増している……!

 あれだけ激しい戦闘を続けて、疲れるどころか……身体も大きくなっている?)


 信じられない事態の連続であったが、今のロドモンの強さは常軌を逸している。身に纏う意気オーラのようなものが、傲岸な王の姿を巨大化させているのかもしれない。


「――まだ死なぬか、ブラダマンテ。流石だな。

 我に瞬殺されたボンクラ騎士どもよりは骨がある。嬉しいぞ――」


 ふらつきながらも立ち上がるブラダマンテ。壁にぶつかった衝撃で兜の留め金が緩んでいた。このまま被っていてはかえって怪我の原因になる――そう考えた彼女は、やむなく歪んだ防具を放り捨てた。

 途端に豊かな金髪がこぼれ、血に汚れながらも可憐なかんばせが現れる。


「ほう――なるほど。確かに美しいな」

 ロドモンは舌なめずりして、露になった女騎士の素顔に好奇の視線を向けた。

「忌々しきクレルモン家のリナルドに似ているのは気に食わんが――

 その麗しき容姿。このような戦場で朽ち果てさせるには、惜しいなァ」


「こんな時に――何を言っているの?」


 ロドモンの下劣な言葉に、ブラダマンテは不快感を隠そうともしなかった。


「貴様のような美女は、討たれて屍を晒すのではなく――我のような勇者に愉しまれるために存在するのだ。

 どうだ、我のモノとならんか? さすれば命を助け、その若く美しき肉体――たっぷりと可愛がってやろうぞ」


「――あなたには婚約者がいるはずでしょう?」


「心配する事は無い。我がイスラム教は一夫多妻を認めておる。

 かの預言者マホメットなど、10人もの妻をめとっておられたのだ!

 貴様一人くらい囲うなど、造作もない事よ」


「恥を知れ、下衆め! わたしの魂はその申し出を拒否する。

 その薄汚い姿と性根を入れ替えてから出直してくるがいい!」


 歯噛みし、怒りと嫌悪を以てロドモンの提案を拒絶するブラダマンテ。

 不遜なるアルジェリア王は、フンと大きく鼻を鳴らし、ゆっくりと彼女に歩み寄った。


「ならば仕方ない――ここでその命、貰い受けるとしよう」


**********


 現実世界。下田教授の自宅にて。

 魔本「狂えるオルランド」に宿る邪悪な意思、Furiosoフリオーソは珍しく、苛立った声を上げていた。


『――下田しもだ三郎さぶろう。何故、司藤しどうアイに助言しない?』

「貴様の方からそんな事を言ってくるとは、珍しいな。悪魔め」


『彼女の今やっている事は――ボクには理解できない。

 彼女と黒崎くろさき八式やしきの目的は、物語の世界から脱出する事――その筈だろう?』

「……ああ、そうだな」


『それを分かっているなら、すぐに逃げるよう助言すべきだ。

 ロドモンの強さを読んだろう? 原典でも奴は常軌を逸した化け物だ。

 テュルパン、ネイムス、ガヌロン、オリヴィエ、デンマークの勇者オジェ。他16人もの名だたる勇士や騎士が、総がかりで槍を突き立てても傷ひとつつかない。

 そんな怪物にブラダマンテたった一人で挑んだ所で、勝ち目なんてある訳がないじゃあないか』

「……いつになく饒舌だな? 貴様」


『”狂えるオルランド”から脱出するために必要な無茶であれば、そりゃボクだって楽しむさ。

 だが今回は違う! パリの攻防戦など、本来ならブラダマンテもロジェロも全く関わらない。ロドモンなど放っておけばいい。

 パリ市民を数千人虐殺する――確かにとんでもない暴挙だろうさ。だが、それがどうした?

 お前たちには関係のない話だ。そうじゃないのかい、下田?』

「…………」


『彼らの命を救ったところで、ブラダマンテとロジェロの結婚に何ら関わりがないどころか――化け物に立ち向かうリスクしかない。

 そもそもこの物語世界の人命など、君たちにしてみれば紙の上に書かれた文字列の塊でしかない筈だ』

「よもや――お前の口からそんな言葉が聞けようとはな」


『何故冷静でいられる? 君たちからすれば、取るに足らないモノの為に――司藤しどうアイは命懸けの戦いをしている。

 君たちの中には、この異世界をコンピュータ・ゲームのように捉えている人間もいた。騎士を討ち取る事に、戦場で敵兵を薙ぎ払う事に――なんら葛藤を抱く事もなく、ただひたすら遊びのように楽しむ奴もいたさ』

「…………何が言いたいんだ?」


『彼女も君も”そうするべき”なんだ。非情と思うかもしれないけど、その方が合理的なんだからね。万が一、物語の人間などのために命を落としたら、元も子もないじゃあないか!

 くだらない自己満足のために、せっかくの大団円ハッピーエンド、フイにしちゃって構わないのかい? ボクと違って、彼女たちはやり直しなんて利かないんだぜ?』


 「本の悪魔」の熱のこもった長広舌に――下田は微笑を浮かべた。


『…………何がおかしい?』

「いや――済まない。よくよく考えれば、そうかもしれないと思っただけさ。

 お前さん――いや、Furiosoフリオーソだったな――思った以上に、アイ君や黒崎君に対し入れ込んでいるんだな」


『勘違いするな。前にも言ったろう、キミたちは非常に恵まれているケースだと。

 複数の人間で物語に介入できる上、下田のようにボクの声を聴いて助言できる者までいる!

 ボクだって結末を迎えたいからね。素晴らしい好条件を、こんなバカげた事態で失いたくないだけさ』

「――そうだな。私も当初は、何故黒崎君があんな事をアイ君に頼んだのか、理解が及ばなかった。原典でのロドモンの強さを読み込んでおらず、把握できていないんじゃないかとも思ったさ」


『――今は違うというのかい?』

「ああ、違う」


『だったら何が目的だ?』

「目的までは分からないが――大体の推測はできる」


『へえ。推測ねえ』

「恐らくは今のお前さんと――同じ理由さ。だからパリの虐殺を止めようと思ったんだろう」


『はあ? 何だいそりゃ? 訳が分からないよ!』

「そうか――分からないか。まあ、今はそれでもいいさ」


 下田三郎とて、司藤アイや黒崎八式の行動を心の底から理解し、支持している訳ではない。

 彼女たちのやっている行為はリスク面で考えれば愚挙そのものだ。それでも――その動機は推察できる。今の「本の悪魔」がアイ達に執心しているように、アイ達もまたこの世界を――


「さて――お前さんから珍しく実のある忠告も聞けた事だし。

 私も本来の役目を果たすとしよう。アイ君を――死なせない為にな」


 下田三郎は、物語世界のブラダマンテ――司藤しどうアイに対し念話を送り始めた。

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