6 オルランド来訪の恐怖

 ブラダマンテ――司藤しどうアイは、これまでにない強い不安を感じた。

 あのいつも冷静なメリッサが、ここまで切羽詰まった声を上げるとは。


「メリッサ……アンジェリカが一体どうしたの?」

「酷く怯えてしまっていて……ブラダマンテ。貴女の持っている指輪を早く返却して欲しいと訴えています」


 ブラダマンテの問いに応える尼僧の言葉にも、普段の余裕はない。

 メリッサに導かれ、アンジェリカの下へと案内される。すでにロジェロとアストルフォも居合わせていた。

 彼女は恐慌状態であり、魔女ロジェスティラが傍に寄り優しく宥めている。


「大丈夫か、アンジェリカ。何があった?」ロジェロが訊いた。


「『腕輪』が……反応してる。あいつに貰った腕輪が……!」


 アンジェリカはどうにか言葉を絞り出した。

 彼女の手には、大粒のルビーが嵌め込まれた銀製の腕輪があった。目を凝らすと鈍い輝きを放っているのが分かる。放浪の美姫による探知魔術の反応なのだろう。


「あいつが近くにいる……来るわ! あの男が……! オルランドがッ!」


 オルランド。フランク王シャルルマーニュの甥にして、王国最強の騎士。

 聖剣デュランダルを持ち無敵の力を誇り、数多の戦いに打ち勝ったフランク騎士の代名詞のような男だ。

 にも関わらずアンジェリカは……オルランドの事をまるで無慈悲な災厄のごとく忌み嫌い、恐怖に打ち震えている。


「オルランドが近くに来ているの?」

 ブラダマンテもまた、怯える美姫を落ち着かせようと口を開いた。

 それにしてもアンジェリカの取り乱し方は異常だと、ブラダマンテ――司藤しどうアイは感じた。

 クレルモン公爵家の女騎士としての記憶を思い起こしても、オルランドとの面識はほとんどなく、アイ自身も直に会った事はない。それ故に彼女の抱く恐怖の正体が判然としない。


「貴女に恋していて、求婚するために散々追いかけ回してる人だったわね。

 何なら貴女を諦めるよう、わたしの方から説得を――」


「無理よ! あいつが人の言葉なんかに耳を傾ける訳がない!」

 アンジェリカは悲鳴に近い声を上げ拒絶した。

「お願い、ブラダマンテ……どうか私の指輪を返してちょうだい。

 オルランドは……あいつの本性は、騎士でもキリスト教徒でもない!

 主たるシャルルマーニュを憎んでさえいる――あいつを侮ってはダメ!

 いくらあなたがフランク騎士で、彼と血縁があろうと……逆らったら間違いなく殺されてしまうッ!」


**********


 本の悪魔・Furiosoフリオーソはニタニタと笑いが止まらなかった。

 司藤しどうアイと黒崎くろさき八式やしき。この二人は――どこまで自分を楽しませれば気が済むのだろう?

 悪徳の魔女アルシナと海魔オルクが同時に襲ってきた時点でこの上ない難事であったのに、死力の限りを尽くして切り抜けた。


 にも関わらず、二人を待っていたのは更なる苦難――フランク王国最強の騎士の登場だ。厄介な事にこいつは今、愛しの美姫アンジェリカを己がものとする事しか頭にない。ブラダマンテ達にとって味方である筈の彼は、物語の中でも最大の壁となって立ちはだかる事になるだろう。


(もはやボクにも、この物語の結末は予測がつかない――

 せいぜい面白おかしく足掻いてみせてくれ)


 本の内容を読み、見る間に青ざめて絶句する下田しもだ三郎さぶろうの姿に、悪魔は嗜虐の絶頂を覚えるのだった。


**********


 魔女の島に近づいてくる艀舟はしけぶねがあった。

 乗組員は二人。一人は上半身裸で、精悍な体つきの青年の騎士。顔立ちは整っているものの短めの金髪は乱れ、どことなく野性味を感じさせる。もう一人は、身長7フィート(約2.1メートル)近い筋骨隆々の髭面の巨人の従者。こちらは腰布を巻いているだけで、オールを使って舟を漕いでいる。


 そんな舟を目ざとく見つけ、海の底から忍び寄る巨大な影が見えた。

 海魔オルク。先刻の戦いで受けた魔法の楯の光による気絶から目覚め、近づく者を餌とすべく動き出したのだ。


 凄まじい波しぶきが上がり、無数の触手が舟に向かって殺到する!

 ところが――怪物の触手は全て、騎士の持つ剣によって叩き落とされていた。舟はおろか、上半身裸の騎士にすら怪我らしい怪我はひとつもない。


 業を煮やしたのか、海魔オルク大海蛇シー・サーペントの頭部を浮上させ、舟ごと飲み込むべく突き進んできた。

 圧倒的な巨体と質量! 二人の乗るはしけなど、藻屑と化してしまうだろう。

 だが次の瞬間、さらに信じられない事態が起こった。騎士が雄叫びを上げ、剣を振り上げると――オルクの頭部は恐ろしい衝撃音と供に、飲み込もうとしていた舟から大きく軌道を逸らされ海中に沈んだのだ!


「――おー、マジで硬いな。俺のデュランダルでも傷がつけられねえとはな。

 なかなかやるじゃあねえか、化け物」


 騎士は焦るどころか、口元をほころばせ楽しげにしている。巨人の従者も事態に全く動じていない。

 海魔オルクは再び海上に顔を出し、イノシシの牙を生やした大口を開けて迫ってきた。


「――モルガンテ。いかりを寄越せ!」


 騎士は巨人から己の背丈ほどもある錨を手渡され、力強く握り締めた。

 腕の筋肉が倍ほども膨れ上がったかと思うと、80ポンド(約36kg)はあろうかという舟の錨が軽々と持ち上げられる!

 オルクの突進は止まった。大口は間抜けに開いたまま。騎士が錨を片手に怪物の口の中に飛び込み――顎にあてがったのだ。両の顎に錨が突き刺さった上、騎士の怪力によってまったく身動きが取れなくなった。


「外の鱗は硬かったが――内側からはどうかな?」


 騎士は得物の剣を抜き、怪物の内側から執拗なまでに切り刻み始めた!

 剣が斬りつけられるたび、突き刺さるたび……オルクの血飛沫と絶叫が上がる。何度も、何度も、何度も――


 やがて艀舟はしけぶねが海岸に辿り着く頃、海神の使いたる伝説の海魔オルクは脳天すら貫かれ、目玉も飛び出た物言わぬ巨大な肉塊と化していた。


「――デカい図体の割には、雑魚同然か。ガッカリだな……

 モルガンテ! 鎖帷子チェインメイルを用意しろ!

 裸でも戦には困らないが――いい女に会いに行くんだ。

 騎士らしい格好はしとかなくちゃな」


 騎士の命に従い、巨人の従者モルガンテは積荷から騎士の身につけるべき鎧兜を取り出し、恭しく差し出す。

 やがて完全武装が整った。彼の持つ盾には、赤と白で交互に4つ塗り分けられた紋章が描かれている。これはブルターニュ辺境伯にして、フランク王国随一の騎士の象徴であった。


「モルガンテ。腹が減ってるだろうから、怪物の肉は好きに食ってていいぞ!

 俺が戻るまで、舟をよく見張っておいてくれよ」


 巨人は命じられると満面の笑みを浮かべ、貪るように怪物の屍を生のまま喰らい始めた。

 騎士は島に降り立ち、野性味溢れる顔を喜悦の色に染めた。


「――この島に来てるって情報ネタは上がってるんだ。待っていろアンジェリカ。

 お前に最も相応しい男は――この俺、オルランド様以外にないのだからなッ!」

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