第68話 地図の空白、赤い点。

『君がこの仕事を続けるのかわからないけど、仮に辞めてしまっても、お金の問題はずっとついて回るから。だからここでの仕事を覚えておくのは、悪い事では無いと思う』


 私は家賃保証会社で管理(回収)担当者をしている。その前は10年くらい消費者金融で管理(回収)担当者だった。

 一番最初は、2021年現在はもう存在しない小さなサラ金。それから大手消費者金融へ転職した。ずっと『お金を払ってください』という仕事をしている。蔑まれる仕事なのだろう。


 その小さなサラ金で、最初の上司に言われた言葉。


 余程『コイツすぐに辞めるだろうな』と思われたのかもしれない。しかし悪い雰囲気で言われたものではない。何と返答したかも忘れたが、もしかしたら以降に私が見たり読んだり聞いたりしたTV、映画、小説、舞台、アニメ、戯曲、マンガ、ちょっと小難しい本やビジネス本……その他の何でも構わないが、あらゆる言葉の中で一番頭に残っているものかもしれない。どうしよう。何てつまんない人生なんだ。


 2019年*月。


 頭に白い地図を描き、赤い点を灯す。


 月末はとうに過ぎた。1カ月以上も支払いがなく、電話してもSMSを送っても(SNSではない。念のため)連絡の取れない延滞客。彼らへの訪問を主たる業務にする期間。時折そういう風に頭に地図を描いて赤い点をつける。


 地図は自分の担当する*県のA市、B市、C市、D市、E市。赤い点は『訪問せねばならない』延滞客の部屋。

 

 各市の人口の多寡、面積の大小は当然マチマチ。訪問せねばならない延滞客の数は基本的には人口に倣う。


 C市だけ空白。人口の少ない地域。だから元より赤い点は少ないのだが、一つも無い。ここ半年は常に3つの赤い点が灯り続けていた。


 一人は病院で、一人は自室で、そして一人は『駅』で。全員、亡くなった。倫理観を外して書くなら、死んでくれた。死因は、書かずにおこう。殺人事件なんかの派手なものではない。どこにでもある、珍しくも無い死に方。


 本当に、全員が面倒だった。訪問しても、誰一人としてマトモに支払わなかった。一人は高齢のため何も記憶できない。一人は全く会えない。一人は、その50代の男は、本当にカネがない。『先輩』とやらの下で、日雇いの土木作業をしていたが、完全に搾取されていた。

 彼には福祉制度の利用を勧めたが、話を聞くだけで何もしなかった。そして、死んだ。

 全員に共通したのは、離れて暮らす遺族の誰もが彼らの部屋を片付けようとはしなかった事。縁を切った、離婚、契約者とは音信不通でどこに住んでいるのかも知らないし興味もない。誰も彼もが、残された部屋の片付けを拒否。


 好きにしてくれ──ありがとうございます。そうします。部屋の荷物を撤去し明渡は完了。シンプル。スムーズ。素晴らしい。


「今日はどこを回るの?」 

 椅子に座って延滞客への訪問の準備をしている私へ、同僚が声をかけた。歳は5歳ほど上だ。


「A、B、D市です。行けたら……E市も。C市がキレイになったから、楽です」

 本心を声に出す。本当にC市から赤い点が消えて『キレイ』になった。


「追い出したの?」


「全員死んだんですよ」


「ラッキーじゃん。どうやったらそんなに死ぬのよ?」


「私が殺して回っているわけじゃないから知りませんよ。偶然です」


 準備も終わったので席を立つ。それじゃ行ってきます。『運転気を付けてね』──同僚の声が背後に聞こえた。


 再び頭に地図を描きなおす。赤い点を灯す。車で回りにくかったC市。空白。本当にラッキーだ。


 駐車場へ向かいながら、嘆息する。『ラッキー』──まさしくそうだ。

 私は独身だ。離婚歴もない。当然……ではないかもしれないが子供もいない。

 彼らは結婚した事もあれば子供がいる者もいた。両親が生きている者もいた。それでも誰も彼らの部屋すら片付けない。死んで『ラッキー』──そんな感想を、我々のような赤の他人に軽く言われてしまう始末。

 普段あまり考える事はないのだが──それは嫌だな。そう思った。


 何が彼らの人生をそうさせてしまったのだろう。


 少子高齢化や晩婚化が進み、生涯未婚率も上昇し続ける日本では、それは常態となるのだろうか。そうかもしれない。しかし、それだけではないかもしれない。

 彼らには間違いなく多額の『借金』があった。


 借金ゆえに両親、兄弟、妻に果ては子供から見放された。


 以前、中高生へ『投資』を教えるという記事を読んだ。そうすべきという意見もたまに目にする。

『学習指導要領』の改訂により、2022年度から高校の家庭科で『金融教育』を教えるという記事も読んだ。

金融庁『中学生・高校生のみなさんへ』の『中学生・高校生向け副教材の教師用指導マニュアル』に目を通してみる。

 https://www.fsa.go.jp/teach/chuukousei.html


 高校生用教材の目次をざっと眺める。

 給与明細の読み方に株式会社の仕組み。株式や社債について。金融機関はどこから利益を得ているの、金融商品はどうやって選べばいいの、等々。


 豊かな人生を送るのに金融知識が必要。そうですね。でもそんなの本当に、義務教育の中学校や、今や殆どそれに近い高校教育で教えるものなのか。


 不要だと言っているのではない。真逆だ。

 私は、誰も真に受けないだろうが、半ば本気で『(自ら希望する)高校生を2カ月くらい、消費者金融の管理(回収)部署のコールセンターでバイト代を払って働いてもらった方が余程、金融知識、いやその前段階の心構えが身に付くんじゃないの?』と思っている。


 当たり前だがどの株式が上がるか下がるか、そんなものを教えられる人間はこの世にいない。20年程前にはやたらと『金融の専門家』がBRICsへの投資を勧めていた。彼らは勝利宣言をしているか?

 必ず儲かる鍵などない。そんなものは誰も知らない。


 世界経済は超長期的には成長するにしても──それすら本当の所はわからない。ましてやある特定の国、ある特定のセクター、そしてある特定の企業の株価の上げ下げなど、絶対に予測できない。


 最近はまるで無敵のように語られる事もある、S&P500などの株価指数に連動するETF(上場投資信託)やインデックス投信でも、自分に稼ぐ力が無くなりそれでもカネが必要になった時が、次なるリーマンショックの真っ最中ではないと、誰が断言できるのか?


 毎年々々、年がら年中これを買え、あれに投資しろと、数多の金融商品がスポットを浴びる。大麻マリファナ関連銘柄でも金でも投資用マンションでも仮想通貨でも、他の何でもいい。儲かる根拠がもっともらしく語られる。


 この世の誰を信じても構わないが、予言者だけは信じちゃいけない。


 もちろん中高生へ教える『金融知識』は投機で大儲けする──そんなものを教えるものではないのだろう。当然だ。そんなもの、教えられるわけがない。そんなものが教えられるのなら、大抵の教師は教師を続けていない。


 前述の金融庁の『先生・保護者・教育機関のみなさんへ』を見ると、株式や金融商品の選び方、金融をめぐるトラブルなども教えるようだ。

https://www.fsa.go.jp/teach/chuukousei.html#sensei


 カネのトラブルの真っ最中はどんなものか。それこそ消費者金融の管理(回収)部署のコールセンターで、延滞したばかりの客を対応するセクションで働いてみればいい。比較的イージーなセクションだ。私が働いていた頃ですら、電話対応のビジネスマナーを重視し始めていたから損する経験にもならない筈だ。


 私は消費者金融で、新入社員やアルバイト・派遣さんの教育係みたいなマネもしていた時期もある。頭が柔らかく、パソコン操作に抵抗の無い(交渉結果をPCに入力できる程度で充分だ)高校生なら2日間あれば、要領の良いコだったら1日で現場に立てる状態になる。わからない事があれば通話を保留してベテランに電話を代わればいい。『うるせぇ』『死ね』など致命的な言葉さえ言ってなければ、何とでもフォローできる。

 

 そこで嫌でも知る筈だ。『借金しても年利18%。だったら株を買ってテンバガー(株価が10倍になる)なんて、狙う方がおかしい』『リボ払いって、こんなに元金減らないの?』『借金に追われる生活って……』──国防ならまずは防御を固めるべきだ。『攻撃してもあの国は陥落しない』と意識させるからこそ、敵国は開戦意思を放棄する。

 

 金融知識? 借金に追われた生活を目の当たりにすれば、嫌でも自分で知ろうとする。

 金儲けの才能は稀有のものだ。その何百何千倍も、才能が無い人がいる。その才能が無い人へ向けてせめて防御の方法を教える事が、義務教育で求められる教育じゃないかと思うのだ。もちろんそれでも、何も理解しない人間はいるだろう。


 消費者金融や家賃保証会社の管理(回収)担当者にも、借金まみれの連中は沢山いたし沢山いる。ソイツらは、もうそういう連中なのだ。最高の教材が目の前にあるのにそんな有様になっている。教育でどうこうできるレベルを越えている。

 カネに追われる生活を、ディスプレイ越しかもしれないが目の当たりにできるのは、消費者金融や家賃保証会社の管理(回収)担当部署だ。訪問にはさすがに同行させられないが(コスト面で無駄だから)、消費者金融のコールセンターなら普通に戦力としてエントリーできるだろう。

 地方はともかく、首都圏ならどこだって人手不足。高ストレスだから、どんどん辞めていく。


 さすがに中学生は不味いだろうが、本人が希望するなら高校生をバイトとして雇っても良いではないか。風俗店じゃないんだから。

 少なくとも私が働いていた大手消費者金融のコールセンターだったら建前はともかく本心では大歓迎した筈だ。若い人が来てくれなくて、タイピングもおぼつかない中年ばかりへ教えていた頃の私だったら手を叩いて喜んだだろう。


 私はそのバイトの方がよっぽど『金融知識』の前段階としての『ヘタに借金したら、カネにぼんやりしていたらエラい事になる』を教える教育になると思う。詐欺そのものの儲け話にも『馬鹿じゃないの』とツッコめる力が付く筈だ。



 エンジンキーを回して、カーナビのディスプレイに目を移す。訪問対象の顧客宅の住所──赤い点を入力する。

 

 先月までC市に灯っていた赤い点は消えている。その日の私は少しだけ楽ができた。『ラッキー』だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る