第14話 デリヘル嬢N 53歳

東京都I区。53歳。女性N。賃料55000円。

部屋は1K。


延滞は2ヵ月。


私はNが嫌いではなかった。


確かに延滞はしている。2か月も。賃貸借契約はもはや解除となる状況だ。


以前から何度も延滞していたが今回は窮まった。


ただ、Nは、とにかくちゃんと連絡してくるし、電話にも出るのだ。

そして低姿勢で謝る。何とかするから待ってくれと、およそなんともできそうに無いが頼んでくる。


仕事はデリヘル嬢だった。


人妻専門の店だったが、一時期有名になった「地雷専門店」などではない。単なる人妻専門店だ。


Nは50代である。60代にすら見えた。美人でもない。歯すら欠けていた。


あえて「地雷」を狙うわけではない店でデリヘルを注文し──Nが来たなら、ガッカリすると思う。

率直にいって、Nに商品価値なんて無いと思う。


いや、もちろん女性にはそれがどんな年齢、容姿であっても値段はつくのは理解しているつもりだ。

Nを50000円で買う人間はいないだろうが、50円ならいるだろう。

しかしそれでは商売として成立しないから50円では売ってないし売るべきでもない。



ただ、それでもNは出勤し、なんだかんだと延滞を1か月以上にしないように払っていた。

どういう売り方をしたのかは私はわからないが、そんなに楽ではないのは推察できる。



ある時はあと1日で次の家賃も発生し2か月分の延滞になる──という日の朝に1か月分支払ってきた。

どうやって作ったのかと質問すると──「常連のお客さんにお願いしてね……」とだけ呟いた。


前日まで1万しか用意できてなかったのだ。


Nのスペックで手取り4万以上を1日で稼ぐのは、風俗業を知らない私から見ても困難だと思う。

どんなサービスをすれば手に入るのか、見当もつかない。たぶん、聞けば気分が悪くなるような事かもしれない。


ただ生きているだけの事がなんと難しいのだと嘆息した記憶が残っている。


そんなこんなでやり繰りしていたが、しかしそれも窮まった。部屋の賃貸借契約は解除される旨を説明する。


「……今日出勤だから、なんとか常連さんに頼んでみるから」



──「これ以上はやめましょう」パン、と私は両の手を1度打ち鳴らした。

私はNに対してそんなに横暴な態度を取った事はない。Nも私に対して失礼な態度を取った事はないと思う。だからこそできる話の始め方。


「生活保護を受けましょう。失礼ながら申し上げます。Nさんのやり方はもう限界です。私はNさんにホームレスになってほしいとは思わない」



Nは正直にいつも電話に出ていたし、できる限りはしていたのだと──もしかしたら本当はそうではなかったかもしれないが──私は思っていた。


真摯に向き合えば、「お金払え」と言う側だって普通の人間なのだ。

確かに延滞する人間を馬鹿にするだけの連中もいるが、そうでない者もいる。


私がどちらの人間か──これは相手によるとしか言いようがない。


もしこれを読んでいる方で延滞を常にしている方がいらっしゃるなら、あなたはどういう人間だろうか?


私は、Nに対しては最善と自分が思えるルートを提案しようと考えた。



ルートはシンプル。まず生活保護を申請する。

同時に福祉課へは契約解除の通知は発送される事──つまり現住所地にはもう住めないと伝え、転居が必要な点を事前に説明しておく。


生活保護の受給決定までは2週間はかかる。だから、2週間以内に転居先を見つけておき、賃料などを記載した書類を福祉課に提出しておく。


受給決定すれば、たとえば次の支給日が9月3日。申請日が8月18日なら──8月、9月分の賃料は住宅扶助の上限まで9月3日に支給される。

うまくいけばそれ以前に支給される事もあるし、食費もないなら5000-10000円程度なら事前に渡される事もある。


支給決定とほぼ同時に転居先への転居費用支給の手続きも進行させる。

引っ越し業者の選定は、通常3社から見積もりを取れといわれるのでそれも行う。


これであれば、私の数字にも最低限の影響で、Nの金銭的な負担もなく転居できる。


今存在する延滞は引っ越した後ならば、それ以上増える事はない。

であればそこから月々いくらか払っていくのなら、会社の担当部署も許容する。



もう何年も前にある上司が笑って言った──「以前退去させたヤツがいた。ソイツはそのままダムに身を投げた」


サラ金出身者特有のホラ話かもしれないが、そうなってくれたらどんなに嬉しいか──と思う相手がいる事を私は否定しない。

だが、Nに対して私はそうは思わない。


もちろん、私は自分の仕事として行っている。仕事である事を忘れたならそれは背任だ。

それは会社員としてしてはいけない事だ。ただ、それでも出来得る限り顧客にとって最善の解を見つける事は可能だ。



顧客──Nも協力するなら、話は極端にスムーズに進む。

Nと福祉課へ同行すれば、いかに困窮しているかの説明をサイドから行う事もできる。


転居先探しも不動産屋などいくらでもあるのだし、生活保護受給者への仲介に熱心な所も私は知っている。そこにすんなりNが行ってくれるなら、簡単に転居先など見つかる。



最短で転居先も決定した。転居費用も出る。

少なくともNがデリヘルで働くよりはマトモで安定しているとは思う。



「ありがとうございます」


退去の立ち合いはスムーズに進んだ。引越作業も正規の業者が行うのだから丁寧だ。


Nから感謝を口にされた、それ自体は正直どうでもよかった。Nとはもう2度と会う事はないし、仕事が一つ、ひどくスムーズに終わっただけだからだ。

ただ、変にこじれなければ実に楽に進むのだと痛感した。


であれば、なぜ、どいつもこいつも話がこじれているのだ。


たぶん、邪魔しているのはプライドだったり不信感だったり、なんだろう。

それは顧客側だけではない、こちらにも、ある。不信感なんていつもある。


そして何度も繰り返したが──とかく面倒くさいのは30代中盤~60代の男性だ。いちいちプライドが高い。本当に面倒くさい。



これは自戒を込めて──思う。

あなたは面倒くさい人間にはなっていないだろうか?順風満帆な時はそれでもいいかもしれないが、困窮した時あなたが面倒くさい人間であれば、ひどく「面倒な事」になる。

世界全てが面倒くさい事を排除するため──面倒くさいあなたを排除するため敵対してくるかもしれない。

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