第3話 ある生活保護受給者Sの話

 201*年8月下旬。


 60歳を越えた『彼』はとにかくプライドの高い人間だった。そしてその源泉は過去にしかなった。

 半世紀近く前に有名大学を卒業したという、ただそれだけ。ただその『偉業』が本当なのかどうか、私にはわからない。


 もしも嘘ならば『彼』──『S』の人生とは何なのだろうと、今でも思う。


 例えば東京都の殆どの地域に住んでいる単身世帯の場合、生活保護受給者には53700円(特例で上限額がやや上がる場合もある)までの住宅扶助(いわゆる家賃)が支給される。

 仮に6万円の部屋に住んでいて、何らかの事情で生活保護を受給する場合、福祉課(福祉事務所)職員より転居を勧められるか、あるいは生活費として別途支給される8万円程度の生活費よりオーバーした分を支払う事になる(他に収入を得ている場合は当然支給総額は下がるが、わかりにくくなるので省く)。


 どちらかといえば現在は、数千円オーバーの賃料の物件ならば、転居させない方が流行かもしれない。なぜなら転居に伴う敷金・引っ越し費用・保険料等々は福祉課より支給される。

 転居させない方が税金からの支出は少ない。


 K県O市にある賃料4万円の部屋だった。


 Sは、コンタクトを取ろうとした時から既に数ヶ月分の延滞があった。

 家主が延滞の事実を当社に連絡していなかったのだ。理由は、単に当社と契約している事を忘れていたかららしい。そういう事は多い。



 登録してある電話番号は使用されていないので、Sの部屋を訪問する。

 ドアに有名大学の同窓会組織のチラシが貼ってあった。それを不思議に思った記憶がある。そんなもの普通、貼るか?


 当然のように不在。単身世帯。通知だけ置いて帰る。それ以来1ヶ月、部屋へ誰かが入った形跡は無い。


 なぜ出入りがないとわかるのか?


 ドアの金具部分にテープを張っていて、それが切れていないからだ。

 そしてライフラインも確認している。全て停止している。

 時々ベランダから出入りしている人間もいる。が、Sの年齢や、そして2階だったので今回それはないと確信する。


 この場合、通常3つのルートを考える。


 1・何か契約者と連絡を取り、支払いか退去するかの交渉を行う。

 2・入室し室内を確認。夜逃げのようなら残置物を撤去し、終了。

 3・明渡訴訟。



もちろん、どんな場合も『1~3』は並行して想定し行動するが、それでも結局どれかで着地させなければならない。


 愚直に『1』?

 または賃貸借契約を解除して、明渡訴訟~強制執行の『3』?

 家主が当社に申告し忘れている延滞分も含めればとうに10ヶ月以上の延滞もあるため、契約解除通知は既に送付されている。明渡訴訟は即始められる。


 ただ、主にコストの面から、『1』はともかく『3』ばかりやってるわけにもいかないのが保証会社だ。なにせ明渡訴訟の費用は家賃保証会社が出すのだから(そうでない契約もあるが)。

 できれば『2』を行いたい。


 もちろん、賃貸借契約が解除されたからといって、普通に生活している気配のある部屋のドアをいきなり開けて、契約者ともども荷物を部屋から叩き出して良いというわけではない。


 ただ、この部屋には少なくとも1ヶ月間、ドアを開けた痕跡もない。

 

 ある程度部屋の出入りが無ければ、室内で人が死んでいるかもしれない──そういう建前で警察を呼ぶ。呼んでドアを開ける。

 呼ばない場合もあるけれど、建前として、呼ぶ。

 そして『2』にもっていく事ができれば、最も低コストで終わる。


 私はまず入室をしようと考えた。『3』──明渡訴訟を行うにせよ、まずは室内を確認してからの話だ。


 ところで家主は『Sは他にも部屋をもっているらしい』という噂話を聞いていた。

 生活保護受給者がセカンドハウスを持つのは、有り得ない話でもないが普通ではない。


 異なる自治体の福祉課間の連携は殆ど無いように私は思っている。飲み会とかはするのかもしれないが。

 なにより、生活保護申請者が他の自治体でも受給している可能性を調べる方法がないわけでないはずだが、担当者の意思にかなり左右されるようだ、というのが私の印象だ。


 だから異なる自治体から生活保護を二重受給する事はできるのかと問われれば、絶対に不可能というわけではない、という答えになるのだと思う。


 これを書いている2018年現在は状況が少し変わった感もあるが、その数年前まではそうだった。

 そして最悪な事に、O市の担当者は完全に、何もしない人物だった。


 もちろん私はSとのコンタクトを取るために他の方法もいくつか行っていた。

 ただ、完全に徒労だったのも事実だが。


 延滞を私が知った時点から、生活保護を受給している事はわかっていた。契約時の登録情報は生活保護だったからだ。だからO市福祉課担当職員に連絡をしていた。


 家賃が支払われてない事は説明した。


 だがO市福祉課職員はそれを承知していながら、生活保護費を受給者の口座に振込み続けると主張した。


 そもそも家賃が支払われていない事を彼は家主から何ヶ月も前に既に聞いているのだ。部屋の契約は解除になっている事も説明した。それでも振込み続けると明確に口にする。


 生活保護費は口座振込みか、手渡しかの基本は2択だ。

 家賃のみ大家や管理会社へ役所が振込をするという方法もあるが、システムが追いついていない役所も多かった。O市はそういう役所でもあった。


 振込支給か手渡しか。受給者は当然、前者を希望する。支給日に福祉課に行くのは面倒だから。


 受給から日が浅いとか、1ヶ月に1度くらいは顔をみなければならないな──という人物に対しては手渡しが選択される事が多い。


 この担当者は随分前から家主の申告によって家賃未納状態なのを承知していながら、保護費を手渡しへ変更していなかった。

 住宅扶助が家賃として使用されていない事を、随分前から知っていた。

 それなのに、支給停止まではいかなくとも手渡支給へ変更し、面談・指導の実施すら怠っていたのだ。


 それも、個人情報保護と受給者の同意がないなどという、取ってつけたような言い訳で、家主との会話を拒絶し、支給を続けた。

 第一、振込み支給から手渡しへの変更に同意の必要などない。

 支給した住宅扶助が家賃として使用されていないのだから、とにかく直接面談し、指導するのは当然なのだ。

 受給者に会おうとしている形跡もない。指導する気がないのだ。明らかな怠慢である。


 受給者は弱者だという信念を口にしたが、それとこれとは関係ないだろう?と伝えても、振込みを手渡しに変更はしなかった。


 私としては、手渡し支給に変更させたい。契約者とコンタクトを取りたいからだ。

なぜ? 大抵の受給者は受給日にカネがほしい。

 だから手渡しに変更させて、支給日に管轄の福祉課で待っていれば、受給者に会える可能性が高い。


 しかし、この福祉課職員は、滅多に無いほど頑なだった。個人情報で契約者の話ができないというのは、まあいいだろう。

 だが、家賃が支払われていない状態なのは完全な事実。そもそも家主も住宅扶助から賃料を受け取っていない当事者である。


 福祉課担当者へ直接苦情を申し立てている家主との対話を拒絶するのは、本当にそれは福祉課職員の仕事として正しいのか?


 口座へ振込支給を続けるのか? それはO市の方針か? ──驚くべき事にソイツは『O市の方針だ』と答えた。

 そんなバカな方針があるわけがない、上司に代わってくれ──まさか上司も同じ事を口にするとは思いもよらなかった。O市すごいな、と心底思った。


 中々ここまで強行に『何もしない』福祉課職員はいない。


 払わないといけないものは払わないといけないよね。その分支給もしてるんだし、というスタンスの職員が多い。特に若い職員は。


 ただ中年以上になると、どうもやたらと受給者=弱者、だから家主という経済的強者から守るという信念を持ちたがる。或いはそれが何もしない言い訳に使われる。


 だがこれは、弱者だ強者だとかいう問題では絶対に無い。福祉課職員の通常業務の筈だ。単に住宅扶助が本来の用途に使われていない。それだけの問題なのだ。


 最後に契約者と会ったのはいつなのか? と質問しても、答える義務や法律は無い、の一点ばり。生活状況の確認や面談も行ってないのに支給を続けているのだ。


 ここまで仕事をしない福祉課職員も珍しい。現状をただひたすらに維持したいだけなのかもしれないが。


 ともあれ、福祉課からSにたどり着くルートは絶たれたも同然だった。


 いくら保証人要らず、だから保証会社を付けるといっても、緊急連絡先の申告は必要だ。死んだり、何かがあった時の連絡先は必要だから。


 もっとも、生活保護受給者の場合だと、少し通った居酒屋の店主に口頭で了解を得て勝手に緊急連絡先として記入している事も少なくない。緊急連絡先になってくれるNPO法人もある。そして緊急連絡先は特に同意も必要ない。

 保証会社から連絡が入らない場合も多いので、極端にいえば緊急連絡先など適当に書いておけばやり過ごせる事も事実だ。


 緊急連絡先から辿るルートは、元々あまり使えないが、当然のように絶たれてもいた。


 さてどうしようか──けれども、唐突に自体は動く。


 契約者が居住するアパートの隣には家主が住んでいる。豪邸といっても差し支えない。住んでいるのは高齢の家主夫妻だけ。

 夫は痴呆であり、管理は婦人が行っている。管理といっても特に何をしているというわけでもないのも事実だが。


 契約者の部屋から異臭がして、他の入居者からの苦情で参っている、どうにかしてくれないかという相談を受けた翌日、再度の電話。


「警察が家宅捜査をするから、鍵を貸してほしいと連絡があった。立ち会わねばならないが、心細いのでどうか同行してほしい」


 断る理由もなかったが、聞けばW署?


 数日後、部屋の前にはT県警W署の警察官が複数いた。知能犯係。


 Sは何やったんですか?


 これに容易に答えてもらえるのかどうかは場の雰囲気と相手次第。

『ゼンゼンソンナ事ニハ興味アリマセンヨ』という表情と口調を意識して作る。


 ある人物になりすまして、身分証明書を作ろうとしたのが容疑だという。その身分証明書の住所は、W市のSの部屋。


 本当に部屋を2つ契約しているのか?

 頭に明滅したのはその疑問だった。初めて手を染めた犯罪でもないとすれば、もしかして、赤の他人に成りすまして生活保護受給も有りうる? それは果たして、可能なのか?


 だが、私の仕事は捜査や不正追求ではない。単なる家賃保証会社の社員。


「銀行強盗しようと思います」など事前に相談されれば当然、制止はする。しかし結局のところ、支払いに窮した人間が仮にどのような手段でお金を得ようと、それは関知しないしできるものでもない。


 警察官の驚く声が耳に届いた。悲鳴というより好奇の声。Sの部屋はまさしくゴミ屋敷だった。


『ゴミ屋敷』以外に形容できない。ドアの外側から暗い室内を覗くだけでも、うずたかく積み重なったゴミの山と腐臭が確認できる。

 足の踏み場など全くない。割れた卵の殻やパンが転がる玄関には、沢山のゴキブリが這い回る。


警官2人が意を決して踏み込んでいく。ゴミの上を。


 何を見つけたいかは知らないが、見つかるわけがないと容易にわかる。ゴミの量が多すぎる。


 案の定、10分くらいで警官が出てくる。成果があったとは思えない。


 しかし私には収穫があった。Sの留置されている警察署を知る事ができたからだ。


 2日後。T県W署。警察署に留置された人物との面会はいつでも誰でも何回でも可能というわけではない。弁護士でもなければ1日1回だけ。誰かが既に被疑者へ面会していれば、その日はそれまでだ。


 だから当然朝の一番早い時間へW署へ向かう。


 とはいえここでも一つハードルがある。被疑者が嫌なら面会は拒否できる。


 私の身分などは留置係からSへ伝えてもらうが、面会が嫌だったり他に会いに来る人間がいるなら当然拒否されるだろう。しかし、拒否はされなかったようだ。職員に面会室へと案内される。


 初めて見たSは、年相応の初老の人物だった。猜疑心と卑屈さと虚勢がごちゃまぜになった目を向けてくる。


 簡単な自己紹介。


 人にもよるが、別に相手を責めるような口調や態度でなければ、大抵は「ああ、保証会社の人ですか」となる。できるだけ自分の事、相手の現状について事実を淡々と述べる。一方的に話をしない事も大切だと思う。


 だがそんな配慮は無用で、Sは逆に一方的に話したがる人物ではあった。


 自分は無実である事。警官の脅しに屈して罪を認めた事。自分には政財界の大物の知り合いが沢山いること。なぜなら**大学の卒業生だから。


 どう努力しても話半分にも聞けない事を延々と話してくるが、面会は時間無制限ではない。現時点で部屋の契約は解除されており、立ち退かないのならば明渡訴訟が提起される、どうするのか? と質問。

 部屋の荷物は当社で処分しておいてもいいと補足する。


 後1ヶ月半で裁判も終わり出られるから、そこで明渡しをするというのがSの希望だ。


『わかりました。部屋は明渡します。荷物は処分しておいてください』

 この回答を面会10分で引き出せればベストだったが、相手あっての仕事なので仕方ない。


 1ヶ月半という長さは正直キツいものがあるが、賃料4万ならば、さほど数字に響くものでもないからと自分を納得させる。


 明渡や家財道具を処分する事に同意する書面と封筒・切手と名刺を差し入れる事にして面会を終了した。

 書面は郵送で送ってくれと言い残す。釈放されたらかならず連絡するようにと釘を刺す。国選弁護人も判明したし、ここでこれ以上の進展はない。



 だが、裁判があると言っていた。とすれば起訴されたという事?

 ではW署から拘置所に送致されるのだろうか? しかし最近は起訴されても警察署に拘留され続ける事も多いというが……まあ、その辺は別に私は詳しくないし、関係の無い事だ。


 第一、Sの話をまともに聞くのが間違いだとは、10分程度の会話で理解できた。


 東京地検特捜部がSを調べていると言っていた。そんなわけないだろ。

 誰でも知ってる**党の大物代議士Bと大臣経験者Aに連絡しているといっていた。同じ大学出身だから。……有り得ない話だ。


 国選弁護人に連絡し、実際いつ釈放されそうかだけ確認。

 もちろん、賃貸物件の事など国選弁護人は関知してもくれないので、世間話のように話す。詳しく教えてはもらえなかったが、1ヶ月半後なら釈放されているかもしれないという話だった。


 後は待つだけ。それだけだった。しかし、状況は変化していた。


 W署からは移送されていた。どこにかはわからない。教えてもらえない。国選弁護人は辞任していた。


 通常、国選弁護人は私選弁護人を被疑者が見つけないと辞任できないと聞く。Sにそんなカネがあるわけがない。だが、とにかく、辞任していた。


 相変わらず部屋への出入りの痕跡はない。


 日付は数日前に11月へと入っていた。さて、振り出しに戻ったか───どうする。


 帰宅のない様子なのだから、やはり撤去する事が一番望ましい。それで部屋の明渡が終わる。訴訟なら、まだ良い。時間はかかるがいずれは強制執行となる。


 様子見が一番面倒くさい。単なる解決の先送りになりかねないからだ。

 しかし賃料帯が安いと社内的な事情で訴訟へのハードルが上がり、様子見せざるを得なくなる。


 前述したように、訴訟費用も保証会社が負担するのだ。

 例えばあなたが弁護士へ明渡訴訟を依頼するとしよう。少なくとも40~50万円くらいは明渡訴訟のみで必要になる筈だ。強制執行を執行するなら更に費用が必要だ。


 もちろん大抵の家賃保証会社は弁護士事務所と契約しているので一般の人と同じ額ではないが、それでも訴訟には結構なカネがかかる。


 家賃50万のマンションならそうそう様子見はできない。延滞額が大きくなりすぎる。早期に訴訟して解決するかどうするかの結論を求められる。だが家賃4万なら、別に様子見したって会社としては大したダメージでもない。


 どこかで本人とコンタクトを取れて、明渡に同意するかもしれない。それなら、訴訟費用は不要になる。


 方針は様子見、そしてSが戻ってこなければいずれ撤去して終了かな──と考えた翌日、隣家に住んでいる家主からの連絡があった。Sが訪ねてきたというのだ。


 あの部屋で居住を続けると主張してきたというのだ。


 家主には以前から、Sとは会話をするな、後は私と話してくれと伝えるだけでいい、と諭していた。Sから私へ連絡があったのはその夜だった。


 行き先もカネもない。11月末まで居させて欲しい。

 その後、有名代議士へカネを頼んでいるだのA前大臣へ連絡をしているだの言っていたが、もちろん戯言、妄想だろう。とにかく行き先もないという事だけはわかった。


 2日後。


 真っ暗。カーテンを開けようにもゴミの山のために窓にも近づけない。懐中電灯で照らして室内を確認する。


滅多にお目にかかれないレベルのゴミ屋敷。ゴミの山の上に布団がある。──こんな所で本当に寝られるのか?


 水道も停止しており、トイレは糞尿が流されていない。ひどいにおいだ。


 壁には往年のアイドルではなく、AKB48等のアイドルの雑誌からの切り抜き写真が貼ってある。ダンボールは部屋の隅へ固められている。開いた部分からアイドルやアニメキャラクター、といってもエロゲーだが──の笑顔がこちらを見ている。

 60歳を越えた人間の部屋に、だ。

 どういう趣味なんだよ、とため息が出る。


 Sは室外に立って、年配の同僚と話をしている。

 18時。もう冬の気配もあり、陽が落ちるのが早い。


 2日前の電話口で最初はまた、自分が如何に優秀な大学を卒業したか。政財界の名だたる有力者と知り合いなのかを、聞いてもいないのに延々と喋りまくっていた。だから、すぐに払えると。住み続けると。公衆電話からの電話で主張し続けていた。


 病名は知らないが、何かの病気だ。酔っ払いの戯言よりも空疎な言葉の羅列。


 ほぼ無視して、Sが選択し得る道筋を簡単に伝えた。そして今回の件の進路を確定させていた。


 転宅を福祉課に申し出させる、という事も考えたが、住宅扶助を支払わず退去しなければならない場合、通常シェルターに一時的にせよ入居させられる。いきなり別の物件への転宅を認められるケースは多くない。

 そして、仮に別の物件への転宅を認められるにせよ、普通の人と同じように不動産屋に行き部屋探しをせねばならない。


 たぶん、Sに時間を与えても無意味だ。


 もちろん、行き先もないのにただ出て行ってくれ、だけでは、応じないだろう。

 だからこちらで行き先も確定させる必要があった。


 結論を書く。施設へ転居してもらう。


 驚くべき事に、施設に行くのは同意したが、荷物の処分を拒否した。

 壁に貼り付けてあるアイドルの写真や雑誌、DVDは必要だと。

 だから、当社が委託する業者で保管しておく事を条件に退去に応じた。


 施設は個室だが、4畳間くらいの部屋だ。余分なものを持ち込む事はできない。施設には当面必要な物だけもっていってくれと事前に話をしていた。


 暗い部屋の隅にゴミに混じって積み上げられていてわかりにくいが、雑誌やDVDといっても結構な量だった。

 後日の室内撤去作業の際にまとめると、中型ダンボール30箱分だった。そんなに量があるとは思ってもいなかった。


 いや、Sにとってはこのアイドル写真やエロゲー類こそが、全財産なのか。


 室外に届く声でどれが必要なのか質問する。


 部屋もそうだがS自身が臭いので、接近はしたくない。なるべく離れた位置から確認してもらう。


 撮影しながら部屋の見取り図を書き、保管しておくものをペンで書き込んでいく。

一応書いておくが、普通はこんな手間はかからない。

 撤去や処分なら全部。これを残す、とかなら退去前に持って行ってもらう。そんな余裕を与える事ができない相手がSだった。


 念のため──ここまでのゴミの量では、可能な限り希望したものは保管するが、漏れは発生するだろうと念を押す。全部ゴミじゃないかと思いながら……。


その『施設』はY県にある。



 部屋代と食費は必要となるため生活保護申請を現地自治体で再度行う必要がある。

だがその施設スタッフもプロフェッショナル。必ず受給させられる。そして、支給まで費用も取らない。


 支給されたら部屋代と食費を徴収する。


 風呂トイレは共同だが、個室は用意されている。既に施設には入居の話をつけてある。


 車でI駅まで送るため、Sの部屋で待ち合わせたのだ。

 同時に、荷物の撤去のため室内の写真を撮影する必要もあった。そうでなければ撤去のためにどれくらいのトラックや人員が必要なのかわからないからだ。


 施設は地元の土建ボスが作ったらしい。元々は老人ホームだか独身寮だったそうだ。それがある時点で今の形態へ変わった。詳しい経緯は知らない。赤字で無いことは確かだろうが。


 入所者の多くは元受刑者と聞いた事がある。

 長い服役を終えた彼らはスマホも知らなければ、今の日本社会の常識も知らない。とても現代に適応できない人間も多い。

 必然、生活保護者とならざるを得ない。ただ、申請の方法もしらないし、ライフラインの契約など、常識的な手続きすらできない人もいる。


 そして、Sのような人間もどこからかやってくる。


 前述したように部屋は個室。綺麗だし、3食出る。

 生活保護受給までのサポートも行う。そこから転居先を探すのも自由である。


 これを弱者ビジネスと非難する事は私にはできない。


 TVでセンセーショナルに報道される生活保護受給者を食いモノにする悪徳施設とは程遠いからだ。もちろんそういう悪徳施設は、どこかにあるのだろう。

貸金業にもヤミ金もあれば1部上場企業があるように。


 私は消費者金融で10年くらい働いた。小さなサラ金と、大手と。

 少なくとも借金を払えない女性を風俗送りにしました、なんていう社員を見た事はない。


 話を戻そう。

 世の中には想像を絶する程に、常識的な行動ができない人がいる。

 そういう人間のためには、たぶんこういう施設や行政の外で活動する組織が必要なのだと思う。


 施設までは、私に時間が無かったため同僚に付き添ってもらった。


 Sの状況でいまでも不思議なのは、何点かある。

 まず、T県W市に部屋を「もっていた」と漏らした事。

 そこを失ったから釈放後O市の部屋へ戻らざるを得なくなったと言っていた。


 間違いなく、私が担当したO市では生活保護を受給しているのだ。


 生活保護受給者がセカンドハウス? 本当に部屋が2つある?


 ただ、私は福祉課職員でもないし、不正受給を摘発する人間でもない。

 家賃保証会社の社員だ。自分の仕事を優先させる。それが正しい会社員だと信じている。


 相手が普通の人間なら詳しく世間話がてらに根掘り葉掘り聞いても良いが、Sはダメだ。不正受給の可能性など本題から逸れた話をして、部屋に居座る事になったら苦労が水の泡だ。


 気になる所ではあるのだが、諦めた。


 I駅への道中は私が運転し、年配の同僚が施設の説明を再度繰り返していた。

 安心感を与える人物なので、彼が話した方が効果的だ。


 食事も風呂もあり、外出の自由もある点を気に入ったらしく、「同じ大学卒業のY大臣」とやらから私と同僚宛に感謝状を出させると言ってきた。


 狂ってる。


 お気持ちだけ受け取っておきます、と伝えI駅で2人を見送った。


 1週間後、施設より当社へ連絡が入った。Sが逃げ出したと。

 たぶん、施設の人間から嫌われたのだろう。


 彼の行方は知らない。



 アイドルの笑顔が詰まったダンボールは、その連絡から3ヶ月後に処分した。

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