宮殿潜入(6)

「ポール、朝食よ。食べて」


 コンスタンスが食事を運んで来たのを見て、ポールは一瞬だけ喜んだが、すぐ真面目な顔になって言った。


「コンスタンス。どうもゆっくり食事はしていられないみたいだ」

「どうしたの?」

「国王陛下が、いまさっき、お出かけになった。早朝からリシュリュー枢機卿と会見する約束をすっぽかしてな」

「え!」


 リシュリューは昨夜のうちに、「明日の午前七時に出仕するので、拝謁賜りたい」と使者を遣わして申し出て、ルイ十三世はそれを許可していた。政務で急ぎの用件がある場合、リシュリューはよく早朝の出仕をすることがあったので、ルイ十三世は不思議に思わなかったのだ。だが、翌朝になってリシュリューが出仕する時間が近づくと、何の前触れも無く、ルイ十三世はどこかに出かけてしまったのである。さらに怪しいことには、国王専用の馬車を用いず、一頭立ての粗末な軽装馬車に乗っての外出だった。


 いまは午前六時半だ。会見の時間まであと三十分しかない。

 リシュリューが、ルイ十三世からマリー太后の一派を逮捕する許可を得ることができなければ、近衛銃士隊は出動できないのだ。


「ポール、早くお父様のもとに走って。このことを知らせないと」

「いや。陛下がどこに向かわれたのかまで調べないとだめだ。俺はいますぐ陛下の後を追う。シャルルが市場で手に入れた駿馬で飛ばしたら、追いつけるだろう」

「あなたは深手を負っているのよ。絶対に無理はしないで」

「分かっている。危険な目に遭いそうになったら、ちゃっかり逃げるさ。俺は『狡猾ポール』だからな。親友を見殺しにした……」


 ポールはそう言うと、自嘲するように「へへ」と笑い、コンスタンスに背を向けて、仮宮殿の庭に出ようとした。こっそり庭園の木に自分の馬をつないでいたのである。


 だが、急に背中に感じた人間のぬくもりに、ポールはハッと立ち止まった。


「『親友殺し』って言われたこと、まだ気にしていたの? ポールは本当に弱い人ね。最後には怒るわよ?」


 ポールは、自分の肩に置かれたコンスタンスの手をぎゅっと握った。


「天使みたいに優しいコンスタンスを怒らせるなんて、俺って奴は……」

「私じゃない。アドルフさんたちが怒るのよ。アドルフさんは言っていたわ。『ポールは永遠の友情を誓った仲間だ』って。そのポールが、いつまでもそんなことを言っていたら、アドルフさんも、アランさんも、ボドワンさんも、きっと怒るわ」

「……ごめん。ありがとう」


 今度こそ、ポールは庭に飛び出した。無事に任務を果たしたら、コンスタンスを真正面から抱き締めようと決意して。


 あれはイタリア遠征からパリに帰還した日。弟のシャルルがパリの街にやって来る前日のことだ。ずっと求愛をし続けていたコンスタンスを後ろから抱き締め、彼女は拒絶しなかった。あの日から十日以上経っているが、奥手のコンスタンスが恥ずかしがるため、二人が互いのぬくもりを感じあえたのは、さっきの抱擁を含めて三度だけなのである。二人の想いが初めて重なった日が一度目、仲間を失って意気消沈したポールをコンスタンスが慰めた夜が二度目、そして、さっきの後ろからの抱擁が三度目だった。


 ままごとのような幼い抱擁をしたり、手を握り合ったりするだけでなく、もっと恋人らしいことをしたい。そのためにも、俺は意地でも生き残ってやる。ポールはそう心に決めた。


 ――何だ、お前。『狡猾ポール』と言われたぐらいで、落ち込んでいるのか。


 ――それが君の持ち味なのですよ、ポール。


 ――銃士隊は熱血馬鹿ばかりだからな。お前みたいに要領のいい奴は、一人ぐらい必要さ。


 アドルフ、アラン、ボドワン。生前、友たちがポールにかけてくれた言葉が蘇る。


「俺には、俺の生き方があるんだ!」


 ポールは馬を走らせ、国王ルイ十三世の馬車を追った。







 身動きが取れない。

 シャルルとアトスは、リュクサンブール宮殿の広大な庭園内にぽつりとある、花壇の花々の中に埋もれていた。


 あたりが白んできて、もう間も無く日が昇りそうになったとき、


(このまま馬鹿みたいに廊下で見つかるぐらいなら、一か八か、近くの庭園の茂みに身を潜めよう)


 と、二人は衛兵のわずかな隙をついてこの花壇まで走ったのである。


 そこで、夜が明けた。


 花がたくさん咲き乱れているおかげで、ここは予想以上に見つかりにくい。だが、ちょうど庭園から宮殿の建物に入る通り道にあるため、花壇から一歩も外に出られないのだ。シャルルとアトスの目の前を絶え間無く衛兵や侍女、召使が行き来していた。


(ここに隠れたのは、失敗だった……)


 シャルルは後悔したが、後の祭りだ。いつもは冷静なアトスも、この状況にはさすがにいらいらしてきたらしく、ぎゅっと下唇を噛んでいる。シャルロット救出以前に、自分たちがこの宮殿から脱出できるかも怪しくなってきた。


「ああ、今日は素敵な一日になりそうだ」


 また一人、鼻歌混じりで花壇の前を通ろうとする男がいた。ただし、衛兵や召使ではなく、豪奢な服を着た貴族らしき人物だ。


(ずいぶんと呑気そうな奴だぜ)


 年のころは兄のポールと同年代ぐらいだろうか。茄子のように細長い顔、ひょろりとした身体つきで、全体的にひ弱そうな印象である。


 そのまま鼻歌とともに通り過ぎるかと思ったが、彼はふと花壇の前で立ち止まった。


「ふむ。腹が痛くなってきた」


 などと独り言を言いつつ、何やら下半身をごそごそし始める。


 もしかして、とガスコンの少年二人が嫌な想像をした直後、シャルルとアトスの顔の前に、お尻がぷりんと突き出された。

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