百合の烙印(3)
十四も年の離れたアンヌ王妃とコンスタンスだが、容姿が似ていることもあって、他の侍女たちには仲睦まじい姉妹のように見えた。ただし、姉がコンスタンスで、ずっと年上のはずの王妃が妹である。
まだ少女時代の延長線上にいるような王妃は、侍女たちにわがままをしょっちゅう言う。それは結婚しても夫の愛を得られず、妻になりきれていないことが大きな原因かも知れないが、王妃付きの侍女たちは、まるで童女を相手にするかのごとく仕えねばならなかった。
アンヌ王妃のもとに初めて出仕したときのコンスタンスは、それこそ童女と言っていい年齢だったが、生来備わった人間的温もりと包容力で仕え、わずかな時間で王妃はコンスタンスに懐いたのである。愛に飢えて異国の公爵と恋に落ちたように、家族のような理解者が宮殿内に欲しかったために年下の姉を求めたのだった。
シャルルが王妃に拝謁したとき、外見に共通点が多いコンスタンスと王妃だが、二人の美貌はどうも種類が違うとガスコンの少年は感じたが、それは間違いではない。
十五歳のコンスタンスはこれからいよいよ蕾を開く未成熟な美しさだが、その内面は母親のような慈愛に満ちている。彼女のこの温かさにシャルルは恋をした。
二十九歳のアンヌ王妃はいままさに満開の大輪の花だが、その心は幼稚で、誰かに愛されたいともがき苦しんでいる子どものようだ。
そんな危うい王妃だからこそ、コンスタンスは我があるじを放っておけないと思うのであった。そして、王妃もコンスタンスを我が姉のように頼るのである。
「さあ、王妃様。お休みください」
何とかアンヌ王妃を落ち着かせて、泊り込みの侍女に寝所まで連れて行かせると、コンスタンスはベッドに眠るシャルロットの額をそっと触った。高熱である。
(子どもは病気に罹ったら、簡単に死んでしまう。何とかして、薬を飲ませてあげたいけれど……)
そうすると、やはり医者が必要だ。明日、知り合いの町医者にシャルロットの病状を話して、薬を調合してもらおう。私が仮宮殿にこっそり薬を持ち込めば、誰にも気がつれないはずだ。そうコンスタンスがあれこれ考えていると、知らぬ間にシャルロットが目を覚ましていた。
「コンスタンス。どうして、まよなかにいるの?」
「え? シャルロット、フランス語が話せたの?」
いままで、シャルロットが英語でしか話しているところを見たことがなかったため、コンスタンスは驚いた。拙い発音ながらも、しっかりフランス語を話しているのである。
「うん。おとうさまに、おしえてもらったの。でも、フランスのことばがわかるのは、みんなにはないしょ」
「あら、秘密なのね。だったら、どうしていまはフランス語を話しているの?」
「コンスタンスは、シャーロット(シャルロットの英語読み)をイジメないから」
熱のせいで焦点の定まらない目をコンスタンスに向け、シャルロットはたどたどしい言葉で答えた。
「シャーロットはね、こうみえても、まけずぎらいなの。キャサリンおばさんに、おまえのははおやは、わるいおんなだった、だからしんだのよっていわれて、まいにちケンカしていたの。なぐられても、ごめんなさいっていわなかったわ。くやしかったから。でも、さいごにはおいだされてしまって……」
そこまで話すと、シャルロットは少し黙った。辛かったことをたくさん思い出したのだろう。継母に虐待された毎日のこと、父が死んで屋敷を追い出された日のこと、ロンドンの街で家の無い貧しい兄妹とともに物乞いをして、ときに食料をめぐって喧嘩をした日々のこと……。
「ことばがわかるから、ケンカになっちゃうの。だから、フランスにいったら、ことばをわからないふりしようって。いやなことをいわれても、ニコニコ、おばかさんでいられるもの」
「シャルロット……。でも、王妃様はあなたを可愛がってくれているでしょ?」
「おうひさまは、シャーロットじゃなくて、おとうさまをあいしているんだわ。シャーロットをだっこするとき、『ジョージ、ジョージ』って、なくんだもの」
アンヌ王妃がシャルロットを保護したのは、亡き愛人バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズを偲ぶよすがとするためである。そのことを幼いシャルロットは、敏感に察していた。
「シャーロットのおともだちは、コンスタンスとシャルルだけ」
「シャルロットったら、シャルルさんのことを気に入ったのね」
コンスタンスがアンヌ王妃のもとに出仕するたび、シャルルに会いたいと英語でコンスタンスにせがむのがシャルロットの日課だった。
「うん……そう。だから……」
また眠たくなってきたらしく、シャルロットはうとり、うとり、まどろみ始めた。
「お休み、シャルロット。いつかきっと、シャルルさんと会わせてあげるわ」
コンスタンスは、眠りに落ちたシャルロットの頭を優しく撫でた。この子の幸せは、パリの宮殿内で見つかるのだろうか。この国の王に知られてはならない秘密の存在として。
「あ! お、お待ちください!」
王妃の寝所から、女たちの慌てふためく声がした。大きな音も二度、三度と聞こえてきて、コンスタンスは思わず身構える。
何ごとだろう。コンスタンスはベッドから離れ、王妃の寝所に向かおうとした。しかし、彼女の目の前に驚くべき人物が現れ、コンスタンスはぎょっとする。
国王ルイ十三世が、ベッドに眠るシャルロットを血走った目で睨み、「汚らわしい、汚らわしい、汚らわしい」と狂ったように呟いているのだった。
翌朝、プチ・リュクサンブールのリシュリュー枢機卿の寝所には、トレヴィルとシャルルがいた。リシュリューの呼び出しに応じたのである。
「枢機卿の罠かも知れません。たった二人で敵の本拠地に出向くなど、危険すぎます」
銃士たちは敬愛する隊長代理の身を案じて、異口同音で引き止めたが、二十代の青年だったころからリシュリューに敵愾心を燃やすトレヴィルは、首を縦に振らなかった。
(来いと言われて、おめおめと逃げるのは、ガスコンではない)
半ば子どもじみた対抗心ではあったが、その枢機卿に対する負けん気が、トレヴィルをここまで登りつめさせたと言っても、過言ではない。
が、いざリシュリューに会ってみると、肩すかしを食らった。
「……よく来たな、トレヴィル君。げほ、げほ」
リシュリューは体調を崩して寝込んでおり、ベッドから起き上がることもできなかったのである。栗毛の馬に乗って決闘の場に颯爽と現れ、あの荒くれジュサックを殴り倒した威風堂々たるリシュリュー枢機卿とはまるで別人のようだとシャルルも驚いた。
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