2-3-05

 外は曇天で、しかも展示会場には窓がないから、照明が落ちると暗闇とまではいかないものの、リエンの周囲に突然闇が訪れた。

 みんなの動きが止まったのは一瞬で、真っ先に動いたのはリーリンだった。

 舞台を飛び降り、大きく跳躍するとカレヴァの懐に一気に入り込んだ。

 リーリンは両手の鞭をカレヴァの体に巻き付け、身動きを完全に奪ってしまった。

 そのとき、カレヴァの頭上のライトが一つだけ灯った。

 その光は煌々とカレヴァを背後から照らした。丸いスポットライトの中に、カレヴァの影が舞台の方に向かって、くっきりと浮かび上がった。

「みなさん、あとは頼みました!」

 ほたるはリエンたちを振り返ってそう叫ぶと、ゴーグルと手袋を脱ぎ捨て、舞台下へ跳躍した。カレヴァの影にひざまずき、腕を伸ばす。

「なるほド。そういうことカ」

 カレヴァが身じろぎする。

 リエンはフィフィとダオを振り返り、叫んだ。

「みんな、カレヴァの動きを止めて! 絶対に動かしちゃダメ!」

 リエンたちがいっせいにキーボードを叩く。

 そして、ほたるはカレヴァの影の中に右手を差し入れた。

 まるでそこが水面であるかのように、影はほたるの腕を難なく飲み込んでいく。

「京ちゃん!」ほたるが影に向かって叫ぶ。「京ちゃん! 聞こえたら、手を掴んで! お願い!」

 アイノも舞台を降りて、ほたるのそばに駆け寄る。

「お願い! 京ちゃん!」

 ほたるの表情が変わり、ぐっと腕が影の中に引きずり込まれる。

 アイノがほたるの腕をつかむ。

 ほたるとアイノは全身の力で影の中にいる何かを引っ張り上げた。

 ずずずずずと、異様な音を立てて、影の中から若い男が引き上げられていく。その男の体に小さな女の子がしがみついている。

 とうとう若い男と女の子は全身が影から抜け出て、床の上に転がり込んだ。

 ほたるがふたりを受け止めて、抱きかかえるようにしてしりもちをついている。

「いつつつつ」

 若い男が頭を抱えて呻いている。

 女の子の耳はエルフのように尖っている。ということは、この子がメサで、若い男が右京だろう、とリエンは見てとった。

「ほたるさん! アイティ!」ふたりの姿を見て、メサが叫んだ。彼女は右京と違って平気なようだ。きょろきょろとあたりを見渡している。「えーっと。ここはいったい? うわわわ、兄さん!」

「メサ、説明はあと。あれがカレヴァの無限級数遅延トリガーよ」アイノが少し離れた場所にあるアニメのキャラクターの人形を指さした。豹の姿に擬人化した女の子のキャラクターの人形が、よく見ると、空中に浮かんでいる。「収縮させて!」

「な、なんだかよくわかりませんけど、わかりました!」

 メサが人形の方に手を伸ばして、「ううううううう」と唸りはじめ、そして叫んだ。

「てやーっ」

 ことん、と人形が床に落ち、「ちッ」というカレヴァの舌打ちが聞こえた。

 リエンはキーボードを叩く手を止めて周囲を見渡した。

 まだ、空間が正常に戻ったという感覚はない。

 ざざざざざ、という音とともに、散らばっていたカラスたちがカレヴァのもとに集まっていく。

 リーリンがとっさに飛びのくと、カレヴァの体をカラスたちが覆い、その体を完全に隠してしまった。

 そして、カラスたちが飛び去ると、そこにはもうカレヴァの姿はなかった。

 終わった……のかな。

 リエンは、ほっと息を吐いた。

 いえ。なんとかしのいだ、というところだろう。

 ノートパソコンを閉じて、リエンは両手を握りしめた。

 指が痛い。

 ふと横を見ると、フィフィとダオもほっとした顔をして、椅子に体を預けている。ふたりはリエンに向けて親指を立てた。

「通常の空間に戻るまでまだ少し時間があるわ」リーリンがみんなに告げる。

 リエンたちも立ち上がって舞台から降りると、まだ座り込んでいるメサと右京、そしてほたるのもとに駆け寄った。

「ほたる?」

 ようやく顔を上げた右京に、ほたるはうなずいた。

「お帰り、京ちゃん。お帰り、メサちゃん」

「ほたるさん!」メサがほたるに抱きついた。

「よく無事だったね。京ちゃんを守ってくれてありがとう」

「えへへへ」メサが嬉しそうに笑う。

「大丈夫だった? どこも怪我してない?」

 尋ねるほたるに、メサは答えた。

「大丈夫です! エルフは負けないのです!」

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