2-3-02
舞台裏に設けられた控え室に、十二人の新人作家たちが出番を待っていた。
明日の本番に向けたリハーサルがこれから行われようとしている。
パイプ椅子に腰かけ、同じ国の人間や、こっちで新たに知り合った者同士で談笑している。みな各々、手にはノートパソコンを持っている。今回のイベントでは、それぞれがサイトにログインして、観客を巻き込んだ様々な企画を実施することになっていた。
リラックスしたムードのなかで、フィフィは緊張していた。ダオとリエンに注意を向ける。彼らも落ち着かない表情で周囲に視線を走らせている。
フィフィはライダースジャケットの胸ポケットに刺した黒い羽根に手を当てた。
◆
「これを身につけて」
リーリンから手渡された黒い羽根を見て、フィフィはいった。
「これは?」
「おそらく、カレヴァは特殊な空間を作り出すはずです」ソファに座っているダオとリエンにも同じものを手渡しながらリーリンがいった。「そこでは時間の流れが限りなくゼロに――まるで時が止まっているかのような状態になります。でも、これを身につけていればその効果は及びません」
――本物のエルフに会える。
その言葉にフィフィたちはあっさりと篭絡された。中学生の時に指輪物語をはじめ、いろんなファンタジー小説を夢中になって読んだフィフィにとって、エルフはずっとあこがれの存在だった。どうやらほかのふたりも同様らしい。リエンなどは「あ、あの。ほ、本物ってことは、エルダールですか? それとも上のエルフ?」と、マニアックな食いつき方をしていた。
そのあと、羽根を手渡したリーリンにダオが尋ねた。
「その、特殊な空間が出現するときは、俺たちにもわかるのか」
「わかります」リーリンがうなずいた。「そのときが来れば」
◆
「あ!」
控室に置かれたテーブルの上の飲み物に手を伸ばそうとした女性が、側にいた男性とぶつかった拍子に、飲み物の入ったコップが倒れた。中に入った飲み物がこぼれ、コップがテーブルから落ちて――。
フィフィは思わず息を飲んだ。
空中でコップの落下速度がくくくくっと弱まり、テーブルと地面のちょうど中間くらいの位置で静止した
これか。
突然、舞台の表の方からざざざざざ、という音が聞こえてきた。
ダオとリエンと顔を見合わせる。
始まった。
ダオが椅子を蹴って、舞台袖の方へ駆け出す。
フィフィとリエンも後を追った。
舞台袖から舞台へ出ると、舞台の中央には既にリーリンが立っていた。両手に鞭のようなものを持っている。
そして、舞台の向こう側、リーリンが見下ろしている観客席のある場所――今はまだ椅子は置かれておらず広いスペースが開いている場所をめがけて、大量のカラスたちが展示会場の複数の入り口から飛び込んできた。
さっき聞こえたのはこいつらの羽ばたく音だったのか。カラスたちのあまりの多さに呆然と立ち尽くしているフィフィは、自分の名を呼ぶダオの声で我に返った。
すでにダオとリエンは舞台上に並べられた椅子、その両端に座って、ノートパソコンを立ち上げている。フィフィは慌てて真ん中の席、リーリンの真後ろの椅子に座り、自分のノートパソコンを起動させると、『R⇔W』インターナショナルのHPを立ち上げた。自分の小説投稿用のページを開く。
すでにダオとリエンは猛烈な勢いでキーを叩いている。この状況の描写を始めているのだ。フィフィもリーリンの背中を見ながら、キーを叩きはじめた。
――舞台の上で、両手に鞭を持ち、たたずむリーリン。
その向こうには『トゥオネラ』のカラスたちが群れている。
今にも襲ってきそうだ。
でも、リーリンはたじろぐことなく奴らに対峙している。
奴らに対抗できる唯一無二の存在。
これまでも多くの敵を葬り去ってきた無敵の戦士。
鳥撃ち。
今も彼女は不敵に笑みを浮かべる。
リーリンがちらっとフィフィを振り返った。
「来るわよ」
◆
「実際に――物理的に戦うのはあくまで私だけです。皆さんには、別の戦い方をしてもらいます」フィフィたちに羽根を渡し、再びソファに座ると、リーリンはいった。
「別の戦い方?」リエンが首をかしげる。
「あなたたちがいちばん得意なもの。小説を書いてもらいます」
事情が呑み込めないフィフィたちに、リーリンが告げる。
「生身の人間では『トゥオネラ』の力には決して勝てません。でも、唯一、彼らに対抗できる力があります。それが物語の力、物語を想像する力です。彼らが持っていないもの、彼らに最も影響を与えるもの、それが想像力、そして最も強い力を持っているのが、物語を想像する力です」
リーリンは文庫サイズの本をジャケットの内ポケットから取り出した。表紙には何も記載されていない、かなり古い本のようだ。
「これは私たち一族に伝わる『トゥオネラ』と戦う際に用いる『物語』です」ページを開くと、リーリンは読みはじめた。
「鞭がしなる。複雑な軌道を描くカラスたちを鞭は着実に打ち据えていく。一羽、また一羽。奴らの鋭いくちばしも、鋭い爪も、『鳥撃ち』に触れることはできない。どんな鳥も、どんな力も、決して『鳥撃ち』を傷つけることはできないのだ」
リーリンはぱたんと本を閉じた。
「私がカラスたちと戦うときに読む物語です。もちろん、相手の力が強ければ、ここに書かれているとおりになるとは限りません。物語は『トゥオネラ』に対抗できる力ですが、書かれたものがすべてその通りになるわけではない、あくまでも補助的な力です」
ダオが口を開く。「なんとなくわかった。つまり、あんたが奴らと戦うときに、俺たちはその状況に沿った小説をその場で即興で書いていく、あんたの力になるような内容の小説を。そういうことか」
「まったくその通りです。さすが、見込んだだけのことはあります」
リーリンの言葉に、ダオはにやっと笑った。
「この本に書かれていることはどのような状況でも対応できるよう具体的な描写はそぎ落としています。ですので、効果を出すために朗読しなければなりません。でも、皆さんにはより具体的な内容のものを書いてもらいますから書くだけで大丈夫です。ただ、声に出せばそれだけ効果が上がることを覚えていてください」
フィフィたちがうなずいた。
「あの」リエンがいった。「私たちよりももっと上手な人たちがいると思うんですけど」
「もちろん。でも、これまで私が話した内容を信じて協力してくれるような人はそうそういないと思いますよ」
リエンが納得したようにうなずいた。
「でも、あなたたちと一緒に戦う味方はいます」リーリンが立ち上がって奥の扉を開けた。
◆
突然カラスたちが左右からリーリンに襲いかかってきた。
慌ててフィフィは文字を打ち込む。
――防ぐ!
リーリンは両手の鞭をしならせて、カラスたちを薙ぎ払っていく。
――リーリンは次々とカラスたちを薙ぎ払う。
強い。
一羽たりとも彼女に触れることさえできない。
複雑な軌道をとって鞭がカラスたちを打ち落としていく。
舞台の上に、次々とカラスたちが落ちていく。
フィフィがリーリンの動きをサポートし、ダオとリエンがカラスたちの動きを封じるような描写を行っている。
カラスたちはいったんもといた観客席の方へ引き上げていく。
フィフィは詰めていた息を吐きだす。
これは思っていたよりも難しい。
とっさに言葉が出てこない。
考える前に指を動かさなければ間に合わない。
でも。
これはいい。
これは文章を操る者にとって、とても甘美な体験だ。
夜のジャカルタの町をバイクで走るよりもスリリングだ。
思わずフィフィの口元が緩む。
「安心するのはまだ早いわよ」
まるでこちらのことが見えているみたいに、向こうを向いたままリーリンがいった。
カラスたちが一か所にまとまり、まるで黒い山のようなものを作っている。
それは人一人分くらいの大きさになって――。
再び羽ばたき始めたカラスたちの山の中から、人影が現れた。
真っ黒なフード付きのパーカーを目深にかぶり、黒いパンツに黒いブーツ、全身黒ずくめの人物がカラスたちの中から一歩こちらに踏み出した。
こちらを見上げたフードの中には少年の顔があった。目元には濃いアイライン、パープルのルージュ。それらが違和感なく、少年の無表情な顔に調和している。かなりの美形だ、とフィフィは思った。
「来たわね。カレヴァ」
リーリンがいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。