1-4-04
「ということは、アイノさんもエルフなんですか?」
俺の質問に、玉ねぎをみじん切りしていたアイノさんの手がぴたりと止まった。
「右京さん。一応いっておきますが、『向こう』の世界というのは、エルフが住む世界ではありませんよ」
チン! という音とともに電子レンジが止まった。
「そうなんですか」俺は、残り物のご飯を電子レンジから取り出しながらいった。
「はい。それと、私は生物学上は完全に『こちら』の世界の人間です。『こちら』で生まれる前の、『向こう』での記憶を保持しているというだけです」
「アイティは、『向こう』から『こちら』に転生してきたのです。いわば、ラノベ主人公なのです」こたつに入り、スプーンを握りしめて、既に食べる準備万端のメサが得意げにいった。
「ですから、ヨシカさんのお店でいったことはすべて本当です」アイノさんがいった。
「じゃあ、メサは?」
「メサが『こちら』に来てから、まだ一か月くらいですね。メサは私と違って、この姿で『向こう』から転移してきました。さっきもいったように、『向こう』は別にエルフの世界というわけではありません。『向こう』の人々の形は定まっていません。どんなものにでもなれる、あらゆる可能性が存在している世界ですから。たまたまメサがその姿を選んだというだけのことです」
「私、『向こう』にいるとき、ウキョウさんの小説を読んで、ファンになっちゃいました。アイティがシンイチローからウキョウさんのことを聞いて、『向こう』にいる私に教えてくれたんです。それから私は『R⇔W』に投稿されているウキョウさんの小説を読みました」
「『向こう』でも『こちら』の小説が読めるのか」
「はい。『こちら』で作られたありとあらゆる小説や物語は『向こう』につながっています。それらが『鳥たちの道』を形作っているのです。『R⇔W』の小説を読んだあと、ウキョウさんが初めて書いた小説も読みました。私は、それで、ウキョウさんが初めて書いた小説に出てくる姿にしたんです」メサが微笑んだ。「私、『雪の魔法使い』、大好きですよ。ウキョウさん」
「そっか」俺はキッチンからメサを振り返った。「ありがとな」
「えへへ」
アイノさんが玉ねぎを炒めているあいだ、俺は玉子を割って溶きはじめた。
「じゃあ、それ、いったんお皿に移してください」俺はアイノさんにいった。
アイノさんが半透明に炒めた玉ねぎを皿に移しながらいった。「私は小さな赤ちゃんの姿で『こちら』に転移してきました。四十年前のフィンランドに。大きな質量をこの世界に転移させることはとても難しいからです」
「ウキョウさん、知ってましたか? この世界に存在する元素の数は決まっていて、勝手に減らしたり増やしたりできないんですよ」メサがいった。
「質量保存の法則だろ」俺は玉子をフライパンに流し込み、そこにご飯を加えてさくさくと炒めはじめた。
「その通りです! さすがです!」振り返ると、メサが体を揺らしている。「ということは、ラノベに出てくるみたいに、どしどし異世界へ転移したりできないってことなんですよ。困りますよね」
いや。別に困りはしないけどな。
「じゃあ、どうやって『向こう』から『こちら』へ?」俺は隣でお盆に器とスプーンを用意しているアイノさんに尋ねた。
「転移させる物質と同じ質量の反物質を用意して、こちらの物質を対消滅させたのです。ただ、それだけの反物質を確保するのは大変です。『こちら』ではまず不可能です。あらゆる可能性が存在する『向こう』だからできることです」
炒めた卵とご飯に玉ねぎを加えてさらに炒め、鍋肌に醤油を回し入れて最後にざっと混ぜ合わせて、器に盛った。アイノさんがコンソメスープをカップに注ぐ。
お盆をこたつのメサのところまで運び、俺も座った。
「洗いもの、そのままで大丈夫ですから」俺はアイノさんにいって、こたつに座ってもらった。
「いただきます!」メサが目をきらきらさせて、チャーハンを食べはじめた。
アイノさんは俺の入れたお茶をひと口飲んだ。
「赤ん坊の姿で転移した私が『こちら』で拾われて、ちゃんと育てられたことは幸運でした。未来が揺らいでいる以上、転移先の時間と場所を絞り込むことは難しかったのです。私たちは、右京さんをめぐる一連の事象の中で、シンイチローさんがフィンランドへ来る確率が最も高く安定していることに着目しました」
「ウキョウさん、これ、すごくおいしいです」メサが猛烈な勢いでチャーハンを消費している。
「そいつはよかった」こいつの具は玉ねぎと玉子だけというシンプルな構成だが、うまく作ると絶妙の味わいとなるのだ。
「それに、『雪の魔法使い』の舞台もフィンランドです。ウキョウさんにとって、そこは何か意味がある場所なんですよ、きっと」メサはチャーハンをほおばりながらいった。
「私たちは、右京さんたちの感覚からすると、とても長いスパンの計画を立てていました。長い時間をかけて、右京さんと関係を築き、ゆっくりと説得していこうと」
メサはあっという間にチャーハンを平らげて、スープも飲み干すと、「ごちそうさまでした!」と両手を合わせた。「ふひー。おいしかったですー」
「ほら、また」とアイノさんが手を伸ばし、メサのほっぺたについていたご飯つぶを取った。
「お弁当持って、どこ行くの?」メサは首を傾げた。
「うん。お前が、な」
「えへへ」
「でも、状況が変わってきました」アイノさんが続けた。「物事は、想定していたよりも早く進行する可能性が出てきました。だから、『向こう』は新たにふたつの生体を『こちら』に転移させました」
「それが、私と、兄さんです」
「それは、俺が新しい小説を書く時期が早まるということなんですか?」
「それもありますし、右京さん以外の人たちが同じような影響力のある作品を書きあげる可能性が高くなってきたのだと思います。私も頻繁に『向こう』と接触できるわけではないので、すべてを把握しているわけではないのですが」
「俺以外……」確かにそれはあり得る話だ。というよりも、俺は未だに自分がそんな作品を生み出すことになるなんて信じられないのだが。
「メサも、メサの兄のカレヴァも、質量が大きいのにも関わらず、『こちら』に転移しています。それにはかなりの手間と労力がかかったはずです。それを実行に移したということは、状況は芳しくないとみるべきでしょう」
アイノさんはこれまで見せたことのない真剣なまなざしを俺に向けた。
「右京さん。気を付けて」
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