第1話
部下であり、護衛でもあるエルンスト・ウル・ホルクロフトが急に仕事を休んだ。
彼が急に休むことなど滅多にない。仕事は一段落していたので、何の問題もないのだが。
「街にでも行くか」
昨日、「頼んでいた物ができた」と連絡があり、エルンストと取りに行くつもりでいたのだが、仕方がない。
(エルに見極めてほしかったのだが……)
一人ごちて溜息をつき、街に行くべく、支度を整えた。
***
目的地は、薬屋の二軒先の鍛冶屋だ。親友のレオン――レオンハルト・ウル・ホルクロフトに
『エルに言って、多少なりとも武器を扱えるようにしておけ』
と言われたからだ。面倒だが、レオンが何か言う時は必ず何かある。
エルンストにそう伝えると、心得ていると謂わんばかりに頷かれ、どんな武器がいいか、どんな武器なら扱えるのかいろいろとと聞かれたのだ。
『では……少し短めのエストックと、護身用にスティレットを用意しましょう』
そういって、いろいろと手配をしてくれたのは、五日前だ。
それが昨日できたと連絡があったのだから、尋常な早さではない。
そんなことを考えながら歩いていると、薬屋の前のベンチでつらそうに座っている女性が見えた。栗色の髪と碧い瞳は見覚えがあり、そしてとてもよく知っている女性だ。
太陽の光が眩しいのか、帽子を目深に 被ってしまった。
(あれは……)
すぐさま近寄って声をかける。
「ルナマリア嬢?」
「あ……」
声をかけると、さっと俯かれてしまったが、よろよろと立ち上がって、挨拶をしてくれた。
「ごきげんよう、ジュリアス様。お久しぶりでございます」
「ああ、久しぶりだね、ルナマリア嬢」
彼女はルナマリア・ウル・ホルクロフト。
帝国一古い血筋であり、若き皇帝陛下の剣と盾、そして私の親友であるレオンハルト・ウル・ホルクロフトと部下のエルンスト・ウル・ホルクロフトの末妹だ。
「ルナマリア嬢、その声……」
彼女の声を聞いて、眉間に皺が寄ってしまった。いつも私を穏やかにさせてくれる声ではなかった。ルナマリアは一瞬悲しそうな顔をして俯いてしまう。
「あ……申し訳ございません。風邪を引いてしまいまして……。お耳汚しでしたよね……」
「違う! そんなことを言ってるわけじゃ……っ?! 危ない!」
ぐらりと体が倒れそうになったところを抱き止めた。だが、その体が熱いように感じてルナマリアの額に手を添えると、かなり熱い。
「熱があるのか……随分高いな。すまない、無理をさせた。ルナマリア嬢、座って」
「……申し訳ございません」
ルナマリアを支えながら座らせると、その場をスッ、と離れた。熱があるとは言え、そんな潤んだ瞳で見られたら、理性が保てないと思ったからだ。
目が合った瞬間、照れ隠しで視線を横に外す。
まさかそれが、彼女を苦しめているとは思わずに。
「一人で来たのか?」
「いいえ、お兄様と護衛と……」
「ルナ、お待たせ。って、ルナ?! だいじょ……あ、ジュリアス様! 本日は申し訳ありませんでした」
ルナマリアにかけ寄ってくるエルンストを見て、内心ほっとする。
「急用で休むなんて珍しかったんだが、こういう理由だったんだな、エル。エルが一緒ならルナマリア嬢も大丈夫か。そういえば最近城でレオンに会わないが……」
「ああ、実は……」
ルナマリアに背を向けて二人で話し始めようとすると、その背後から声をかけられた。
「お話をするところ申し訳ありません。エル兄様、お薬をくださいますか? ギルと先に馬車に戻っておりますから」
とルナマリアに言われた。だが、見知らぬ男の名前をあげられ、一瞬表情を固くする。
「ごめん、ルナ。はい、これが薬だよ。中に飴が入っている。声のことを言ったらそれをくれたよ。本当は蜂蜜のほうがいいんだけど……薬屋のおばさんがそれを舐めてって言ってたよ。ギル、頼んだよ」
「ありがとうございます、エル兄様」
エルンストの言葉に、薬屋の傍からひょい、と男が顔を出した。赤みかかった金色の髪にグレーの瞳。
服からして護衛とわかったが、男にしては線が細い。男……いや、女性か? どこかで見たことがあるような気がしてじっと見つめる。そして誰かわかると、内心で溜息をついた。
「ご無沙汰しております、ジュリアス様。わかりました、エルンスト様」
「はあ……エリザベス様……。最近城で見ないと思ったら、ホルクロフト家にいたのですか?」
「この格好の時はギルとお呼びください」
胸に右手を当てて腰を折り、騎士団の礼をして顔をあげると、にっこりと笑う。
本名はエリザベス・フォン・マーシネリアと仰る。若き皇帝、ライオネル・フォン・マーシネリアの、二番目の妹姫である。
実力で海軍や騎士団に入団できるほど武芸に優れた女性だ。エリザベスがどう頑張っても唯一勝てなかった相手が騎士団団長兼海軍提督でもあり、ホルクロフト家の長兄、レオンハルト・ウル・ホルクロフトの婚約者でもある。
「さあ、参りましょう、ルナ様」
「はい。それではジュリアス様、ありがとうございました」
エリザベス様、いや、ギルに支えられながら丁寧にお辞儀をして馬車に戻ってしまった。
つらそうにしていたが大丈夫だろうか……? 心配ではあったが、気持ちを切り替え、エルンストに話しかける。
「で、何があった?」
「ああ、先日の話に関連しているのですが……」
「じゃあ丁度いい。昨日注文の品が出来上がったと連絡があった」
私の言葉にエルンストは満足そうに頷く。
「では、一緒に取りに行きましょう」
「ルナマリア嬢は……」
「義姉上がいますから、大丈夫です。では、行きましょう」
歩きながらレオンハルトの状況を聞くと、かなり忙しそうだった。
「ただ、これは兄上の勘に基づいて動いているので、確定ではないのですが……」
そんな前置きをして教えてくれた話に、溜息しか出ない。
曰く、皇帝陛下や有力貴族を虐し、自分達が成り変わろうとしている一派がいる、と。
「今のところ、いつ、どのように仕かけられるかかわかりませんので、準備だけはしておけ、ということのようです」
「レオンハルトが言うのだから、間違いはないのだろうが……」
「『杞憂なら、それはそれで構わん』と言っておりますし、兄上なりに何らかの情報を掴んでいるのでしょう。なので、皇宮警備を、信頼の置ける者の配置などで奔走中のようです」
その話に思わず苦笑いになってしまったが、エルンストが「着きましたよ」と言ったので、その話はそこまでになった。
***
「では、これは私がきちんと装飾を施して参りますね」
「ああ、頼む」
「それでは」
「あ、エル! ちょっと待ってくれ! すぐ戻る!」
折しも薬屋の前だったので薬屋に飛び込む。目当ての物を買い、エルンストに紙袋ごと渡すと、首を傾げられた。
「ルナマリア嬢に渡してくれないか?」
「え?」
「蜂蜜なんだ。その……声が掠れていて、可哀想だったから……」
今思い出しても、とてもつらそうな声をしていて、胸が痛くなる。
「ありがとうございます! ルナも喜びます」
「いや、構わない。それでは、明日」
「今日は申し訳ありませんでした。はい、明日には必ず」
エルンストは馬車のほうへ、私は皇宮内の職場へ、それぞれ戻って行った。
「彼女は大丈夫だろうか……」
城に向かいながら彼女の病状を心配する。
初めて会った時も、具合が悪そうにしていた。あれはいつだったのだろう……?
護衛の気配に気づきながらも歩き、当時を振り返っていた。
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