わがヴィーン時代の一般的政治考察22

 こういう勢力に外部から戦うということは、勇気で身を固め、しかしまた際限のない犠牲を覚悟すべきであるということを意味している。それと同時に人々は牡牛を両角でつかみ、何度も猛烈な頭突きを受け、地面に叩きつけられることになるだろう。おそらく手足を折らなければ再び立ち上がれないに違いない。


 そしてその猛烈な格闘のあとに初めて勇敢な攻撃者に勝利が与えられるのだ。不撓不屈の精神が成功に原因になるまでは、ただ大きな犠牲だけが新しい闘争者として獲得するのである。


 しかしそのためには大衆に属する民族の子供たちが必要だった。彼らのみがこの闘争を血まみれになる最後まで戦い抜く決意と強靭さを十分に持っているのである。


 だがこの大衆は汎ドイツ主義を持っていなかった。そこで彼らは議会に入っていくよりほかに残された方法がなかったのだ。


 この決心を長い間心の内で苦しんだり、熟考したりした結果だと思うことは間違いだろう。否、彼らは他の方法をまったく考えなかったのだ。


 このような不合理に関与することは、誤りと認められている制度に自らも関与することであり、その意味と影響について明瞭にわかっていなかった考えの沈殿したものであった。


 人々は今や「全国民の集会場」を得たのだから、大衆の啓蒙が容易になると期待していた。


 また、悪の根源に対する攻撃は外部からの突撃よりも効果があるに違いないと思っていた。議員は不可侵権に守られているのだから、個々の闘志が強まり、そのために攻撃力も高まると信じたからだ。


 もちろん実際の事情は本質的には違ったものだった。


 汎ドイツ党の代議士がしゃべる集会場は大きくなるどころかかえって小さくなった。と言うのは各人がただ自分のしゃべることを聞ける範囲に対してだけ語り、あるいは新聞の報道によって演説の複写を読むものだけに限られたからである。


 だが、聴衆に対する最大の集会場は議事堂の講堂ではなく、公開民衆集会であった。なぜなら衆議院の議場には数百人しかおらず、しかもたいていはただ日当をもらうためにだけそこにおり、決して一人か二人の「民衆の選良」の知識で啓発されようとして、たまたまそこに来ているのではないのに、民衆集会には演説者が言おうとすることを聞くためだけに集まってきた数千という人間がいるからである。


 だがまず何よりも彼らが常に決してそれ以上覚えようとしない聴衆であり、必要な知識が欠けており、そのうえまたこのために必要なわずかな意志さえも持っていない同じ聴衆であるのだ。


 このような民衆は選良の中の一人といえども、真理に敬意を払い、さらにまたその真理に役立とうとするものは決していないだろう。いや、転向した場合今後の会期に置いても選出されうるという希望を託すことができる理由を彼が持っていない限り、誰一人としてそうするものはいないであろう。


 そのように今までの党が次の選挙に失敗しそうな気配が見えると、この男らしい誇りを持った者が動き出し、そしてもっとうまくいきそうな党や芳香に参加できるかどうか、どうすればできるか考えるのだ。その場合、この場合変更にあたっていつも豪雨のように道義的理由を述べるものである。


 だから現存の政党が民衆の機嫌を損ねて殲滅的な敗北を蒙ることが予想され、大崩れするように思われるといつも大転換が始まるのだ。すなわち、議会のねずみたちは党という船を捨てるのである。


 しかしこれはより良い知識や意図と関係するものでなく、ただ例の予言者的天文と関係するにすぎず、まさしくその天文がこのように議会の南京虫に正確な時を予告し、いつまでも他の温かい党というベッドへ入れさせてやるのである。


 こういう「集会場」で語ることは実際によく知られた動物に真珠を投げてやるようなものである。まったくの無駄なことだ! ここでは結果を得られることはない。


 そして事実そうだった。汎ドイツ党の代議士たちがのどがかれるほどしゃべったところで、効果は全然なかった。


 そして新聞も黙殺するか、その演説を断片的なものとして各々の関係はもちろんのこと、意味さえも歪められ、あるいはまったくの無意味とさえ、そのために世論がこの新しい運動の意図について非常に悪い印象しか持たなかったのである。


 個々人が勝ったことはまったくの無意味だった。人々が彼らについて書かれたことを読んだことのほうが重要だった。しかしこれは彼らの演説からの抜粋であり、切れ切れになっているためにただ無作為に作用したにすぎず、また無意味に作用しなければならなかったのだ。


 しかもその際彼らがそのとき本当に話した唯一の集会場は五百人足らずの代議士から成り立っていた。そしてこれだけで十分意を尽くしているのだ。


 だが、最も悪かったのは次の点である。すなわち、汎ドイツ主義運動はその最初の日から新党運動を問題としないで、むしろ新しい世界観が問題であると理解していたならばもっと成功していたのである。それだけでこの巨大な闘争を戦い抜くための内面的な力を奮い起こすことができた。しかしそのためには指導者としては最善の、そして最も勇気のある人物だけが役に立つのだった。


 世界観のための闘争が身を犠牲にする覚悟のある勇士にとって行われないならば、やがて死をも恐れない闘士はもはや見いだせなくなるだろう。ここでは彼自身の生存のために戦うものはもはや一般のために戦うという気持ちを失っているからである。


 しかし、この前提を満たすためには各人が新しい運動は後世のために名誉と栄誉をささげるものであるが、現代においては何も提供しえないということを知る必要がある。


 ある運動がたやすく得ることができるポストや地位を簡単に与えれば与えるほど、この政治的日雇い労働者がおさめていた党をついにその数で覆いつくすまで、多くの劣等者が入ってくるのである。


 すなわち、かつては誠実な闘士であったものが昔の運動を認識せず、新しく加入したものが彼自身を厄介な「不適任者」として排斥するにいたるのである。そしてこれとともにそういう運動の「使命」は終わるのである。


 汎ドイツ主義運動が議会に身売りするやいなや運動はやはり指導者や闘士の代わりに「議員」を獲得した。それとともに運動はありきたりの政治的な世間的政党の水準にまで下落し、運命的な運動に殉教者のような頑強さで対抗する力を失ったのである。


 戦うかわりに汎ドイツ主義運動はいまや「演説すること」と「討議すること」を学んだ。しかし新しい議員は間もなく議会的雄弁という「精神的」武器で新しい世界観のために戦うことが、必要な場合は自己の命を投げ出してその結末も不確かでいずれの場合も何も得ることがないような闘争に飛び込んでいくことよりも危険が少ないためにより美しい義務と感じたのである。


 さて、今や議席をもったので支持者たちは外部で素晴らしいことを望み、期待し始めた。もちろんそれは起こらなかったし、起こるはずがなかった。だからしばらくすると人々はじりじりとしてきたのだ。


 というのは人々が自分の代議士から聞くことができることは決して選挙人の期待に応じるものではなかったからである。これは容易に説明できることだった。なぜなら反対派の新聞が汎ドイツ党代議士のありのままの活躍の姿を民衆に伝えることを警戒したからである。


 しかし新しい民衆の代表者が国会や地方議会で「革命的」闘争のいくらか穏健なやり方に興味を持てば持つほど、彼らはますます民衆のより広い層に対する危険な啓蒙活動に戻る覚悟がなくなってきた。


 大衆集会というものは直接個人的であるからこそ真に効果がある影響を与え、この方法のみが大部分の民衆を獲得しえる唯一の道なのだが、それがもとで次第に後退していった。


 民衆集会の演壇から演説を民衆の代わりにいわゆる「選良」の頭に注ぎ込むために民衆集会の講堂のビールのでーぶるが決定的に議会の演壇と入れ替わるやいなや、汎ドイツ主義運動と民衆運動であることをやめ、多少ともまじめに学問的な討論をするクラブに崩壊してしまうのだった。


 したがって新聞によって伝えられた悪印象はもはや決して個々人の集会によって是正されることはなかった。そこでついに「汎ドイツ主義」という言葉は大衆の耳に嫌な響きを与えるようになったのである。

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