わがヴィーン時代の一般的政治考察17

 ハプスブルク王家は王位を失い、ローマは大きな国を失った。なぜなら王位が宗教的要素をその政治に用いたため、王位自体がはじめあり得ないと考えられていた精神を呼び起こしたからである。


 あらゆる手段で旧王国内のドイツ主義を根絶しようとしたことから、オーストリア内で汎ドイツ主義運動が起こってきた。


 前世紀の八十年代に、ユダヤ人の立場に立つマンチェスター派の自由主義がこの王国においても踏み越えたと言わないまでも最高潮に達した。しかし、これに対する反動は旧オーストリアではすべての場合にそうなのだが、まず社会的観点からではなく、国家的観点から出てきた。


 自己保存の衝動がドイツ人を最も鋭い形で守っていた。そして経済的にも徐々に影響を及ぼし始めてきた。


 そのようにして一般的な政治的無秩序から二つの党派が形成された。一つはより国家主義的な党、もう一つはより社会主義的な党であり、両者は将来のために興味深いものがあり、有益なものであった。


 一八六六年の戦争が敗北に終わった後も、ハプスブルク王家は戦場で報復しようとする考えを持っていた。ただメキシコでのマックス皇帝の死が――その不幸な遠征の原因を人々はまずにナポレオン三世に帰し、その凄惨な死がフランス人によってなされたことから激昂を呼び起こした――フランスとの提携を妨げていた。


 それにもかかわらず当時ハプスブルク王家は機をうかがっていた。一八七〇年および七一年の戦争があれほど比類ない勝利をおさめていなかったならば、おそらくヴィーン宮廷はザドーヴァの復讐のために流血の一戦を強行したかもしれない。


 だが戦場からのそれも、奇跡的な雄々しい報告が届いた時、全君主の中の「最も賢明な君主」は時機適せずと見てこの悪い賭けに対してできるだけよい顔を作ったのだった。

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