わがヴィーン時代の一般的政治考察4

 それにも関わらず『オーストリア』と言われる多民族組織はついに没落したが、これは決して古くからオストマルクにいるドイツ人の政治的手腕のせいとは言えず、時期を得た時にしっかりした前提を与えなければ、一千万の人間でもって種々の民族からなる五千万人の国家を維持することができないという避けえない結果であった。


 ドイツ系オーストリア人は大志を抱いていた。


 彼らは常に大ドイツ帝国の枠内で生活することに慣れており、ドイツに関連している課題に対する感覚を失ってはいなかった。彼らはこの国家において狭いオーストリア帝国直轄地の境界を越えてなおドイツの領域を見ていた唯一の人間である。


 そのうえ運命が彼らをついに共通の祖国から分離した時、彼らは巨大な課題を解決して父祖が絶え間ない闘争で東部からもぎ取ったドイツ主義をなお維持しようとしたのだ。


 その場合、次のことに注意すべきだ。すなわち、分裂した力だけでは、これは成しえなかったのだとうという意識である。というのは最も優れた者の心と追憶は決して共通の母国を感じることを否定しないで、ただその残響だけが故郷にとどまっていたのである。


 確かにドイツ系オーストリア人の一般的視野は比較的広かった。その経済的関係はしばしば多様な形式を持つこの帝国のほとんどを包括していただろう。技術者や指導者は大部分ドイツ系オーストリア人によって占められていた。だが、彼らはまたユダヤ人が特定の分野に手を伸ばさない限り、外国貿易の担い手でもあったのだ。


 政治的にもドイツ系オーストリア人だけがなお国家をまとめていた。すでに軍の服務期間中は故郷の狭い領域を超えて送り出されていた。ドイツ系オーストリア人の新兵はその連隊、ヴィーンやガリシアはもちろんのこと、ヘルツェゴビナにも置かれていた。


 将校団は常にドイツ人だったし、上級官吏も優秀だった。芸術や化学もドイツ人が優勢だった。黒色人種でも間違いなく無造作に作り出せるような近代芸術の際物を覗けば、真の芸術精神の所有者や普及者はドイツ人だけだっただろう。


 音楽、建築、彫刻、絵画でもヴィーンは決して目に見えるほど枯渇しておらず、汲めども尽きぬ豊富さでこの王国を支えている源泉であった。


 最後にドイツ人は少数のハンガリー人を覗けばすべて外交の担い手であった。


 しかしなお、この帝国を維持しようとするすべての試みは無駄であった。そこには本質的な前提が欠けているからである。

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