ヴィーンでの勉強と苦難の日々29

 日々の生活から今や私はマルクスの教説を吟味し始めた。その努力は一つ一つ明白になった。毎日私の目の前に効果があらわれたのだ。私は結論をいくらか想像して頭に描くことができたのだ。


 疑問があるとすれば、この創始者は作り出したものの成果を最後の形においてありありと念頭に浮かべていたのかどうか。あるいは自身が誤謬の犠牲になったかどうかということだった。両方ともあり得ることだ。


 ある場合には最も極端なものを阻止するためにこの不快な運動の第一線に乗り出すことが思慮ある人間の義務であった。しかし、他の場合はこの民族病のもともとの創始者は真に悪魔だったに違いない。というのは、怪物の――人間ではなく――頭の中でなければその活動が結果として文化を破壊し、世界を荒廃に導く組織の計画が、意義のある内容になるはずがないからである。


 この場合、運命がその祝福を誰に下そうとも、人間の精神、知性、意思がつかみ取るあらゆる武器を持った闘争が最期の救済として残ったのである。そこで私は運動の基礎を研究するためにこの教説の創始者たちと親しくし始めた。私がはじめに自分で考えていたよりも早く目的は達成できたが、これは私がすでにわずかながらもユダヤ人問題の知識があったからである。


 その知識があったので、私は社会民主党創立の使徒の大言と活動を実際に比較することができたのである。ユダヤ人が思想を隠すため、少なくとも偽装するために彼らの言葉を社会民主党が私を理解させ、教えてくれるからである。だから彼らの本当の目的は言葉の中に見出すことができず、その間にうまく隠されているのだ。


 私が今まで経験したことのない最も大きな転回の時期がやってきた。私は弱弱しい世界市民から熱狂的な反ユダヤ主義者になったのだ。


 最後にもう一度だけずっと深い重苦しさの中で不安に押しつぶされるような考えが浮かんできた。私が人類の長い歴史を通じてユダヤ人の活動を研究観察したとき、突然心配な問題が出てくる。神秘的な運命が理解できないという理由でこの小民族の最後の勝利を変わらない決意で望んでいるのではないかということである。地上にのみ住むこの民族が地上を報酬として与えられているのではないだろうか。


 私たちに事故を守るための権利を持っているのはないか、あるいはこれも私たちが勝手に根拠づけているだけだろうか。私がマルクシズムの教説を調べ、ユダヤ人の活動を冷静にはっきりと観察している間に運命がその答えを教えてくれたのだった。

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